〜湯けむり地獄うどん旅〜

露天風呂

 別府といえば、源泉の数、泉質の多さは世界有数といい、湯の湧出量は都市別でいうなら日本一なのだそうだ。そして、泉温が高い事でも有名だ。
 なにしろ鉄輪あたりでは軒並み摂氏100度近いのである。その泉温の高さゆえに
 「地獄蒸し」
 なる料理が有名なのだが、泉温が高いのは宿の露天風呂も同じである。
 どれほど熱い湯が好き、という方であっても、おそらく水で埋めずにはいられないだろう。

 幸い、夕食前にひとっ風呂浴びに行ったときは、もう出ようとしていた先客がいて、水を足したことをわざわざ断ってくれた。おかげで、僕にとってはすっかり適温状態であった。

 露天風呂といっても、街中である以上、周囲をくまなく見渡せるような眺め素晴らしき空間、というわけではない。男女それぞれ、庭園風に仕切られた囲いの中の露天風呂である。さして広いというわけでもない。
 それでも。
 これが気持ちいいこと気持ちいいこと。  
 カポンッと浮かんでいるでっかいザボンの香りもさることながら、やっぱり正真正銘の温泉である。ジワワワワ〜ンと体に響く。
 夜気が体を包んでしまう前に、チャポンと湯の中へ。
 いや〜、天国だ。
 湯気が天井からぽたりと背中に。
 冷てえな、ハハン……てな感じである。
 隣の女風呂から、うちの奥さんの
 「ウヒャァ〜〜…」
 という、満足度
100パーセントの声が聞こえてきた。女風呂では、滞在中ずっと貸切状態だったらしい。僕もほとんどそうだった。やっぱり、混む時期をはずしたほうが旅行は楽しい。

 あまりに気持ち良いので、10分やそこらで上がってしまうのが惜しかった。
 惜しいので、岩に腰掛けて休憩しては、湯に浸かる、というのを何度もくりかえした。温泉好きの某海洋写真家なら、おそらく3時間くらいは出てこないであろう。

 泉質はナトリウム塩化物泉らしいが、だからといって僕にはなんのウンチクもない。効能などの詳しい事は専門のサイトをご覧いただきたい。ただ、舐めるとたしかにしょっぱかった。そして、一日の疲労がまるで湯に溶け出すようにあっという間に取れてしまう、というのも、まぎれもない事実である。

 夜は消灯と清掃の関係で11時までだったが、うれしいことに朝は好きなときに入れるので、朝飯前に目覚めのひとっ風呂も入り放題。冬のこの時期、朝から全身ポッカポカというのは何にも増して贅沢なひととき。以後、この日晩飯後にもう一度、翌日目覚めに一回、夕食前に一回、最後の朝も飯前に一回。しっかりと堪能させてもらった。

黒砂糖効果

 温泉の効能には、腹を減らせる、というのもあるのだろうか。
 それとも、胃腸にビビビと働きかけるのであろうか。
 旅行中ずっと、温泉に入ると足腰の疲労が抜けていくとともに、さして減っていなかった腹があっという間にグキャラグキャラピーピピピーと大合唱を始めるのである。

 この日も、風呂から上がってきたら、抜群の空腹状態だった。
 先ほどのおにーちゃんが一生懸命配膳してくれる。
 食卓に、次々に美味そうなごちそうが並んでいく。
 ああ、いかん。思い出しただけで腹が減ってしまった。続きは夕食後に書こう。

 ●  ●  ●

 うむ。腹がくちた。今なら余裕で食事を思い出せる。ああ、でも質素な食事で腹を満たせて豪華な食事を思い出す、というのも虚しいものがあるなぁ。

 さて、夕食には例によって、ビールを頼む。
 食膳に並んだ料理は、近海産の魚たち。どれもこれも、美味しいよぉ、美味しいよぉ、と身をくねらせてささやきかけてくる。
 露天風呂に浸かった後、ビールで乾杯してこういった料理を食う、このひとときの事を、
 「舌鼓を打つ……」
 というのでしょうなぁ。極楽極楽。

 ヒラメやカンパチの刺身。ああ、美味い。シタビラメのソテー。ああ、美味い。
 魚だけではない。フロフキ大根のようなサイズの茄子田楽も美味かった。
 モズクは、沖縄の我々は食い飽きるほど食っているのだが、それに載っていた柑橘系果物が、モズクの酢の物を絶妙な一品に代えていた。この柑橘系、朝の焼き魚料理にもついていて、それを絞ってから魚を食べると絶品なのである。
 ゆずでもない、カボスでもない、もちろんシークヮーサーでもない。いったいなんだろう??
 朝食のときに配膳してくれたご婦人が、てっきり宿のおかみさんと思って訊いてみたのだが、
 「さあ、何やろねぇ…」
 と、大変心もとない。仲居さんだったのだ。
 「ゆずやろか…あ、ゆずやないわ……カボス……違うねぇ……」
 どうやら僕らと同程度の知識であったらしい。

 あとでわかったことだが、これはダイダイであった。
 このあたりはまさに柑橘系果物の天国で、ちょっと歩いただけでたわわに実ったミカン類の木がたくさんあるし、スーパーや八百屋には、何種類ものみかんの仲間が並んでいる。
 カボス、ザボン、イヨカン、ダイダイ、みかん、ポンカン、ネーブル……。その他明らかに輸入であろう品も加えるとものすごい量になるのだ。
 こういった柑橘類を使った調味料も数多く、うちの奥さんは「カボスポン酢」を思わず買ってしまった。また、ある小さな村の農家が売り出したという「カボスマヨネーズ」というのも非常に魅力的だったのだが、この後の旅程を考え、やむなく購入を断念した。とにかく、みかん類の王国だ。

 そのダイダイ入りモズクを味わっているときだった。
 おもむろに宿のご主人がいらっしゃった。
 「これ、少ないですけど、よかったら召し上がってください……」
 おおっ!!なんだかわからないが刺身ではないか!!
 まるでフグ刺しのように美しく円を描いたお造り…。
 「これは一体……?」
 「ヒラメです。それで、これが縁側。」

 ああ!ヒラメの縁側………!!!美味そう!!というか、食ったことない!!!
 なんと、我々が沖縄という遠方から来ているということを知り、特別に作ってくださったのである。
 もちろん、黒砂糖のお礼、ということでもあったのだ。
 翌日も、太刀魚やスズキの刺身といった通常メニューのほかに(それだけでも腹一杯のごちそうなのだが)、スズキのアラ煮やネギをまぶして醤油をぶっ掛けたカンパチの刺身がご主人の手で運ばれてきた。なんとありがたい、なんと美味い……。

 黒砂糖って、せいぜい300円なんですけど……なんて、言い出せるはずもなかった。

 満腹である。満足である。シアワセである。
 食後一休みしてから再び湯に浸かった。
 
120パーセントの充足感と気持ちいい湯のおかげで、体の芯の奥深くまで、じっくりと包み込まれるように温まる。

 再び、隣から声が聞こえてきた。

 「ウフィ〜〜〜〜ッ」