四国上陸

あれがウワサの佐田岬

 どこまでも凪いでいる水平線の先に、おぼろげな島影が随分前から見えていた。それがだんだんクッキリしてきた。
 佐田岬である。
 付近住民以外で、佐田岬と聞いてすぐに四国のどこか、ということを指摘できる人は、相当な地図好きか旅行好き、もしくは変人である。どこだか知ってますか?
 恥ずかしながら、今回の旅行で僕は初めて知った。四国の左端に、まるでツノダシの背ビレのように、ヒョロロロロ〜ンと頼りなく伸びている岬がそうなのである。
 普段の生活で目にする日本地図なんて、全国区の天気予報くらいのもので、そんな地図にはツノダシの背ビレなど詳細に描かれているはずはない。言わばマニアックな岬なのだ。
 ここまでマニアックな場所にもかかわらず、原発があるのだから恐れ入る。本当に安全というのなら、1基だけでもお台場あたりに造ってみろといいたい。

 我々にこの宇和島運輸フェリーの存在を教えてくださった方は、この岬の中ほどにある三崎というところのご出身で、この宇和島運輸フェリーには別府〜三崎という航路がある。
 せっかくだから三崎に上陸しよう、と当初は思っていた。けれど、なにしろツノダシの背ビレである。この先松山・道後までの道のりがスムーズではない。レンタカーでやってきたのならともかく、ここからバスに乗って……というのでは大旅行になってしまう。

 やむなく、別ルートの別府〜八幡浜の便に乗っている我々なのであった。
 船は、本来ならそこにたどり着いたであろう佐田岬に沿って走っていた。岬の端にはチョコンと灯台が建っている。おーいら みーさきのー とーだい もーりーはー つーまとふたりーでー……という生活をしている灯台守がいそうな灯台だった。
 せっかくなので、写真をパシ。

 この佐田岬、地図上はツノダシの背ビレかもしれないけれど、実際に目の当たりにするとなかなかに豪壮な地形である。剥き出しになった岩肌は不思議な緑色を呈しており、岬全体が厳かな美しさに包まれているのだ。岬の先端から三崎までは、道一本といってもいいほどのところで、人の気配がまるでない。厳かな雰囲気はそのためであろうか。

 特等席からその景色を眺めているときだった。
 突如おばさん集団が襲来した。
 さっきドリンクを買いに行ったうちの奥さんが、2等船室は大変なことになっている、と言っていたのはこれだったのだ。
 景色には人の気配が微塵もなかったのに、見ているこっち側が人の気配だらけになってしまった。

 普段の生活でなら、一人一人はとってもいい人であるに違いないのに、なんでおばさんたちのなかには集団になるとこうなってしまう人たちが多いのだろうか。
 別に、貸切ルームじゃないんだから入ってくることに文句を言っているわけではない。ただ、それまで静かに過ごしていた先客がほかにいるというのに、まるで存在していないと思っているかのような傍若無人のトーク。キチンと閉められていたドアを開け放したまま外に出ていく無神経さ。集団で写真を撮るために、そこにいる人をまったく意に介さないポジションどり。
 日本人から公共の精神を奪い取ってしまったのは、こういうおばさんを育てた親、そしてこのおばさんたち、さらにこのおばさんたちに育てられた子供たちであるに違いない。

 幸い、観光バスの団体旅行である彼女たちは、到着時刻の随分前にバスに集合してなければならなかったようで、嵐は短時間で去ってくれた。

初上陸地は八幡浜(の鉄板…) 

 そんなおばさんたちの嵐のトークにも、ひとつだけためになる情報があった。
 どうやら何度かこの船に乗って九州四国を行き来している人だったらしいが、こんなに凪いでいたことはかつてない、と話していたのだ。なるほど、別府湾こそいつもいつも凪いでいるけど、外に出たら荒れるときは荒れるのであるな。ということは僕らはついていた、ということじゃないか。
 なんだかうれしい。

 いよいよ八幡浜港が近づいてきた。
 海辺までせり出している山の斜面には、たわわに実ったみかんだかイヨカンだかなんだかがところ狭しと植わっている。さすが柑橘系の王国、ポンジュースの故郷。

 下船口まで降りていくと、そこには数えるほどしか人がいなかった。
 団体個人にかかわらず、ほとんどの船客は車を利用しているのである。
 係留作業が粛々と進められ、なんの衝撃もなく船は接岸した。
 近づくタラップ。
 さあ、四国上陸だ。
 うちの奥さんにとって初めての四国である。
 小さな1歩だが人類にとっては偉大な1歩である、と言ったのはアームストロングだった。彼の1歩はたしかに月の大地を踏みしめていた。はたしてうちの奥さんの記念すべき四国第1歩は………。

 て、鉄板!?
 人生初めての四国への第1歩は、よりにもよって鉄板の上になってしまったのだった。

 八幡浜といえば、四国でも有数の魚市場があるところだそうである。
 大正時代からトロール漁が盛んで、なんでもかんでも網の中に入るせいか扱う魚種が豊富なのだそうだ。
 そんな漁業の町であればさぞかし美味いものも豊富だろうから、この地も存分に巡ってみたい、という思いはあった。だがしかし、我々は松山まで行かねばならない。目指すは道後温線なのである。

 とはいえ、船を下りて、さあ、バスだ、電車だ、とすぐに便利な交通期間が待ちうけているわけではない。あらかじめ八幡浜駅への道のりは把握してあるものの、下船後の風景はいささか心淋しかった。
 お昼時だったので、港周辺に美味そうな食い物屋があれば入りたかった。
 「漁師さんが行くような店がたくさんないかなぁ」
 と、うちの奥さんは目をキラキラさせていたのだが、トボトボ歩くうちに漁港は尽き、あとは駅への道のりとなった。

 途中、リアカー屋台で太刀魚をさばいているおばあに遭ったり、萩森さんがこのへんには多いことを知ったりしつつテクテクと歩いているうちに駅が見えてきた。
 なかなかに好ましい駅舎だった。
 八幡浜駅からは特急「宇和海」に乗って松山へ向かう。別に時間が惜しかったわけではなく、ただ確実に座りたかっただけである。ちなみに特急だったらたったの45分。
 さすがに特急なので頻繁に出ているわけではなく、あと1時間ほど時間に余裕があったから駅前の飯屋に突入した。メニューの「鯵めし御膳」「鯛めし御膳」という文字に惹かれてしまったのである。

 御膳というセットを食うと満腹になってしまって、今宵のご馳走(であろう、おそらく)を満喫できなくなってしまう恐れがあったが、今の空腹感がその理性を吹き飛ばしてしまった。鯵めしだけってのがあったら価格的にも量的にもベストだったのに…。
 うちの奥さんは、理性が働いていたのか、ちょっとしたつまみ程度にホータレのフライを頼んだ。
 ホータレって何??
 って思うでしょ?
 僕らもそう思ったからマスターに訊いてみると、カタクチイワシ系の魚であった。カタクチイワシという名よりは、よっぽど「ホータレ」のほうが食欲をそそられるよね。
 言うまでもなく、当然のように生ビールを頼んでいる。

 まぁこの鯵めしの美味いこと美味いこと。
 鯵の刺身が乗っかったご飯に、卵入りダシをぶっかけて食うだけのシンプルなものなんだけど、なんだかしみじみ美味いのである。
 ホータレのフライも、ああ、地の魚……という旅情込みでとことん美味しい。もうこのままここで飲んだくれて食いまくるか……あやうくそんな気配になってしまうところだった。

 カウンターの冷蔵スペースには、ヒカリモノ系の魚が丸々一本寝転がっていた。
 カンパチだ。
 九州四国のこのあたりでは、ごくごく当たり前にカンパチを食っているのだなぁ。
 沖縄でカンパチといえば十円ハゲになってしまうのだが……。

 お茶を出してもらっていたので、念のための胃薬を飲もうと思ったら、マスターがすかさず水を持ってきてくれた。些細な事のようで、旅行者にとってはうれしい心遣い、気遣いである。僕は八幡浜を愛することにした。

 ほどよい時間になった。
 一期一会というにはあまりにも短い縁ではあったけど、八幡浜駅前の「お食事処 庄八」よ、永遠なれ!と願わずにはおれない。

 満たされた腹を抱えて駅に向かった。