地獄列伝
さて、いよいよ地獄めぐりである。
地獄めぐりをする場合、別にどこからどのように行ってもまったく問題はない。ただ、モデルコースのようなものがあって、それによると「海地獄」からまわるのが一般的であるらしい。たしかに、各地獄での標識は、海地獄から周ってきた場合の次の場所、という雰囲気だった。
貴船城から戻ってきた我々は、手近なところから行ったので、その一般的順序とはまったく関係がない。
ところで、鉄輪はいまだに昔ながらの町並みが残っている、とか、熱海のようにバブル化(以後ずっと熱海化という)しなかったから健全なのだ、とかさんざん述べてきたけれど、実をいうとこの「地獄」たちはかなり熱海化しているように思われる。いで湯情緒を観光資源に活かそうという人たちがいる一方で、昔からの観光名所である地獄さんたちは別の方向に進んでいるのだ。
その対比がまた面白いといえば面白い。熱海化した地獄さんたちもある意味捨てたものではなかった。
なんで狭い地域に地獄が密集しても成り立っているのかというと、この地獄さんたち、泉源の泉質がそれぞれ異なっているからである。泉源ごとに地質条件が違うため、その地層に含まれる成分が異なるのだ。だから地獄ごとに、沸き立つ池が海のように青かったり、血のように赤かったり、ドライアイスのように白かったりする。1ヶ所だけ見て「へぇー、なるほど…」で終わっていはいけないのである。
また、各地獄ではこの圧倒的に熱い湯や地熱を活かし、動物を飼ったり植物を育てたりしている。そうやってそれぞれ特色を出している………のだが、これがまた、観光地としての成立が古いだけに、逆の意味で一見の価値ありだったりするのだった。
白池地獄のハゲハゲピラルク
いよいよ地獄めぐりの開始である。
もっとも手近だった白池地獄から周ってみた。
その名の通り、真っ白な池が広がっている。池と便宜上いうけれど、すべて熱湯なのである。湧き口からはもうもうと蒸気が噴き出している。スターの舞台ならドライアイスが地を這うようにモウモウと涌き出るが、地獄の蒸気はスターも一般市民も何もかも隠してしまうほどに噴出するのだ。
この地獄での謳い文句は、
「アマゾンの人食い魚がいる!」
であった。
いまどき、ピラニアをもって「アマゾンの人食い魚!!」と仰々しくいうあたりがレトロ感たっぷりではないか。知らない人がいるかもしれないから念のために言うけれど、いまどき熱帯魚店に行けば数百円で買える代物なのである。
湯熱を利用した飼育水槽がズラリと並んでいた。
ピラニアだけでなく、いろんな淡水性熱帯魚が飼われている。
今風のナチュラル風水草たっぷりの美しい水槽だったらいいのになぁ、と、ほんの少しだけ期待していたのだが、
「アマゾンの人食い魚!」
と銘打つところにそんな水槽があるわけなかった。俗に言う「丸太飼い」とういやつで、魚以外何も入っていないという、割烹の活魚水槽のような風情。温泉効果なのか、居並ぶ魚たちはどいつもこいつも健康そうだったが、なんだか少し寂しそうであった。
メインイベントはピラニアではなかった。
世界最大の淡水魚、ピラルクである。川口浩探検隊シリーズのような看板があった。
「アマゾンの大王魚 ピラルク」
大王魚ってあなた……。
たしかにでっかいからなぁ。2、30年前は相当な注目を浴びていたのだろうなぁ。
水槽の近くには、殉死したらしいピラルクの剥製がニ体あった。なにやら説明書きがあったので読んでみた。
「ウロコを剥がさないでください!」
ん?
あ、よく見ると、剥製のウロコの半分近くが剥ぎ取られているではないか。
うーむ。レトロ感たっぷり、と思っていたけど、訪れる客の質はまったく変わっていないということなのかなぁ。
金龍地獄で地獄蒸し豚マン
白池地獄と向かい合うようにあるのが金龍地獄である。
例の白蛇様も金龍と崇め奉られていたけど、このあたりには金龍信仰みたいなものがあるのだろうか。
この金龍地獄の玄関も、相当な熱海化である。中華料理屋に入るような気分だった。
猛然と吹き出る蒸気の向こうに、ときおり観音様がお姿を現される、という趣向になっていて、その一瞬にウートートーをすればよいのだそうだ。そのチャンスを待ってみたものの、あまりに噴気が凄く、待てど暮らせど観音様は全然見えなかったので、あきらめてぐるりと回り、近いところから直接拝んだ。こうするとあんまりご利益はないのだろう。
傍らには、円谷プロ顔負けの巨大な龍の像があった。かなりの熱海化である。観音様の周りには、お地蔵様や不動明王などいろんな方々がいて、なぜか弘法大師もおわせられるというのに、この巨大な龍はいかがなものか。原色なんですぜ。観音様が一気に胡散臭くなるじゃないか。でも記念に写真を1枚パシャ。
ここには温泉の試飲施設があって、涌き出る湯を柄杓で汲んで飲む事ができる。
ただし、泉温100度弱である。
神社の手水のようなつもりで飲もうものなら、効能をのんびり読んでいるどころではなくなるので要注意だ。その隣には、噴気をのどに当てる場所があったので、特にのどにも悪運にも問題はないものの試しにやってみたら、一瞬でのどが焼けそうになった。地獄恐るべし。ま、近づけすぎただけという話もあるが…。
ここでは、湯熱を利用した温室でいろんなバナナを育てていた。玄関の売店でそれを加工した食い物を売っているのだ。作りおきなら安く済むが、多少高いけれど注文すれば、たわわに実っているところからもいだヤツで加工してもらえるようである。そのバナナに、
「もがないでください!」
と札書きがあったのには笑った。もぐヤツがいるのだなぁ。
バナナはうちの庭にも実るので、特に思い入れはない。それよりも、地獄蒸し豚マンというのに惹かれた。
この2月から鉄輪地域で初めて売り出した豚マンなのである。
それまで、地元でボランティア的に活動していたご婦人がたが、意を決して手作り豚マンの売り出しに臨んだ、ということが地元の新聞に載っていた。ここ以外でも各地で売っているようだ。
あまり腹一杯になるとあとあと困るので(まだいろいろ食う気でいたから)、とりあえず一つ買って二人で半分ずつ食べた。みどり牛乳のコーヒー牛乳も一本。
二つに割ってみると、手作りっぽい温かさがジワリと現れた。うむ、美味い!
二十四年ぶりのリターンマッチ鬼山地獄
金龍地獄のすぐ近くに鬼山地獄がある。
別名ワニ地獄と言われている。
何を隠そう、というか、今ごろ言うな、という感じだが、実は僕は子供の頃家族で別府まで来たことがあった。当時別府に日本初のサファリパークができ、そこへ連れていってやろう、というのが子供向けの主目的だったのだ。
その頃としてはけっこう旅行が多かった家庭なのだが、なにしろ父は予定を事前に発表するということをしないので、サファリへ行く、と知ったのは出発前日くらいであったような気がする。しかもカーフェリーで行くと言う。
事前に知っていれば、出発の日を心待ちにするワクワクドキドキの期間も随分楽しめたと思うのだが、なにしろ直前である。行った、という記憶しかない。
しかないが、サファリは楽しかった。そして、地獄も何ヶ所か回った。
ところがその頃、ようやく日本の観光地が車で溢れかえる、というのが目立つようになってきた頃で、我が父の思惑とは裏腹に、行きたいところ、寄ろうと思っていたところにことごとく行けずに、そのまま日向の港まで、ということになってしまった。行きかえりの船で合計2泊したものの、九州はまったくの日帰り予定だったのである。
その寄ろうと思っていたところの一つにワニ地獄があった。
子供を下へも置かない育て方をする今とは違い、当時の子供なんてすべからくぞんざいに扱われていたものだ。何かを買ってほしい、とねだっても、今度買ってやる、家で作ってやる、という軽いウソで済ませるのが普通だったのである。
しかし、みなさんの記憶もおそらくそうであるように、大人の軽いウソというのは、大人が考えているほどには子供は忘れてくれない。あの時買ってくれるって言ったのに、作ってくれると約束したのに…。
理論的にはどう考えても子供のほうに利があるのだが、しつこく責めると
「ウルサイ!!」
の一言で終わってしまうのであった。
このワニ地獄もそんな場所の一つなのである。
サファリでの興奮冷めやらぬなか、ワニがウジャウジャいる、という情報を聞いて子供が黙っていられるはずはない。何をさておいてもワニ地獄に行きたい!!
「うんうん、車が空いてから行くからな」
という軽い一言は、少年の心に深く根ざしたまま、そのまま二十四年間たったこの日まで、果たされることは無かったのだった。
そして今。
万感の思いを込めて、ワニウジャウジャのもとへ……。
…………たしかにワニがウジャウジャいた。
ドテーッと、けだるそうに寝そべるワニたちがたしかにいた。
でも。
でも。
この歳になって、ワニがウジャウジャいるからっていってもなぁ………。
チロルチョコレート100個食わせてやる、という約束を今果たされたようなものだ。……ちょっと違うか?
すでに剥製になっていたが、この地獄を代表していた「イチロウ」という巨大なワニがいた。
イチロウなんて、さすが今風、この別府にも大リーガーが活躍しているのか、と思ったら、イチローではなくイチロウだ。漫画家の富永一郎が命名者なのだそうである。富永一郎っていってもねぇ……。お笑い漫画道場を見てた人しか知らんでしょう?レトロな温泉街にはイチローよりはイチロウのほうが似合うのか?
ちなみに今は二代目イチロウがいる。昭和 24年生まれだそうである。
ちょっと行ったところに売店があった。
先ほどの豚マンで胃袋の入り口が刺激され、空腹状態に火がつきそうだ。
さっそく「温泉卵」を頼んでみた。ついでに缶ビールも一本。
中山美穂の一番搾りのCMで「オンタマ、クンタマ」というのがあって、あれが妙に美味そうに見えて仕方がなかった。単なる半熟卵じゃないか、といってしまえばそれまでだけど、こういったところで食うとまた美味い(ような気がする)のだ。
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