うどんめぐり 2

引き続き 第一日

小懸家

 絶望の淵に立たされつつも、4050分ほど歩きつづけ、ようやく国道に出た。目指す交差点は目と鼻の先だ。
 まあ、しかし、さすが本場というかなんというか、うどん屋さんの多いこと多いこと。
 ひとたび大通りに出ると、ちょっと歩けば元祖、本家と書かれた看板の目白押しだ。
 さぬきうどんにとっていったいなにが元祖で本家なのかよくわからないのだが、今目指している店は非常にハッキリした元祖なのである。

 元祖しょうゆうどん。

 しょうゆうどんっていったいなに?と思われるかもしれない。そんなあなたに是非知ってもらいたい。これこそがさぬきうどんの醍醐味の一つ、麺の楽しみ方の基礎なのである。
 ようするに、ダシも汁もなんにもないうどんに、薬味少々かけて醤油をピッとたらし、そのまま食う、というものだ。
 早い話が刺身のように食ううどん、ということである。
 そんなの、味もそっけもないじゃない、などというなかれ。
 さぬきうどんの麺自体の力強さ、芸の細かさが、たったそれだけの味つけでなにものにも勝るゼータクうどんにしてしまうのである。

 ここ小懸家は、そのしょうゆうどんというものをメニューとして紹介した元祖であるらしい。

 国道沿いの店で、しかも作今のさぬきうどんブームということもあって、なんと第2駐車場まで用意してあるくらいの立派な店であった。暖簾をくぐってみると、ウワサに聞いたオデンがたくさん並んでいた。
 このオデン、讃岐の国のうどん屋さんにはなくてはならないものだという。
 というのも、この地でいううどんとは、つまり通常の食卓でいうなら「ご飯」みたいなものなので、うどんだけを食う、というのはご飯だけを食うというのと同じなのである。だから、うどん屋さんには、「おかず」に相当するものとして、オデンを置いているところが多い。うどんが来るまでの間、好きなのを取ってパクパク食っておく、ということもできる。
 うどんに乗せるテンプラがよりどりみどり、多種多様なのも、そういう意味合いであるらしい。
 おにぎりやおいなりさんを置いているところもあって、なんだか沖縄そば屋に似ていた。

 小懸家には、それら以外に独自の一品がカウンターにうずたかく積まれていた。
 大根である。

 しょうゆうどんには、大根おろしが欠かせない。ネギ、大根、しょうが、そしてしょうゆ、というのが定番なのだ。
 普通、しょうゆうどんを頼むと、お好みでそれらの薬味を入れられるようになっているものなのだが、この小懸家では、客自ら大根をおろすのである。そのための大根が、手頃サイズにカットされて山のように積まれているのだ。

 この大根、一人で食いきるには大きすぎる。いかに一本の値段がそれほどではないとはいえ、コスト的にわりが合わないんじゃないのか、と余計な心配をしてみた。
 そういう問題は最初から解決していたのだった。なんと店自体が大根畑を持っているのである。
 それも春まき、秋まきの二期作なので、年がら年中大量消費できるのであった。

 うどんを注文すると、さっそく大根ちゃんとおろし金が出てきた。
 シャコシャコシャコシャコシャコシャコシャコシャコ……………。
 うどんを食べる前の儀式のような、不思議な感じ。

 そうやっているうちに、うどんちゃんが出てきた。
 ああ、ツヤツヤだ………。
 おろしたての大根おろしをドバドバドバッとかけ、お好みですだちをしぼり、ネギ少々そしてしょうゆ(小懸家特製)を……。
 そして一気にツルツルツル……。

 う、うまい!!

 うまい。うまい。本当にうまい!!
 これはうまいぞ、ホント。僕が期待していたのはこの口の中の感触、のどごしだったのだ!

 いやあ、実は水車では釜揚げを食ってしまった関係で、はたして本当にさぬきうどんとは期待通りのものなのか?的な不安感が頭をもたげ始めていたのである。車で気軽にプップーと訪れるのならまだしも、何十分もえっちらおっちら歩き続け、そのくせ店に滞在するのはほんの1015分。これで期待通りじゃなかったら哀しいよなァ……、と、背中を丸めてしまおうかとも思っていたのである。

 ところが。
 ところが。
 さぬきうどん本では、この店ですら序の口的存在だと言われているのに、すでに僕にとっては期待以上ではないか。
 さぬきうどん万歳!!
 う〜ん、ボカァ、シアワセだなァ。

 シアワセ度が高すぎて、食っている間はあまり気づかなかったんだけど、実は調子に乗って「大」を頼んでしまっていた。なんだか腹が減っていたのだ。
 うどんといえど、二杯も食うと腹が膨れる。ましてや今食っているのは「大」である。
 食えども食えども器の中の麺が減らないくらいに量が多い。
 どれだけ美味しいとはいっても、この量をまったく同じ味で食い続ける、というのはあまりよくないのかもしれない。だって、あまりに腹一杯になってしまうと、もううどんは充分、満足満足、と頭の中のずぼら虫が騒ぎ始めてしまうのだもの。
 食べ歩くには、各店で腹7、8分目にとどめるのがいいらしい、ということに気がついた。

 小懸家に関する正恵データは次のとおり。

 小…450円
 大…いくらっだっけ?
 すだち
GOOD、しょうゆも特別。めん細めでツヤツヤ。噛みきれず。つるつる。コシあり。小麦の味やや足りず。

 ということらしい。小麦の味がやや足りない、というのは、水車のあとだから、というのではなく、ひととおりまわった後の感想である。

 とにかく満足した。
 腹一杯である。
 他の多くの客のように、このあとは車でピューッと帰る……のだったらどれだけ精神的に安定したろうか。だが我々は、ここから一路1時間近く歩かねばならないのだった。

 それにしても、たった2軒を周るだけでこの労力と時間……。経済効率的には相当バカ丸だしのような気がしなくもない。でも、世の中には経済効率よりも大事なものが多々あるのである。だからといってそれが「徒歩で行くうどん屋めぐりだ」、とは言わないけどさ……。

 小懸家を出て、帰り道についた。
 帰りも同じ道では疲労感が募るので、行きとは違う道をテクテク歩く。
 当初、満濃町のこの辺りまで来たら、せっかくだから満濃池をとくと見てみたい、と思っていたのだけれど、ここからさらに3、4キロも先へ歩かねばならない。同じ距離を歩いて帰ることを考えただけで気が遠くなっっているのに…。だからといって、しんどいから……と言えないのが健脚商売。ここはひとつお決まりのセリフである。そう、

 我々にはもう残された時間がなかったのである(by 水曜スペシャル川口浩探検隊シリーズのナレーター田中信夫)。

 この黄金のトライアングル、小懸家と並ぶもう一方の雄、長田が道沿いにあった。
 定休日でなければ迷わず立ち寄ったのだがなァ、と未練を残しながら通りすぎようとすると、なんとなんと
 「しばらくの間休業します……」
 という看板が。
 いやはや、これは……。
 ラッキーだったんじゃないか!
 もし、定休日を避けて翌日勇躍してやって来たとしたら………。僕はこの店の前で暴れ狂ったことだろう。いやあ、素直にあきらめて今日来てよかった。
 この長田、翌日事情通に聞いたのだが、休業にはなにやら深〜いワケがあるのだそうだ。
 これもひとえに昨今のさぬきうどんブームが招いた悲劇、と思えなくもない。
 ウワサの域を出ないのでここで詳らかにするわけにはいかないけれど、端的にいうとそういうことのようである。

 ネガティブ・ラッキーにちょっと気をよくしたので、足取りはやや軽くなった。足取りは軽くなったけど、腰はやっぱり重い。
 日はすでに西に傾き、平野を茜色に染め始めていた。
 車はたくさん走っているが、道を見渡すかぎり、歩いている人など我々以外にどこにも見当たらない。言ってみればこの道のりも貸切状態なのである。

 満濃町と琴平町の境あたりに川の土手道があったので、道路を離れて土手をテクテク歩いてみた。
 河原にはススキの穂が満ちていて、西日を浴びて黄金色に輝いている。
 名もなき土手でも、美しいものは美しい。
 土手ではあるが、軒を連ねる民家の裏庭状態になっていて、川沿いに生えている木を巧みに使い、洗濯干し場が作られていた。

 犬が一匹たたずんでいた。
 そばの家の飼い犬らしい。
 休憩も兼ねて、しばらく犬と戯れるうちの奥さん。

 すると、その家の勝手口からご主人が現れた。

 「どうかしましたか?」

 笑顔ではあったがやや不信げである。もしかして犬がなにか悪さをしたのか、という心配も多少あったろうが、こんなところでいったい何を??というのが大きかったろう。
 そりゃそうである。
 立派な道ですら人っ子一人歩いていないのに、こんな土手に見知らぬ異邦人が現れたんだもの。

 「え?ああ、ちょっと散歩を……」

 という答えに、はたして説得力があったのかどうか。事実なんだけど………。