道後温泉
それにしても、先のからくり時計をはじめ、坊っちゃん列車、坊っちゃん団子など、松山は坊っちゃん一色である。松山を舞台にした話だから、地元が盛り上がるのはわかる。でも、みなさん、夏目漱石の「坊っちゃん」て読んだことあります?
どう読んでも、何度読んでも、僕はそこに松山への愛を見出せないのである。それどころか、どちらかというと松山をケチョンケチョンに書いてあるといってもいいくらいだ。主人公は一度として松山そのものに愛を感じることなく、怒りを胸に帰京してしまう。
欧米文化に追いつけ追い越せと必死になっていた当時の世情である。実際にイギリスへ渡り、明治日本と先進国との差をまざまざと見せつけられた漱石さんにとっては、日本の因習、風俗にことごとくため息をついていたことだろう。赴任先の風俗に絶望感を抱いたかもしれない。
でも、それにしても、だ。
ただ、舞台になったというだけならまだしも、ここまでこき下ろされていながら、なぜに松山・道後は坊っちゃん一色なのだろうか。松山の人たちが相当の呑気もの、おバカさんであるか、並外れた度量の大きさを持つ人たちであるかのどちらかであるとしか思えない。
歴史と文学の香り漂う松山においては、後者であることは間違いない。
そう考えると、松山の「坊っちゃん一色」というのも相当奥が深いように思えてくる。
「坊っちゃん」を読んで、あれは漱石が松山を愛するがゆえの辛辣なからかいなのである、と解釈するのはよほど心の広い人たちであるに違いない。というよりも、ユーモアのセンス抜群、ということなのかなぁ。なんだかんだ言いながら、漱石はこの地でしっかりと癒されたのだもの、という余裕なのかもしれない。いずれにせよ、2、3度読んだだけじゃ僕には理解不能だ。
松山がケチョンケチョンに書かかれている「坊っちゃん」の中で、自然景観以外で唯一肯定的に書かれているのが道後温泉である。作中では「住田の温泉」と出てくる。
道後に来た我々のほぼ唯一にして最大の理由がこの道後温泉である。とにかく堪能しなければならない。
最初は勝手がわからずおたおたするうちに終わってしまうだろうから、少なくとも2回は行こう、と決めていた。けれど、調べるとすぐにわかることだが、道後温泉本館にはいろいろあり、わかりやすく簡単に言ってしまうと
一般庶民コース
ちょっとリッチな休憩室つきコース
ランクアップの浴場&休憩室コース
ブルジョワジー的ゴージャス個室コース
という4つのコースがある。表の券売所で買うチケットまでグレードが異なり、単なる紙切れからどこかのお城の入場券のようなものまでと多様だ。
初日、宿の夕食に心も体も満たされたあと、下見を兼ねて道後温泉本館に第一回目のチャレンジ。
浴衣の上に丹前を着て、さらに羽織を掛ければ、宿からの短い距離ならそう寒くはない。そして手には、うちの奥さんがいたく気に入った「湯かご」。竹で編まれた小さな籠で、そこにタオルや石鹸などを入れて温泉に向かうのである(湯かごは宿で貸してくれた)。
浴衣を着て、この湯かごを持って町を歩くと、気分はもうタイムスリップだ。
今写真を見るとどうもこっぱずかしいが、このときの当人はすっかりなりきっているのである。
下見を兼ねた初日は、一般庶民コースにした。
正確にいうと、神の湯階下。お値段 300円。
実は銭湯・神の湯コース
神の湯はようするに銭湯である。にぎわっている。地元の人も観光客もやってくるので、ほかに誰一人いない、ってことはまずないだろう。朝なんて、まるでパチンコ店の開店前のように地元の人たちを筆頭に大勢並んでいるという。朝6時30分、道後温泉の開館を告げる一番太鼓が鳴り響くと、みんないっせいに浴場へと向かうらしい。
宿で耳を済ませてみたけれど、この刻太鼓は結局聞こえなかった。
それはさておき、神の湯である。
女湯は浴槽が1つ、男湯にはそれより小ぶりな浴場が2つある。東の湯、西の湯とそれぞれ分かれていた。
夕食後の時間帯はそれほど混み合っておらず、それほど淋しくもない、というほどよい入り具合。
宿の温泉で、風呂で通常こなす作業は済んでいるので、ここではとことん浸かるだけだ。
でも、ずっと浸かっているとのぼせるので、ときおり湯船から出てシャワーのところの腰掛けに座って休憩していると、横から人が現れて、スッと石鹸を差し出してくれた。僕が石鹸もシャワーも無くて呆然としていると思ったらしい。
地元の人たちから見ると、観光客であるというのは一目でわかるのだ。
石鹸は必要なかったんだけど、ややはにかみながらのその心遣いに感謝した。
男湯ではそうでもなかったけど、女湯では観光客はかなり好奇の目で見られるそうだ。
優しい目厳しい目どちらもあるようで、マナーに反したことをしないかどうか、姑チェック的指摘に命をかけているおばあもいるという。それがいやなので、地元の方でも若い人は足が遠のいている、ということもあるらしい。
人生の先輩からそういったチェックを受ける、というのはホントは普通のことで、それを繰り返しながらいつのまにか自分が注意する側になっている、というのが日本古来の正しい地域生活だったはずなのだが、今の世の中、見ず知らずの他人はもとより、人から注意を受ける、ということが最大級の屈辱、侮辱と思っている人がどうにもこうにも多すぎる。
うちの奥さんも僕も、島に住むようになってからというもの、普段から厳しいチェック、優しいチェック、有難いチェック、大きなお世話チェック、ありとあらゆる教えを乞うているおかげで、たとえこういう温泉で地元の人からチェックを受けてもまったくイヤな気はしない。
うちの奥さんは地元客の優しい目に触れていたようである。ただ、他の人がチェックを受けているシーンは目撃したらしい。
「ネエサン、ちゃんとドアを閉めなさい!」
東京ならこれだけで殺人事件が起こるかもしれない。
地元の人が多いのであろう、そこここでユンタクしているおじさんたちがいた。
そういう会話を聞くともなしに聞いていると、何度か通ううちに地元の人の会話のパターンというのがわかってくる。
脱衣所でも浴場でも、
「おっ、今日は早いな!」
「なんや、遅いな、今日は」
という会話を何度も耳にした。どうやら毎日来ている人のあいさつ代わりのようなのである。
病院の待合室が社交場になるよりは、よっぽど健康的というものだ。
別府の竹瓦温泉の 100円に比べるとやや高いが、この300円も大したものである。東京、大阪あたりだと、そのへんの銭湯でももっと高いのだから。それに、高齢者は多少安くなっていた気もする。こういうのを福祉というのだろうなぁ。
ものめずらしいので湯船の中を歩き回って物色していると、シャワーがある片隅にヘンテコなマークがあった。道後温泉のマークのようなのだが、それにしては位置が中途半端だ。
説明を読むと、どうやらもともとの泉源の場所を示すものであるらしい(この泉源跡、残念ながらどう頑張っても女性は見ることが出来ない)。
随分昔の地震で、この元来の泉源からは湯が出なくなったそうである。おそらくその時も盛大に祈祷が行われたのだろう。今こうして僕が気持ちよく湯に浸っているのはその祈祷のおかげなのかもしれない。
神の湯の東の湯と西の湯は、そのマークがあるかないかだけで特に違いは無いように見えた。
なのに、両者を入り比べてみると、なぜか東の湯のほうが混んでいるように思えた。そんなに泉源のマークを見たいのか?
と不思議だったが、そうではなかった。「坊っちゃん」の中で坊っちゃんが泳いだのはこの東の湯だったそうなのだ。壁に
「湯の中で泳ぐべからず」
と墨書された木札がかけてあった………はずなのだが、そこまで気付かなかった………。帰ってきてから知った次第…。
いずれにしろ、地元の雰囲気を味わいたいのなら神の湯へ。観光シーズンでもホテルの食事時間帯なら空いていると思われる。
天目茶をいただこう・神の湯2階休憩室
翌朝、一番風呂は人が並んでいるというから見合わせ、ちょっと遅れて行ってみた。普段の生活からするととんでもない早朝である。案の定空いていた。朝飯前にくつろごうということでちょっとリッチな休憩室付きコース。
正確にいうと、神の湯2階席。お値段 620円。
道後温泉に観光に来たのなら、2階の休憩室を利用せずに済ましたのでは話にならない。
神の湯 300円だけ利用して、なんだ銭湯じゃないか、と帰ってはいけない。
2階に上がると、50畳の広間があるのだ。
2階に上がれるか上がれないかは、表の券売所でどのコースにするかで決まってしまう。最初から決めておかねばならない。
で、券売所で券を買い、改札を通るときにどこから上へ行くのか教えてもらえる。
そして2階へ上がると 50畳の大広間である。ズラリと脱衣籠と座布団が並んでいたが、我々が来たのは朝早かったこともあって(なにしろ7時前なのだ)、最初は我々二人以外誰もいなかった。スタッフのおばさんたちの方が多いから、くつろぐというよりはけっこう緊張した。
この座布団の場所を決め、浴衣に着替えて、階下の神の湯に行く。階段を降りたらもう浴場なのだ。
浴衣は用意されているので、普通の服で来ても大丈夫である。たとえ浴衣で来たとしても、湯上りは汗をかくから貸し出される浴衣を着ていたほうが便利だろう。
そして風呂から上がって割り当てられたスペースに座っていると、茶菓子とともに、有名な天目茶が運ばれてくる、という寸法だ。
天目茶という銘柄ではなく、天目台という漆塗りの不思議な茶器に茶碗が乗っているのでこう呼ばれているようだ。
浴衣でくつろぎつつ、この天目茶を飲む、というのが観光客にとっての道後温泉ではなかろうか。要は雰囲気なのである。
ガイドブックに載っているような写真には、この 50畳の広間しか写っていないことが多いけど、実はその並びにお茶を淹れるところ、売店、浴衣をセットするところがあって、広間に我々だけで座っているときも、向かいでスタッフのおばさんたちは普通に喋っている。
お茶を淹れているおばさんの雰囲気が良かったので、
「写真を撮らせてもらってもいいですか?」
と丁重に尋ねてみると、
「そりゃぁダメよあんたぁ……」
と、つれなく断られてしまった。
もしかしてお茶の淹れ方が企業秘密なのか?と一瞬思ったが、きっとおばさんの虫の居所のせいであろう。
その後も年配のご夫婦が一組来ただけで、広間はいたって静かだった。朝7時から来ようという観光客はさすがに少ないらしい。
この広間が、観光シーズンになると満員御礼になるという。
僕らはこれだけでも充分満足なのに、 40年前にこの地を訪れた父の話によると、昔はこのように整然と区画整理(?)されていなかったという。だだっ広い部屋のどこにでも適当に座れて、座った場所にお茶が運ばれてきたというのだ。
今のように観光客が団体で訪れる世では考えられない、くつろぎ空間だったのだろう。
あと、冬だったからすべての障子が閉ざされていたけれど、これが夏だと障子は開けられ、すだれが下がっている、という風情ある状況になっていたはずだ。障子の外は欄干付きのテラスである。写真は無理矢理浴衣で外に出ている。冬だと風呂上がりとはいえやはり寒い。
このあと松山城に登ったので、登城で疲れた体を癒しに、昼飯前にブルジョワジー的ゴージャス個室コースを利用した。
正確にいうと、霊の湯3階個室。お値段 1240円。
ここまで来たら最上級・霊の湯3階個室コース
霊の湯は、休憩室付きコースしかないから、地元の方はまず来ないだろう。なにしろ高い。
次回、いつ来れるかわからない、と思うからこそ、我々は決意の 1240円なのである。
霊の湯には2階一般席利用の980円コースもあるが、どうせなら最上ランクを味わってみたい。
ちなみに、他が1時間以内という時間制限なのに対し、ここは1時間20分利用可能だ。望むならその間何度も湯に入れる。
まず3階に上がる。
3階に上がる時点で、得体の知れない優越感に浸れる。
階段といい廊下といい手洗いといい、さすがに築百年以上の建物の重みというか、そこにいるだけで気持ちがいい、という感じは、古い神社や寺の境内にいる雰囲気に似ている。
この階の角部屋に夏目漱石愛用の間がある。坊っちゃんの間と呼ばれているのがそれで、そこが漱石お気に入りの休憩室だったらしい。なんだかんだいいながら、やっぱり楽しんでたんだろう。そのおかげで、見晴らしのいい角部屋なのに、記念の間になってしまって独占状態なのだ。
そこに、現在の客が使用する部屋が左右に分かれて並んでいる。
個室は、いわゆる和風のささやかな部屋だった。ここも障子の外にはテラスがあって(和風建築の場合はなんというの?)、外の景色(といっても巨大ホテルが並んでいるのだが)を眺める事が出来る。このあと行こうと思っている道後麦酒館にキチンと決意表明しておいた。
この部屋に案内してもらい、浴衣に着替えたらブザーでおばさんを呼び、浴場まで案内してもらう。
さて、霊の湯。たまのゆと読む。
入ってみると、男湯のほうはなんと貸切状態であった。
神の湯よりは二周りほど小さ目ながら、貸切状態だととんでもなく贅沢である。
神の湯と泉質に違いはないはずだが、浴場がなんだか拡張高く、浴槽からはシルクのようになめらかに湯が溢れ出ていた。
この湯、神の湯に入っていたとき、浴槽にどんどん流れこむ湯はどこから排出されているのか不思議でならなかった。排水口があるにしろ、流れこむ勢いと同じ量を排出しているとは思えないからである。
その疑問がこの霊の湯で解決された。
神の湯では、ようするにみんなが湯桶でくみ出すから適量のまま維持されているのだ。
その点、この霊の湯はほかに誰もいなかったので、湯が溢れ放題なのである。
この表面張力で膨らんだ浴槽にドボンと浸かると、湯がザァーッと勢いよく溢れていく。これが気持ちいいこと気持ちいいこと。何度も繰り返してしまった。なんだかつましい至福のひとときだ。
坊っちゃんは神の湯で、誰もいないのをいいことに浴槽で泳いだ。そのために、
「泳ぐべからず」
と、教室の黒板に書かれて生徒にからかわれた。
僕は黒板に書かれる心配はない。こっそり泳いでみた。
その直後である。
湯船に浸かっているとき、スタッフおばさんが浴場のコーナーに置いてあるゴミ箱をチェックしに入ってきたのだ。トイレに突然入ってくる掃除のおばさんに遭遇する時以上のオドロキである。
それよりも、どこかで監視されていて、泳いだから注意をするために来ていたりして……と思ってちょっとビビった。まさかそんなことはないよなぁ………。
女湯は、男湯よりも小ぶりな浴場らしい。
うちの奥さんが入ったら、一人だけ先客がいたという。
東京からいらっしゃったそうで、話をすると、なんでも昨夜遅く松山に来て、この日の夕方帰っていくのだそうだ。うーむ。
世の中、我々のように何度も通うような暇な人は少ないのだろうか………。
風呂から上がると、個室でお茶タイムである。
ただ困った事に、漱石の間はどこにあるのか一目瞭然なのだが、自分の部屋がどこなのだかわからなくなってしまった。タイミングよくうちの奥さんが現れないか、と期待するも、すでに室内にいるのかまだ浴場にいるのか見当たらず。部屋には番号表示があるとはいえ、もともと見ていないのだからなんの意味もない。
各部屋の障子は閉じられていて、人が使っているところはその旨を示す札が掛けられているので、うっかり人のところを開けられない。ノックするのもヘンテコだ。さて、困ってしまった。
が、使用中の札がかかっている部屋は一つだけだった。つまり僕らだけだったのだ。
一応、スタッフおばさんに、
「私の部屋、ここですよね?」
という、実になんともマヌケな質問をして、事無きを得たのであった。
きっとうちの奥さんも廊下でまごつくに違いない、と、耳をそばだてて様子をうかがっていたのだけれど、意外や意外、うちの奥さんはしっかり部屋番号を確認していたらしく、なんの躊躇もなくすんなりと戻ってきた。ちょっとクヤシイ。
部屋でフィ〜ッとくつろいでいると、天目茶と茶菓子が運ばれてきた。
神の湯2階席では煎餅のようなお菓子だったけど、ここでは坊っちゃん団子である。つまり坊っちゃん団子がここ道後のお菓子の王様、ということなのだろうか。
お茶には違いがあったのかな?
違いといえば、神の湯2階とこことでは浴衣が違う。
神の湯2階休憩所では湯玉模様なのに対し、霊の湯となると白鷺模様となるのである。
だからどうだというものはなかったが、白鷺のほうがランクが上らしい。道後温泉に行ってきた、という人の写真を見て、来ている浴衣が白鷺であったら上等コースということになる。
そういえば、この白鷺をやたらと目にする。
道後温泉本館の天辺にある望楼も「振鷺閣」といい、現にその先っちょに羽根を広げた白鷺の像がある。
建物の周りの装飾にも随所に白鷺が使われているし、浴場にも数々のサギの絵、そしてこの浴衣の白鷺。
いったいぜんたい、道後温泉とサギとどういう関係があるのだろう??
ナゾは散歩していたとき、駅前で判明した。
なんと、今をさかのぼること………何年前だか知らないが、とにかくこの道後温泉は一羽の白鷺が見つけたのだそうである。なんでも、足を痛めた1羽のサギが、岩間から湯が湧いているのを見つけ、毎日湯に浸けているうちに傷が癒え、元気に飛び立った、というのだ。
そのサギが止まっていた岩、というのがあって(道後温泉駅前にある放生園)、その説明書きですべての事情を知った。説明書きには、ほら、岩には足跡がたくさん残っているでしょう、とあった。しかし、僕はなんど目をこすっても足跡が見えなかった……。
足跡はともかく、この白鷺伝説で、白鷺が道後温泉の象徴となったのである。
そういえば、最近水納島に白鷺が多い。いつも同じ場所にいるヤツが数羽いる。
もしかして、そこに温泉が!?
それで、思いっきり掘ってまったく湯が出てこなかったら、コイツァ、とんだサギですな。
座布団一枚………。
あと、道後温泉本館には、又新殿(ゆうしんでん)という、皇室専用の浴室がある。ただ風呂に入るだけなのに、いくつもの間があって、はては武者隠しの間まであるという。明治以降に作られたのになぜに「武者隠し」なのかよくわからないが、とにかく警護のためだ。
道後温泉といえばウソか真か3000年の歴史があるというし、聖徳太子まで来ているくらいだから天皇だって来るのだろう。実際、昭和25年に昭和天皇が使用したらしい。
こればっかりは、たとえどれだけ金を積んでも利用することは出来ない。入りたければ、現在独身の皇族の伴侶になるしかない。
ちなみに、料金を払えば観覧だけは可能である。皇室マニアはどうぞ。
椿の湯
おまけと言ってはなんだが、別館・椿の湯というのがある。 300円である。
道後温泉の別館というからどんなところか、と誰もが期待を寄せてしまうけれど、椿の湯は完全無欠のただの銭湯だ。そう聞いてはいたものの、話のタネに行ってみようと、二日目の夕食後、しきりにうちの奥さんが切望したのでやむなく行ってみた。。
僕はもうたらふく飲んでしまったので、このまま心地よくコタツで眠りたい……という願いがあったのに、うちの奥さんは、宿で借りたきれいな浴衣を着て歩いてみたかったのだった
普通の銭湯なので普通に楽しんで普通に出てきた………のは僕だけで、うちの奥さんには問題が発生していた。せっかく着付けてもらった浴衣の帯を、今度は自分で結ばねばならなかったのである。
ひょっとすると誰か手伝ってくれるおばさんがいるかも、と宿のおかみさんは言っていたけど、この日は残念ながら、観光客に対する好奇の目を向ける人のみで(そりゃ異質な浴衣だから)、手を差し伸べてくれる人はいなかったようだ。
いずれにしても、羽織で隠してしまうから、グチャグチャであろうがなんであろうが気付かれる心配はないのだが………。
そして翌早朝、再び神の湯を利用した。結局、少なくとも2回、どころか、椿の湯も含めて都合5回も行ってしまったことになる。当初の目的は達成された、といっていいだろう。 |