道後散歩 2

 翌日も午後にポッと時間が空いたので、再び周辺をテクテク歩いてみた。

 道後商店街でいよかんシャーベットを食べてみよう。
 すでに何度か歩いて、是非食ってみたい、とうちの奥さんが騒いでいたのだ。
 カップだったので、さて、どうやって食おうか、と思ったら、別に「いよかんソフトクリーム」というのもあった。これなら歩きながらでも食いやすい。
 売り子のおねーさんに、この辺で歩きながら食っても行儀悪くないか、と訊いてみると、みなさんそうやって召し上がってますよ、ということだったので安心することにした。日本人は、他に誰かがやっていると安心するのである。

 いよかんソフトといいながらも、結局オレンジ味のソフトクリームと大して変わらないのだが、とにかくウマイ、ウマイと言いつつ商店街駅側出口を出た。
 すると、傍らにある大きなからくり時計の周辺に人がたむろしていた。時計をみると14時2分前。
 毎正時ごとに動き出すらしい。

 ソフトクリームを食いつつ見物することにした。
 しばらく待っていると、からくり時計がモゴモゴモゴ…と動き出した。
 坊っちゃんに出てくるキャラクターのオンパレードである。

 隣にいたお母さんが、抱いている我が子にそれを見せようとしていた。
 ああ、しかし。
 オコチャマの目は隣の美味そうなソフトクリームにくぎ付け……。
 子供にとっては、わけのわからない時計よりも眼前のソフトクリームなのである。
 我々が来るよりも随分前からいた気配のあるそのお母さんに申し訳なかったので、ソフトクリームを手にしながら「ホレホレ、こっちこっち!!」と声をかけて、時計のほうへ注意を向けようと頑張ってみた。
 でも、時計に目を向けるのは一瞬で、まるで赤外線誘導装置のようにずっと彼はソフトクリームを眺めていたのだった。

 ●   ●   ●

 先に述べたように、僕は子供の頃にカーフェリーで別府に行ったことがある。
 その際、行きは瀬戸内航路で、四国を経由して別府に着いた。
 その時の船の名前が
 「おくどうご」
 だった。
 当時、この船名はまったくのナゾ言葉で、いったいどういう意味が隠されているのかさっぱりわからなかった。外国語をただ平仮名書きしただけなのかとさえ思った。
 帰りに乗った船の「サンフラワー」という、あまりにもわかりやすい名前よりも、子供というのはかえってそういった意味不明的名がおもしろく、旅行中も旅行後も、しばらくの間「おくどうご」というのは正体不明の冗談言葉になっていた。
 それ以来、「おくどうご」は記憶の片隅で怪しく微笑むナゾとしてずっと残ってしまった。

 それが、まさか「奥道後」であったとは!!
 「奥道後 4キロ」
 という道路標識が、すべてのナゾを解いてくれた。
 鬼怒川温泉の奥が奥鬼怒であるように、道後の奥も奥道後だったのである。
 24年のながきに渡って脳味噌の奥でくすぶっていたナゾが、ついにこの地で氷解したのであった。
 後日、我が愚弟にその話をすると、彼もつい最近になって初めて知った、と言っていた。
 子供というのは、大人の意表をついたところで疑問や不思議を感じているものなのである。

 ちなみに、奥鬼怒は、開けっぴろげな鬼怒川温泉に対して鄙びた静けさに包まれたいい里なのだが、奥道後は名前がかもし出すほどには魅力的ではないらしい。

 ソフトクリームを食べ終えた我々は、石手寺を目指してテクテク歩いている。
 宝厳寺や伊佐爾波神社は、「道後温泉」をピックアップした周辺地図に載っているけれど、石手寺はただ矢印とともに「石手寺へ」と書かれているに過ぎない。ようするに遠い。
 四国霊場第
51番札所だからといって、別にお遍路サンでもない我々がそこまでしていく必要があるのか……。この日の午前中は松山城に登ったので、すでに腰が悲鳴をあげはじめていた。でもうちの奥さんは歩くのが好きなのだった。

 石手寺は、初詣の際には人で埋め尽くされるほどの超メジャーな寺である、と昨夜ケイコさんから聞いていた。ガイドブックを見ると、その仁王門は国宝であり、本堂、三重の塔、鐘楼、護摩堂その他境内のほとんどのものが重要文化財に指定されている、と書いてある。
 728年の創建だそうで、とにかく由緒正しい立派なお寺さんであるらしい。

 テクテク歩いているうちに石手寺に着いた。

 ………うむむむ。
 たしかに仁王門は重厚かつ美しい。三重の塔も立派だ。でも、なんだか雑然としている。限られた敷地に無理やり押し込めたような不思議な空間。
 築地塀は豪快に崩れかけているし、参道は屋根が落っこちてきそうだし………。
 この寺にいた間、なんかこの雰囲気はかつてどこかで味わったものと似ている、とずっと思っていた。
 帰ってきてから判明した。
 何年か前、波照間島で泊まった宿、玉城荘にそっくりなのである。
 石手寺は玉城荘だったのだ!!
 なんだか居心地が良かったのはそのせいだ。
 京都の観光寺のようにお高くとまっているよりも、むしろこのありのままのほうが性に合う。
 これこそ、暮らしの中に息づいているお寺の姿なのだろう。もちろん、拝観料なんて必要はなかった。

 この石手寺で印象深かったのは、国宝でも重要文化財でもなく、ひっそりと口を開けているマントラ(都卒天洞)であった。不気味な洞窟である。いや、不気味と言ってはバチが当たるかもしれないが、仏像や不可思議な宗教絵画がずらりと並ぶ薄暗い通路なのである。こういうところに、さっきまでソフトクリームを食いながら歩いていたヤツが入っていいのだろうか、と思わず躊躇してしまうくらいのアヤシイ空間なのである。

 この雑然とした雰囲気がかえって厳かさを醸し出すのか、お堂の奥から聞こえてくる原始的躍動感あふれる太鼓のリズムが心に響いた。線香の香りが充満している。
 そんな境内に、なぜかプリマスロックが。そして蓑曳と思われるヤツも。こうなると、国宝も重文もなにも関係なくなる。こんなところでニワトリを撮影している我々は、ハタから見るとアヤシイ洞窟よりもさらに不気味であったことだろう。

 宿に帰ってきた。
 もう充分歩いたので、このままくつろいでいたかったのだが、我々にはしなくてはならないことがあった。
 洗濯である。
 旅程分の衣類を持ち運ぶのは大変なので、途中途中で洗濯をせねばならないという事情があり、きっと道後あたりにはコインランドリーくらいあるだろう、と希望的観測でここまでやってきた。
 なんで安易にコインランドリーくらいあるだろう、とたかをくくるのかというと、那覇の町を歩いていると、やたらコインランドリーを見るからである。本部町の渡久地港付近にだって、いったい誰が利用しているんだろうと思うのだが、しっかり2軒ある(キヨシさんはよく利用している)。その感覚で、余所にもある、とつい思っていたのだ。ところが、学生街ならいざしらず、そうそうあるものではないらしい。

 今回もややあきらめムードだったところ、昨夜、ケイコさんからちょっと歩いたところにあるということを聞き、ホッと胸をなでおろしたのだった。
 おまけに宿の洗濯機を貸して貰えたので、あとはコインランドリーで乾燥させればいいだけなのだ。 

 洗濯機がウィンウィンとうなりを上げて頑張っている間、お茶菓子をいただきつつ、人心地。
 ああ、このまま一眠りしてしまいたい、という誘惑に駆られたものの、明日から着る物がなくなるので仕方がない。

 2日目の夕方ともなると、主要な道のりはだいたいわかってくるので、腰はヘロヘロながら、町をぶらつくのがまた楽しい。
 目指すコインランドリーは、L字に曲がった商店街の途中を突き抜けたところにあった。
 二人ともコインランドリーなんて利用したことがなかったから、無人の空間でいったい何をどうしたらいいのか戸惑った。そもそも小銭じゃないとダメだ、ということすら知らなかったのだ。
 仕方なく札の使える自販機でジュースを買ううちの奥さんであった。

 乾燥機が力強く動き始めた。
 だいたい20分くらいで大丈夫だろう。
 その間、近くの大きなスーパーを物色することにした。
 昨夜あれだけ海の幸を堪能しただけに、鮮魚コーナーが興味深い。
 まっさきに目に付いたのは、「トラハゼ」であった。
 昨夜食べたトラギスである。どうやらクラカケトラギスのようだ。
 さすが底引き網漁の盛んな土地柄、このような深いところに住む小さな魚でも普通にスーパーに並んでいる。
 「ガシラ」と書いてある魚はカナガシラだろうか。アカエイも切り身で売られていた。こういうのも底引き網ならではだろう。
 鉄輪のスーパーと同じく、ナマコが本体のまま売られていた。このあたりにお住まいの方なら、沖縄の海水浴場にいらっしゃっても、「キャーッ、ナマコ!!」などとはけっして叫ぶまい。

 また、さすが柑橘系王国伊予の国、みかん類のオンパレード。鉄輪のスーパーをさらに上回る。黄色からオレンジのグラデーションのような陳列棚だ。
 いよかんなんて、沖縄のスーパーの半額近い。これじゃ生産者もつらかろうなぁ。
 松山よりもちょっと北の今治でいよかんを作っている後輩がいるのだが、彼が全国的に贈答用商品として売り出したくなる気持ちもよくわかる。農協を通した薄利多売よりも、質がいいものを作って、質がいい、とわかってくれる人に直接買ってもらうほうがよっぽどいいはずだもの。今のところいよかん関係で産地偽装事件はないから安心だ。

 コインランドリーに戻ってみると、すでにクールダウン段階に入っていた。
 我が窮状を救ってくれた乾燥機君は、ブウゥゥゥゥンと最後の音を立て、その役目を果たし終えた。

 ●   ●   ●

 来た道を戻っていると、突然
 「アッ、ニワトリ!!」
 と叫ぶうちの奥さん。
 指差す先を見ると、道の反対側のお家に、ニワトリ小屋らしきものがあった。たしかに中に鶏がいる。他の何事であってもここまでスルドクはない。ホント、鶏関係に関してだけは近頃異常なのである。
 庭で立ち話をしていたご婦人に一言ことわると、気安く見せてもらえた。
 ゴイシチャボ!!
 なんと碁石チャボではないか。こんなに美しいものを目にするのは初めてだ。
 猫よけのためか、小屋は外から見やすいようには作られていなかったけど、その他にもコシャモがいたり名古屋コーチンがいたりと、どうやら鶏好きのおうちらしい。我々が喜んで見ているので、他のカゴも開けてくれたのだが、
 「あれ、ウコッケイは山の方かな……」
 奥さんのほうはあまり詳しくないらしい。どうやら飼い主はご主人のようだ。それにしても山でウコッケイ……。いいなぁ。

 そろそろ夕焼けの時間帯になっていた。今日も一日いいお天気だったのだ。
 沖縄を出てからこっち、ずっと冬型が弱まっているようで、ずーっとポカポカ陽気である。よっぽど我々は行いがいいに違いない。

 行きと同じ道ではつまらないので、スージィグヮーに入ってテクテク進んでいると、夕焼け空がどんどんきれいになっていった。道後側から見ると、夕陽をバックにした松山城がカッコイイ。そんなとき、目の前に松山神社が現れた。例によって階段である。
 菅原道真と徳川家康を祭っている神社である。なぜそうなったかという歴史的背景を知らないと、まったく節操のない意味不明の神社のような気がしてしまうが、ここはもともと別々のものだった二社を明治になってくっつけたのである。
 もう、階段の先の神社に行く気力が失せかけていたし、天神様も大権現様も今日はお許しくだされ、と言いたかったのだけれど、ふもとの説明書きに、にわかにやる気を呼び覚ませられた。
 松山城を一望できる…とあったのだ。
 ということは、夕陽をバックにした松山城をあますところなく見られるということではないか。
 ヒィヒィ言いながら登った。

 ………ああ、しかし。
 木々に囲まれた境内のどこから眺めても松山城なんて見えやしない。大うそつき!!
 これなら、階段の途中からのほうがよっぽど眺めが良かったぞ。

 松山神社をあとにし、おそらくこっちであろう、という道を歩みつづける。
 そびえたつホテル茶波瑠が目印になるのだ。
 そうやって細い裏筋をクネクネ歩いていると、道後の町には、ちょっと裏を行くとたくさんの夜の店があることがわかる。道後ミュージックとか、そういったたぐいの一昔前的おっさん用娯楽施設である。
 坊っちゃんの舞台、子規の故郷、歴史と文学の香り漂う町道後……ということで町づくりをしている地域としてはいささかそぐわない。道後ミュージックなんて、夕方にはかなりウルサイ音量で街宣車を走らせていた。
 やはりいまだに、温泉地にやってくるおっさんたちはこういうところにセッセと足を運んでいるのだろうか。需要があるからこそ、なのだろうなぁ。

 と考えながら歩いていると、結局コインランドリーから5ミリほどしか進んでいないところに出てきてしまった。なんだったのだ今までの道のりは。