松山へ
ほどよい時間になったので、八幡浜駅ホームのベンチで座りながら電車を待っていた。
向かいのホームには、いかにもローカル線的車両がのんびりと待機している。
電車が別のホームに入ってきた。客を下ろし、発車していく。
なんだかその間、不思議な違和感があった。なんだろう?と思ったらその電車が発する音だった。
なんだかバスのような船のような不思議な音なのである。
しかも、車両ごとにモクモクと煙を出しているではないか。
ディーゼルだ!
よく見ると、たしかに線路上に電線が無い。ここを走っているのはすべて電車ではなく、ディーゼル機関車だったのである。
ディーゼルなら、どんな山奥でも架線の必要がないから、きっと山の多い地方で鉄道を走らせるのにはこのほうが楽なのに違いない。
まもなく特急「宇和海」がやって来た。もちろん彼もディーゼルである。
生まれて初めてディーゼルの列車に乗ることになる。
なんだかうれしい。
禁煙車両には車外にも「禁煙」と大きく記してあった。
禁煙と大きく書いてあるあんたが一番煙出してるじゃないか……と突っ込んではいけない。
電車……いや、列車は定刻通り発進した。
沿線は山ばかりで、どこもかしこもみかん(イヨカン?)畑だ。
さすがに伊予の国だなぁ、と最初こそものめずらしげに見ていたけれど、行けども行けどもミカンばかりなのでしまいには眠ってしまった。
うちの奥さんはといえば、せっかくさっきの飯屋では少量で済ませたくせに、名物じゃこ天とビールを買って、グビグビやりながらゴキゲンである。
寝ていると 45分などはあっという間だった。
松山駅はさすがに大きい。松山市なんて思いっきり都会である。
愛媛の県庁所在地なんだから当たり前か。
松山駅は、特急「宇和海」の終点でもある。ここから先は、特急「いしづち」が高松や岡山(岡山まで行くのは特急「しおかぜ」。多度津で両特急は切り離される)まで客を運ぶのだ。
面白い事に、宇和海といしづちは、ホームから見たら左右逆方向に発進するからとはいえ、まったく同じホームに到着していた。あと2mでゴッツンコ、というところで停止するのである。ディーゼル機関車と電車がにらめっこするようにして止まっていた。なんだかおおらかでいい。
松山駅に着いてから、改札を出る前にホームでちょっとぐずぐずしていたら、出る側の改札が閉ざされていた。到着する列車の間隔が大きいためか、客はあらかた改札を出たかな、という頃を見計らって、改札は入場側だけになってしまうようなのだ。電車の発着はおおらかなのに、改札はけっこうせわしない。
そんなこととは露知らず、のんびり改札を出ようと思ったら、流星群のように次から次に入場してくる人に阻まれて出るに出られず……。
アー…うー……、と窮状を訴えると、おねーちゃんがタタタタタッと走ってきて、別の改札を開けてくれた。
なんだかスーパーのレジで、
「お待ちのお客様、こちらをどうぞ!」
という雰囲気である。
そうなのである。どういうわけだか知らないけれど、今回利用した四国の駅のうち、主要な駅では改札にいるのはおねーちゃんなのだ。ちゃんと質問にも答えてくれる立派な駅員さんである。
そりゃおじさんとしては悪い気はしなかったけどさ。
これはリストラの一環なのであろうか。
人件費のかさむ年配の駅員には去ってもらって、パート採用の女性駅員を使えばコストは下がるし客受けはいいし……ということなのかなぁ…。JR四国のスーパーレジ作戦なのだろうか。
とにかくようやく、どんくさい旅行者二人は改札を出ることができた。
くどいようだが松山市は都会である。
便利なのである。
松山駅を出て、歩いてちょっと行くと市電の駅がある。チンチン電車だ。
僕が子供の頃、祖父母が住んでいた京都へ行くと、必ずチンチン電車に乗っていた……のか見ていただけだったのか忘れたけど、とにかく身近な交通機関だった。
ところが今や、チンチン電車が走っている都市を探すのが難しいくらい。
久しぶりに見ると、路面電車というのは街中でかなり唐突だけれども、やっぱり素朴で優しく生活感溢れる乗り物であった。
それもそのはず、最近観光客用に無理やり路面電車を走らせているところとは違って、このチンチン電車、いや、伊予鉄道の市内電車は、日本で初めて、明治 21年に軽便鉄道として開業したという由緒正しい路面電車なのである。
市内を縦横に走っており、どこもかしこも当然のように道路の中央をひた走る。
しかもどこまで乗ってもたったの150円!
子供たちも通学に利用しているようであったし、市民には欠かせない「足」として立派に活躍している。
そのチンチン電車に乗って、道後温泉まで行く。
道路の真中にあるホームで待っていると、突然異質の乗り物がやって来た。
なんだか、ドラえもんが持っていた記念切符を勝手に使ったのび太の前に、突然現れた銀河鉄道のような(ご存知ない?)メルヘンチックな異質さである。
坊っちゃん列車であった。
同じく路面電車なのだが、ノーマルなチンチン電車と違い、こちらはあからさまに観光客向けだ。数年前から運行を始めたらしい。
同じ線路を走り、同じホームに来るからといって、誰でも乗れるわけではない。ちゃんと坊っちゃん列車用の乗車券を買っておかねばならない。
乗る気はもちろんなかったが、いったいいくらなのだろうかと調べてみると、なんと 1000円!!
なんだそりゃ、ぼったくりじゃないか、と一瞬思ってしまった。
それは早とちり。
たしかに1000円なのだけど、それには坊っちゃん列車一回分と、路面電車一日フリーパスおよびお土産が含まれているのだった。お得といえばお得なのだ。
坊っちゃん列車がホームに着いた。
ノーマルチンチンはワンマンなのに、坊っちゃん列車には見えただけで3人も乗務員がいた。
「坊っちゃん列車でーす。乗車券をお持ちの方のみの乗車となりまーす…」
と車掌が声を張り上げたものの、ホームにいた数人の客は微動だにしなかった。空気だけを乗せて、坊っちゃん列車は去って行く。
これ、たとえ乗車券を持っていても、僕が一人で旅行していたとすると、一般のお客さんが見ている前で
「ハイッ!乗りマース!」
というわけにはいきにくい。「坊っちゃん列車」だものなぁ。夫婦であってもつらいものがある…。
子供連れじゃないとなかなかつらかろう。観光シーズンになると満員なのだろうか。
道後温泉行きのチンチンは待つ間もないくらいにひっきりなしにやってくるようだ。襟を正して車内へ。
チンチンという音も軽快に、路面電車は松山市内を走る。
松山城が、市内の真中の小高い山の上に美しくそびえ立っていた。
愛媛県庁は、それよりも遥かに立派な建物だった。石油輸出国の王様の宮殿かと思ったくらいだ。維新後、国生み神話のなかから「愛媛」という名をとって県名とした方のセンスは、役所の建物を見る限り消え去っているような気がした。
終点・道後温泉駅に到着。ついに到着。別府を出てからかれこれ6時間ほどになる。
由緒正しい観光地の例に漏れず、松山駅にもこの道後温泉駅にも碑が多い。
それもそのはず、ここ松山は正岡子規をはじめとする俳人・文豪を生み出した文芸の国なのである。
当然のように句碑が多い。
先人の句を崇め奉るだけではなく、ここ松山では 40年近く前から、投句ポストというのを市内の随所に設けていて、俳句をより身近に感じさせるような工夫をしている。チンチン電車の車内にだって投句ポストが置かれてあったくらいだ。
実は鉄輪でも界隈のあちこちに投句ポストを設置していて、毎月のように選句をして優秀な作品を発表している。ただし鉄輪でそのような活動が始まったのは 90年代に入ってからである。おそらく同じ湯の町松山・道後の習慣を参考にしたのではなかろうか。
それにしても、道後。
道後と聞けば、日本人なら誰だって(一定年齢以上だけか?)道後温泉を思い浮かべるであろう。
そして道後温泉といえば、いかなる人もその建物、道後温泉本館をイメージするに違いない。
道後温泉本館とは、国の重要文化財に指定されていながら、現在も現役の共同浴場である。明治 27年創建の木造三層楼の建物は、往時の面影を今なおそのままに残しているのだ。
道後温泉といえば、この建物なのである。
だから、ガイドブックなどでも必ず道後といえばこの建物の写真だ。
だがしかし、ここ松山も日本なのであった。
知っていたから僕らはオドロキもしなかったけど、外国人がガイドブックの写真だけを頼りにこの町にやってきたらひっくり返るだろう。だって、道後温泉本館のまわりなんて、どこまで行っても巨大なホテルホテルホテル。いったい何人の人間を収容するのだろうか、というくらいのホテルがドンドコドンと建っているのだもの。
これだけの人の主目的が道後温泉本館だとしたら、観光シーズンになんて、とてもじゃないけど来たくない。
まさか僕らがそんな巨大なホテルに泊まるわけはなかった。
近頃は世の中便利になって、水納島にいながらにして、地元の昔ながらの小さな宿を探す事ができるのだ。
宿の方に聞いたのだけど、大きなホテルに泊まってはいるけれど、現地に訪れて初めてそういったささやかな旅館もあることを知り、非常に残念がる方もいるらしい。
道後温泉での宿探しの条件は、
巨大なホテルは却下
昔ながらのささやかな規模の旅館
道後温泉から近い
歓楽街の真っ只中ではない
ということで選んでみた。
そして決定したのは「常磐荘」である。
結論を先に言ってしまうが、もう大正解、僕って天才!というくらいに良かったのだった。道後温泉万歳!!常磐荘万歳!!と、もろ手を上げて賞賛せざるを得ない。
この宿に関して、
「道後温泉に近くて便利だねぇ…」
「内風呂の温泉がちゃんとあるんだねぇ…」
「料理がおいしいねぇ……」
と、次々に喜びの声を上げていたうちの奥さんであったが、どうやら偶然そうだったかのように思っている節がある。そうじゃないのである。ちゃんと下調べをしてあったんだって!! |