温泉閣
鉄輪での宿は、「入湯御宿 温泉閣」というところである。
有名温泉地だけに宿が多く、大きなホテルから小さな貸間宿まで幅広い。
鉄輪は古くからの温泉地だけあって、湯治を目的とした滞在客が今も多いそうで、大きなホテルが出来ている一方で、昔ながらの貸間宿も数多く残っている。
貸間宿というのは、部屋に台所があって、自分で炊事するタイプの宿のことだ。その分滞在費が安くなり、長期間の湯治が可能になる。
そういった古くからの湯治場的町並みがいまだ色濃く残っていて、今や「日本の残したい風景」とか、いろんな名所ランキングで、常に上位にランクされるようになっているのである。ともすれば古臭い、と見られがちな町並みが、れっきとした観光資源になっているのだ。
ふと考えたのだが、目の前に海があり、後背に山があり、温泉街である、といえば熱海もまったくそのとおりなのに、熱海は現在パッとしない。
なぜか。
町並みも景観も由緒もまったく無視したバブル的ホテルラッシュのせいである。
カンキチ・オミヤの舞台として知らぬ人とてない名所であるのに、金儲けに目がくらんだ人たちのせいでああなってしまったのだ。
その点、鉄輪はえらい。
たしかに、ちょっと歩くとバブルの名残的ムクロをさらしている建物もほんの少しあったが、圧倒的にこじんまりした宿が多いのである。そして、湯の町としての界隈を観光資源として生かそうとしているため、かつての景観がほとんど損なわれていない(らしい)。
まったくもって我々の好みに合うではないか。
もちろん、我々が泊まる温泉閣も、こじんまりした宿だ。最近露天風呂つきの新館が出来たそうなのだが、その新館の部屋はたったの3つ。ね、こじんまりしているでしょう?
鉄輪口のバス停から歩いて3〜5分ほど、と聞いてはいたけれど、やはりバスから降り立つと、どこがどこなのやらわからない。ガイドブックの拡大地図を照らし合わせ、おそらく合っているであろう方角に歩いてみた。
日は沈んでいたが、まだ残照が町の姿を見せてくれていた。
建物のそこかしこからモクモクモク…と湯けむりが出ている。
いや、湯けむりというにはあまりにも激しい蒸気の噴出だ。
そして、路地という路地の排水溝からも、湯気がモワモワモワモワと出ている。
ああ、温泉街、温泉の町。「湯屋」にやってきたのだ!
「いでゆ坂」「湯けむり通り」など、出湯の町の情緒たっぷりの通りが絡み合うあたりに目指す宿があった。知ってはいたが、なんと驚くなかれ、寺の境内にある。温泉山永福寺という寺である。
温泉開基の寺、ということで、鉄輪の温泉地としての発展に多大な影響を与えた一遍上人をたたえたお寺なのである。
釜ジイが操っているかもしれない釜から噴出す蒸気の向こうに玄関があった。
さっそく部屋に通してもらった。
新館にできたという露天風呂に入りたかったので今回は新館をお願いしたのだが、どうやら棟続きの旧館に泊まっていても露天風呂の利用は可能だったらしい。二人合わせて1泊3000円の差だったからちょっとクヤシイ…かな。でも、新館にはトイレと洗面所が部屋に付いているから、この寒い時期なら新館で正解だったろう。
暖かい季節なら、明治年間から3代にわたる湯治旅館としての雰囲気を味わうためにも、お泊りは本館のほうがいいかもしれない。
家族で運営しているという宿だけあって、部屋へ案内してくれたのは高校生のおにーちゃんだった。入れ替わりたちかわり二人ほどいたので、息子さんというわけではないのだろう。
聞けば、近所の高校生ということだった。
この歳からこんな濃厚なサービス業を経験していれば、そのへんのクサレダイビングインストラクターなんかよりもよっぽど社会人として立派であることだろう。
なんでも、今は仮卒業期間ということでバイトしているのだそうだ。
我々が沖縄から来た、ということを知り、彼は興味津々であった。まだ行ったことはないらしく、沖縄っていいんでしょうねぇ、とキラキラした目で言うもんだから、
「海しかないよ」
と言うと、
「海がいいじゃないですか。こっちなんて温泉だけですからねぇ…」
我々はその「温泉だけ」がとってもうらやましいのだが……。やはり人間、どこに行っても無いものねだりになるようである。
何度となく出入りするので、その他にもいろいろ話す機会があった。僕らとしては温泉情報をいろいろうかがいたいところである。だが、我々がいまだに首里城正殿に入ったことがないのと同様、彼も別府の有名どころに関してはあまり詳らかではないようだった。地元の人間というのはえてしてそういうものなのだ。
時間が時間だけに、着いて早々食事の時間である。でも、基本的に部屋で食べられるらしく、ある程度時間を選べたのがうれしかった。まだ腹が減っていなかったし、まずは旅の垢を落とす意味でも湯に入りたいところである。
その前に、おにーちゃんたちに渡すものがあった。
黒砂糖である。
黒砂糖
なんでいきなり黒砂糖か、と戸惑われる事だろう。
僕も、うちの奥さんが黒砂糖の箱が3つも入った紙袋を手に家を出発したときには面食らった。
しかし、話を聞いて納得。
ここ数年我々は池波正太郎の本をよく読んでいる。
鬼平犯科帳、剣客商売、仕掛人・藤枝梅安……。池波正太郎は知らない方でも、これらタイトルを聞けば
「ハハン……」
とうなずく方もいるだろう。
江戸っ子である池波正太郎の作品では、作中の人物の作法には、なるほど、これがマナーというものか、と思わずうなるところが数多い。
なかでも、
「こころづけ」
というのが重要だ。
宿、料亭、酒屋、なんであれ、ちょこっとチップをはずむのである。このちょっとしたことで、ゲストもホストも気分よく過ごすことが出来るのだ。
おっと、僕らの立場でこんなことを書くと、なにやらみなさんに催促しているようなので甚だ恐縮だが、心配御無用である。クロワッサンにこころづけをはずんでも、何も返ってこないのだから。はずむだけ無駄、ということはみなさんご承知の通り。すまんのー。
それはともかく、今回、この「こころづけ」というものを是非実践してみたい、とうちの奥さんは考えたのであった。
かといって、今の世の中、大手の料亭などでならともかく、現金を包んで渡すなど、脂ぎった政治家どもくらいのワザではなかろうか。ましてや我々では身分不相応というものだ。
そこで考えたのが黒砂糖である。
沖縄らしく、それでいてうろたえるほど高価でもなく、かさばらず重くない。
この後2軒でお世話になる予定だから、合わせて3軒分。黒砂糖クラスがちょうど良かったのである。
さっそく、テキパキと働いてくれるおにーちゃんに手渡した。
宿泊者カードに住所を書くよう言われていたけれど、これ一つで沖縄から来た、とわかってもらえるのも便利だ。
そして。
空港のような売店でならいざ知らず、せいぜい300円程度で買えてしまうこの黒砂糖が、まさかそこまで……というくらいの形になって返ってこようとは、神ならぬ我々の知る由もなかった事なのであった。 |