金刀比羅さん
引き続き二日目
善通寺駅で電車を待っていると、日はすでに中天を過ぎ、午後の日差しに変わっていた。
明日はもうこの地を離れなければならない。
つまり、この午後しかチャンスがないのである。
なにがって、金毘羅さんでござんす。
けれど、午前中だけでいったい何キロ歩いたろうか。
これからさらに階段を登ろう、という気力をふりしぼらなければならない。そのくせエネルギーはうどんしか補給していない。
はたしてこれから階段を登ることができるのだろうか。非常に疑問である。
疑問ではあるが、ここに来て、しかも 92段目の宿にいて金刀比羅宮に参らないというのでは、たとえ参拝したからといってご利益があるわけではなくとも、参拝しないせいで天罰が下りそうだ。海の神様だけに罰は恐ろしい……。
こうなれば仕方がない。決死の覚悟で登頂するしかない。
歩きまわった後だったので、駅のホームや電車の中で座っている間は天国だった。
それが、琴平駅を降りた瞬間から地獄に変わるのか…。
それじゃあまりにも、ということで、まずは宿までの間にある灸まんでお茶することにした。
灸まん。
このあたり一帯、どこを歩いてもこの看板を目にしないところはない、というほどの銘菓である。
その本家本元の店舗なのだ(それを簡潔に「本舗」といえばいいのだった)。
ちょうど伊勢の赤福のようなもので、本元に行けばお茶ともども灸まんをいただけるのである。
緋毛氈が敷かれた茶席に腰掛ける。絶妙の休憩場所だ。
抹茶セットを頼んだ。
お灸の形に似ているから灸まんと呼ぶのだそうだ。が、そもそもなんでお灸の形にしたのかがよくわからない。何も知らずにこのまんじゅうを見ると、
「あは、ヒヨコまんじゅうの失敗作…?」
と言ってしまいかねない。
でも今は形などどうでもいい。
ああ………。
疲労の色濃い体には、甘いお菓子はまるで秘密のエネルギーカプセル。体の隅々にまで砂糖ば染み込んでいくかのようだった。
お茶も美味しい……。
大きな器の中に清楚なたたずまいを見せてこそ抹茶の抹茶たる所以だのだが、今はナミナミと注がれたものでもきっと美しく見えたことだろう。
さあて、元気百倍…………いや、 1.5倍くらいかな。とにかくまずは宿へ。
うどんめぐり用参考資料を部屋に置き、軽装にならなければならない。それよりもなによりも、まずはゴロリと横になって心の準備をしなければ。
さあ、時来たる。
いよいよ出発だ。
宿の玄関においてある杖を借り、参道の階段に踊り出た。
とまあ、大げさに書いているけれど、小学生でも普通に登れるのである。本来であれば大したことはない。ただ、すでにこの日10キロくらい歩いているという負荷が、体にどのような影響を及ぼすのか、不安がないわけではなかった。
左右の土産物屋を眺めつつ、ゆっくりゆっくり登る。
要は、思いつめたように一気に上り詰めないことだ。亀の歩みでいいのである。くじけりゃ誰かが先に行くけど、別に水戸黄門の歌ではないのだから。後から来たのに追い越されてもまったく問題ないのである。
そうやってゆっくり登って行くと、大きな建物が見えてきた。
え?もう到着?なんだ、早いなァ……軽いもんじゃん!
と思ったら、それは大門であった。
御本宮までの中ほどにある門で、ここから先が境内ということになる。まだ360段目くらいである。
土産物屋はここまでだった。門を境に格式ばった風情となる。
子供の頃のおぼろげな記憶では、御本宮の直前まで土産物屋が並んでいたような気がしていたのだが、そうではなかった。もしかして、大門まできて
「はい、ここが本宮」
って騙されていた、ってことはないよなぁ……。
門の手前にあった「甘酒」という文字に心惹かれたが、今酔っ払うわけにはいかない。帰りの楽しみに取っておこう。
大門をくぐると、不思議なお土産売りの人たちが日傘をさして並んでいた。
これ、写真の撮りようによっては黒澤明の「夢」のようなシーンになりそうな気配。
だけど買いもしないのに写真を撮るのが申し訳ないから、記憶にとどめるのみにしておいた。
実はこの方々、五人百姓と呼ばれる人たちである。境内で唯一商売を許された五軒の人たちなのだ。名前からして相当昔から続いているのだろう……と思ったら、相当昔どころではなかった。神代の時代からの話なのである。この地に農業を伝授したさるお方の子孫というのだ。よくよく見れば、ガイドブックにも漏れなく載っているではないか。
そんなこととはつゆ知らず。でも、もうちょっと目を引くものを売ってくれていればいいのに。加美代飴というのを売っていたんだけど、なんだかただのベッコウ飴に見えたのだ。名物らしいけどさ。神代以来だから加美代飴なのかな?
ここから先は、しばらく階段がない。緩やかな起伏が続く一直線の道になる。両脇に桜がたくさん生えていた。これ、春になればさぞかし美しかろう。
ときに階段を登り、ときに緩やかな坂を登っていると、やがて広場になった。ちょっと脇に御神馬さん発見。塩釜神社の御神馬さんのようになにか面白いことしてくれないかな、と思って立ち寄った。
3頭もいた。
血気盛んな若者と、おじいさん。なんとおじいさんのほうは、長寿日本一の神馬であるという。
名を北勇号という(写真右)。 27歳だそうだ。27歳だったら若いじゃん、と思うかもしれないが、馬の場合は4掛けしたものが人間の年齢に相当する。つまり……108歳!
金さん銀さん級のご長寿なのである。
108歳のわりにはなんだかえらい坊っちゃん坊っちゃんしたカットが面白い。
そうやってご長寿日本一を見ていると、隣の血気盛ん君が身を乗り出してご長寿さんにちょっかいを出しはじめた。上から下から、いたずらをするかのように。
ご長寿さんはそれをとがめることもなく、オォ、オォと愛想をふりまくのであった。
さて、休憩終わり。
さらに上を目指さねばならない。
そこからしばらく行くと、大きな大きな建物が見えてきた。
今度こそ御本宮に違いなかろう。足取りは一気に軽やかになる。
テックテックテック……
さあ、着いた!!………
………と思ったら、ああ、なんとそこは旭社という建物で、御本宮はまだまだ先だったのである。
これ、傍らの境内マップを見たからこそわかったけど、早とちりの人なら、ああ着いた着いた。はい、ウートートー、はい、帰ろ!と言ってとっとと帰ったりせんかね?
我々は冷静で良かった良かった。旭社の脇を通り過ぎ、さらにさきの御本宮を目指した。
最後のトドメ的階段を登る。
そして!
とーちゃあーくっ!!
今度こそ間違いなく御本宮!!
やっと着いたぞ!!
が!!
ここまでやって来て。人里を越えて神の域に来て。
なんで御本宮脇で工事などしておるのだァ〜〜っ!!
神聖なる境内で、禁煙と立て札のある境内で、正体不明の工事機械がモクモクと煙を上げていたのだった。
こういうとき、写真は思い出を美しいオブラートで包んでくれる。こうやって写真だけ見ると、まさか画面の右で機械がブルブル震えながら煙を出していたとは思えないものね。
この工事、どうやら来年の遷座式のための準備工事のようだった。
気を取り直して、展望スペースから讃岐平野を眺めてみた。霞みに覆われていたとはいえ、やはり景色は美しい。見渡すかぎりの平野に、ポンッとそびえる讃岐富士。ああ、そうだったそうだった、ここからの景色に見覚えがある。ここから「あれが讃岐富士や」と言っていた父の声を思い出した。
この景色を眺めるためだけでも、来る価値はある。
風景に心を洗われ、清い気持ちで御本宮にウートートーを捧げた。
海の神様である。
祭神は大物主命と讃岐で流され非命に終わった崇徳上皇だそうだ。
これは明治新政府が天皇の権威を高めるために行った神仏分離の結果そうなったもので、もともとはそれ以外に仏教由来の仏様というか神様もいらっしゃったのである。ヒンズー教の神様でもあるクンピーラというお方だ。ま、ガルーダが鳥人神だとすれば、クンピーラはワニ神様である。母なる川ガンジスのワニである。
インド生まれの神様は、仏教やヒンズー教などいろんな方面でご活躍なので、どの宗教に所属、という明確な区別はない。クンピーラも、そのご利益が愛されたからこそ日本で広まったのであって、特に仏教だからというわけではなさそうだ。ちなみに仏教では、このクンピーラ様は薬師十二神将の宮毘羅 (くびら)大将というお偉いさんであるらしい。
もともとはガンジス川のワニだったのだけれど、日本に来てからは転じて海関係の神様、仏様ということになったのであった。
ま、ようするに金毘羅さんというのは、神仏分離がなされる前は、形式的にもいろんな宗教の集合体だったわけである(金毘羅、金刀比羅と書き方にいろいろあるが、とにかくコンピラという音であればよかったのだ)。現在は一応「神社」である。
クンピーラが海関係を担当する一方、大物主さんすなわち大国主命は出雲大社同様の守備範囲を持っている。金毘羅さんのお札売り場の守備範囲が広いのはそのためなのだ。
が、我々にとっては金運や縁結びは関係ない。ちょっとだけ農業チックな願いはあるけど、なんといっても海の守り神様にちょっとだけでも微笑んでいてもらいたい。決意の百円を賽銭箱に投げ入れ、キチンと拝礼しておいた。
金刀比羅の神様の営業範囲が、沖縄まで網羅していることを願う。
さあて、御本宮へのお参りも済ませたし、さあて、帰るか!!
………とはいかないのだった。
実はこの先には、奥社(おくのやしろ)とも呼ばれる厳魂(いずたま)神社が鎮座している。なんとさらにここから583段も登らなければならない。
ムムムム…である。
非常にムムムム…なのだが、若い人はわりと奥社まで行っているみたいですよ、という宿の方の言葉が、ここにきて非常に挑戦的な響きとなった。あらためてムムムム…とやる気を引き起こし、さらなる登頂を目指したのだった。
……という具合に、僕の中ではすさまじい葛藤があったのだけれど、それはまったく無駄だった。だって、うちの奥さんときたら、ハナから奥社まで行くつもりだったのだから。
奥社
この先の583段がつらかった。
ここで終わりかな、と思ってからの再出発というのは、けっこうこたえるものである。
7回で交替かな、と気合を入れて抑えた後、次の回も行ってくれ、と言われて投げる先発ピッチャーのようなものだ。
ホッと一息ついた途端、午前中のうどんめぐり歩きの疲れがドドドドドッと体に蔓延してしまった。
それでもなんとか歯を食いしばり杖をつき、えっちらおっちらと登っていった。途中途中に休憩用の長椅子があるので、一服し、また登っては一服、というのを繰り返す。1度座ると立ち上がりたくなくなってしまうので、休憩は1分!と固く誓いながら。
奥社までの途中に常盤神社、菅原神社、白峰神社というのがあった。これもまた迷惑な話である(あ、バチが当たってしまう…)。
ああ、たどり着いた、終わりか、終わったか……と思いきや、まだまだ半分ですよ〜んと舌を出されたかのような……。9回のマウンドで今度こそ終わりか、と思ったら、延長戦に突入してしまったようなものだ。
さらに階段を登る。
曲がり角ごとに長椅子があるので、そのたびに休憩する我々。
でも、このコマメ休憩作戦、思いのほか体に優しかったのだった。
昨日は飯も食えないほどに衰弱してしまったけれど、この日は絶好調だったのである。体が慣れたせいもあろうが、何事もゆっくり、というのが健康の秘訣のようだ。
しんどいことはしんどいけれど、道のりはまるでハイキングコースのような森の中で、御本宮までの道のりとはまったく異なる。御本宮までの参道も、季節はずれということもあって随分すいていたけれど、奥社への道はほとんど人と会わなかった。ひっそりとたたずむ木々が、すがすがしい空気を発していた。
そしてとうとう。
もう、騙されないぞ、ぬか喜びはしないぞ、とやや警戒していたけれど、今度こそ正真正銘の奥社、厳魂神社!!
とーちゃあーくッ!!
さすがに訪れる人の姿は少ない。我々が着いた時には他に誰もいなかった。
シンと静まりかえった神社の手前に社務所兼お札売り場があった。
人の気配がない。本当に誰もいない。
御本宮からさらに上にきたこともあって、ここから眺める景色は格別だ。
傍らにくちかけた双眼鏡があった。たいてい有料なのに、コインの必要がない(ちなみに御本宮では100円必要)。
ほうほう、感心感心と思って覗いてみた。が、こりゃタダで当然。だって、あまりに高い位置だから、覗いてみてもなにがなんだかよくわからないのである。これで100円取ってたら詐欺だよな。
眺めの良い景色の反対側は急な崖だ。岩肌自体が厳かである。上の方にある天狗のお面がなんだか不気味だった。
そういや、途中の菅原神社や白峰神社は、この世に大きな恨みを残して死んでいった二大怨霊、菅原道真と崇徳上皇を祭っている神社である。御本宮の祭神、大国主命も考えようによっては怨霊かもしれないらしい。金毘羅さんの懐の深さが、彼らを鎮め続けてくれているのだろうか。
休憩していると、若いカップルが来たので、彼らにもこの雰囲気を味わわせてあげようと思い、すれ違いに帰路についた。
帰路もコマメに休憩休憩である。下りの階段は楽そうに見えるけど、登りとはまた違う筋肉を使うエキセントリック運動になるので、やはり急いではいけない。
そうやって休憩していると、さっきすれ違ったカップルがもう参拝を済ませ、とっとと降りてきた。せっかく来たのに早過ぎやしないか?
また、休憩中、スタスタ登って行く若夫婦とすれ違った。なんと、旦那のほうは子供を肩車しながら歩いている。
ウーム…。もし僕がここで子供連れで、子供が駄々をこねて歩きたくない、などと言い出したら、そのままそこに放っておくか、千尋の谷底へ蹴落としてやったことだろう。肩車して歩いていくなどとてもできない。さすがにつらそうだったけど…。
そして、コマメに休憩していたら、今度はその若夫婦にも抜かされてしまった。みんな、奥社でキチンと場の雰囲気を味わっているのかな。
途中に石碑があった。よく見てみると、なんとご家族で、奥社の参拝を1000回達成した、と書いてある。
1000回!!!
信じられん。
〜♪思いこんだら試練の道を、行くが信仰のど根性。
行きとまったく同じ道のりながら、帰りは見通しがついているので気分的に非常に楽だった。あっという間、ではなかったけど、思いのほか楽に御本宮に戻ってきた。
さすがに全国から参拝者があつまる金毘羅さんの本家本元だけあって、お札売り場も品揃えが豊富だ。最近は商売気を出し始めたのか、「幸せの黄色いお守り」などという、いわゆるお守りのキャンペーンをやっていて、お札売り場にズラリと陳列されていた。こんなもの、ようこそここまでいらっしゃいました、って配ってくれりゃいいのに、800円もするのである。買わんぞ、普通。
だからといって、木で出来たお札にはご利益があるのか、というと自信はないんだけど、やはり本家本元なので、海上安全のお札を買うことにした。最もでかいのは2万円もする。1m近い大きな物で、大木札(だいもくさつ)と呼ばれているそうだ。ここ金刀比羅さんにしかないらしい。
なんでも、その昔難破した船に乗っていた人が、このお札につかまって命拾いした、という伝説があるという。でも冷静に考えると、そもそも難破した時点でご利益ないじゃん、ってことなんじゃないの??
いずれにしても、僕が命拾いするためには、もう少しやせなければならないようだ………。
ちなみに我々が買ったのは最小の千円である。小木札という。大木札は、製作課程の最終段階でご神職が二夜三日祈祷を捧げるのだそうだが、値段でご利益が変わるのなら、僕は神様を信じないぞ…。
水納海運にもお土産にお札を買っておいた。
後日、島に帰ってきたとき船長カネモトさんに渡したところ、
「神様同士ケンカしないかな?」
と心配顔だった。カネモトさんらしい。
水納丸には波の上宮の立派なお札があるのだ。
ウーム。うちの船にもすでに波の上宮のお札がある……。あまり神様同士の仁義については詳しくないので、なんの根拠もなく大丈夫でしょう……と言っておいたけれど、はたして大丈夫なのかな?
海の神様だから、海中安全のお札だってあってもいいのだけれど、やはりまだまだ、日本の人口におけるダイバーの割合というのは微々たるものなのだった。
御本宮のとなりにいろんな奉納品がズラリと展示されているところ(絵馬堂というらしい)があって、さすがに船関係が目白押しだ。日本全国津々浦々、ありとあらゆる海事従事者たちの船の写真が額に入れられ飾られている。
中には実物もあった。
「太平洋一人ぼっち」で有名な堀江謙一氏が、さらなる冒険航海で使用したモルツ・マーメイド号である。
ただ、実績は立派な船なんだけど、ハタから見ると、水納島の草むらに転がっている米軍機の燃料タンクで作ったカヌーと大して変わらない。金毘羅さん的には、奉納されて喜んだのかどうなのか……。
しばらく御本宮周辺で休憩した後、行き同様、旭社の脇からスタスタと帰路についた。すると、登ってきた熟年夫婦が、旭社の前で
「あー、着いた着いた!」
と満足げに終了宣言をしていた。
奥さんのほうは、まだこの先に何かある、という気配を察知してご主人に告げているのだが、ご主人のほうはもう目一杯だったのか、この旭社で終了しようとしている気配がある。
やはり、御本宮と間違えてしまうのである。だって、建物そのものも御本宮より大きいのだもの。
真実を言ってあげようか、と思いはしたが、ひょっとするとワザとここで終わらせるつもりであるかもしれないし、余計なことはしないことにした。
あー、あの夫婦はちゃんと御本宮まで行ったかなあ、とやや気にしつつ、階段を降りた。
だがしかし。僕らは人のことをとやかく心配している場合ではなかったのだ。実は我々も致命的なミスを犯していたのである。金毘羅さん初心者の我々には思いも寄らぬ失敗……。真実はこの晩明らかになった。
途中、何ヶ所か設けられている休憩所のひとつで、先ほど我々を抜かしていったカップルと若夫婦に追いついた。かなりコマメに休憩しても、1ヶ所で長く休憩しても、結局かかる時間は同じだったのだ。
大門まで戻ってくると、先ほどの五人百姓さんの数が減っていた。そろそろ店じまいのようだ。置物のように一日中いるのかな、というくらいの不思議な光景だったのだが、やはり彼女たちも寒いのだった。あとで調べてみると、冬場は7時〜17時までなのだそうだ。
大門のすぐ外側に、甘酒を売っているおばあがいる。
大門の外だから五人百姓ではない。
疲れた体に「甘酒」という文字は魅力一杯だ。すでに帰路に着いた時点で甘酒待機態勢だったから、もしここでおばあが店じまいしていたら僕はひっくり返っていたことだろう。
さっそく甘酒を頼み、長椅子に座って一口、二口。
うまぁぁぁぁい!!
美味いけどなんだか想像していた「甘酒」と違うぞ、これは。
よく見ると、米粒がたくさん浮かんでいる。
「これって、普通の甘酒と違うんじゃないの?米が浮いてるよ」
とすかさずうちの奥さんに訊いた。
「えー?こういうもんでしょ、これ、酒カスだよ…」
ふーん、そうなのか。でもなんだか腑に落ちない。
おばあに訊いてみた。
「あぁ、これは酒カスじゃないよ。お米に麹をまぜて醗酵させてあるの。アルコールはほとんどないけど、美味しいでしょ?」
うん、美味しい!!
と返事をし、そしてうちの奥さんにはやや勝ち誇った笑顔を見せた。やっぱり普通の甘酒と違うじゃないか!!
湯のみには、こんぴら名物と書かれてあった。そりゃ名物になるだろう。帰りに飲んだら美味さ倍増だもの。
ふと疑問がよぎった。
このおばあちゃん、どこに住んでいるんだろう?
もしかして、ここで営業するために毎日階段を登ってくるの?
「そうよ。おかげで健康にとってもいい!」
すごい。
いくら道のり中程の大門とはいえ、365段あるんですぜ。
1000回奥社へ参るのと、甘酒を売るために何十年もの間来る日も来る日も300段を登るのと、いったいどっちがすごいだろうか。僕は迷わず甘酒おばあに軍配を上げた。
大門からはもう、あっという間で宿である。
一度登ってしまえば、御本宮まではお茶の子さいさいだ。
だからといって、この旅行中はもう二度と登ることはあるまい、と思っていた。
それがまさか、翌朝再び登ることになろうとは………。
疲れた体を温泉に浸け、「ウフィ〜〜〜ッ」とヨロコビの声を上げている時には、まったく想像だにしていなかったのだった。 |