やがて灯ともしごろになる頃には、僕たちのお腹は減っているのだった。
さあ、再びビールタイムだ!!
今日はワインも飲んじゃおうっかなぁ。
ロビーまでテケテケ行くと、事務所からイチハラさんが出てきた。
「サーターアンダギー、とっても美味しかったです!!みんなにも好評でした!!」
うれしそうにおっしゃってくれた。
そう、実は手土産代わりに、出発直前に姫にもらった例のアンダギーの一部を袋に詰めて、イチハラさんに差し上げたのだ。沖縄のサーターアンダギーってご存知ですか?といって渡したところ、
「ちょうど今読んでいる本に出てきていて、美味しそうって思ってたところだったんです」
ナイスタイミング。
で、彼女はそれをロッジのスタッフとともにお茶タイムにでも食べたのだろう。イチハラさんだけではなく、ケニアのみなさんの口にもあったようだった。
姫、おばさん、あの日いただいたアンダギーは、ケニアの人たちにも好評だったよ!!
そして、僕たちがけっこうマニアックな動物好きだとすでに見抜いていた彼女は、とっておきの図鑑を手渡してくれた。
講談社のブルーバックスだったっけか、なんとそのタイトルは、
東アフリカの動物…だったかな?タイトル忘れた。<なんじゃそりゃ。
とにかくすごいのは、いったい誰が買うのか的モンダイをものともせず、果敢にターゲットを「東アフリカ」に限定しているところである。日本でそれほどまでにサファリツアーが流行ったことがあったろうか?
当然ながらというかなんというか、一部の人たち(我々のことね)にとってはこのうえなく便利なこの本は、10年ちょい前に刊行されてからあっという間に絶版になったそうで、今では古本屋でしか手に入れることはできない。
その貴重かつとても便利な図鑑を、我々にお貸しくださるというのである。
なにを隠そう、我々は図鑑らしきものをいっさい持っていなかった。
きっとロッジの備品としてあるだろうから、とタカをくくっていたのだ。ところがこのムパタの大きな図書コーナーには、写真集はあるものの図鑑はなかった。
うーむ……と今さらながら途方に暮れていた僕たちにとって、貸してくださったその図鑑はとってもとってもありがたかった。
他にもたくさんゲストがいらっしゃるというのにその貴重な図鑑をお借りできたのは、ひとえにサーターアンダギーのおかげなのかもしれない。
姫、おばさん、ありがとう。
当然ながら今宵もまずはタスカービールで乾杯。
なにはともあれこれがなければ始まらない。
そして調子に乗っていた我々は、当然のごとくワインをボトルで頼むのだった。
ちなみにこの時僕はまだステゴザウルス脳だったので、ドリンクメニューに書かれたケニアシリングの数字がだいたい円と同じであろうと思っていたりする……。
この日のディナータイムには、アトラクションが用意されていた。
このレストランのフロアには舞台があって、そこで催し物があるというのである。
マサイのダンスだという。
マサイの人たちを間近で見るのは初めてだ。
彼らはとにかく細長い。
しかしそれは、けっして痩せてガリガリという細さではない。全身しなやかなムチのような、筋肉がビシッと締まりに締まったボディなのだ。
おまけに手足が長く、10頭身くらいのバランス。
胴長短足、おまけに5頭身の僕としては、とても同じ星の生命体とは思えない。
マサイたちは放牧を旨として暮らしてきた。
ケニアといえばマサイ族と誰もが思うけれど、実はケニア国内のほとんどの部族が農耕民族なのである。それに、ケニア国内ではキリスト教徒が8割近いというから、一夫多妻制のマサイ族は極めて少数派なのだ。
また、その勇敢な戦士としてのネームバリューが轟き渡っているから、マサイは今でも戦闘的な部族であると誰もが誤解している。
たしかに、無断で写真を撮ったりすると怒られる、という話はある。でもそれは、水納島にいる僕だって同じだ。ぶしつけにカメラを向けて撮る前に、一言断れ。そんなことは常識である。もちろん槍を投げたりはしないけれど……。
現代の彼らマサイの戦士としての闘志は、もっぱら自らの勇気を示すために用いられるもので、たとえば家畜を襲ったライオンを倒すとかそういうことに向けられるのが正しい姿なのだ。けっして諸部族間の争いを好んで行う部族ではないという。
彼らが持っている武器も、放牧中の護身用のものであって、どこかに攻め入るためのものではない、というような話を滞在中に聞いた。
マサイは誤解された戦士たちなのだ。
誤解されつつも、基本的に彼らはいまだに昔ながらの生活を守っている。
でもやはりそこはそれ、物質文明の影響を受けないはずはない。だから、ツアーの一環でマサイ村を訪問した客が、
「世俗化している…」
「堕落している…」
そうがっかりして言うこともあるらしい。
しかし。
僕にいわせれば、アメリカ的大消費経済に魂を奪われ、日本人らしさをまったく失ってしまった日本人がエラそうに口にすべき言葉ではない。
この100年間の日本人の節操なき変わりようを思えば、マサイはいまだに見事なまでにマサイではないか。
だから僕としては、こうして観光客の前でショーを繰り広げる彼らもまた、誇り高き立派なマサイだと思うのである。
こういうショーを見て、旅慣れた風の客が知った顔をしてうそぶく。
「きっと彼らはショーがないときはナイロビあたりで他のショーをやってるんですよ」
でも事実はそうではなかった。
あとでロッジのスタッフに聞いた話だが、このロッジで踊っている彼らは、この周辺で普段牛を放牧しているマサイ青年たちなのだそうだ。だからショーが終ったあとは、電灯も持たずに星明かりだけの道をテクテク家まで歩いて帰るのだという。
たとえマサイの衣装を着ているその腕に腕時計をしていようとも、普段はナイキのTシャツを着ることがあろうとも、彼らはやはりマサイなのである。
だって、尋常じゃないよ、あの跳躍力は。
何か案内があってから始まるのかなと思っていたら、おもむろに階上からゾロゾロと彼らはやってきて、彼らの間では特別なときにしか披露しないという歌と踊りを繰り広げ始めた。
かわるがわる前に出て、ピョンピョン飛び跳ねる。
いや、これはもうピョンピョンという言葉どころではない。ビヨーンビヨ―ンというくらい飛んでいるのだ。
ジャンプ力もさることながら、世界中でこれほど赤が似合う人たちもいなかろう。もともと黒人さんたちは原色がとっても似合うけれど、このマサイの赤は格別だ。
この赤の衣装にはなにやら隠された逸話があった気がしたけれど忘れた。
唐突に始まった彼らのショーは、唐突な退場で幕を閉じた。
いやあ、すっかり酔っ払ってしまった。
こんなにシアワセでいいのだろうか?
何か重要な落とし穴があったりしないのだろうかと不安になってもよさそうなものだが、いかんせんここまで気持ちよく酔ってしまうと、些細なトラブルなどどうでもよくなってしまう。
なにがあろうとハクナマタタだ!
外灯に淡く照らされた小道を通り、二人して千鳥足になりつつ部屋に戻った。
サバンナでもこのロッジでも、とにかく驚異的なほどに感じるのは「静かさ」だ。
水納島もたいがい静かなほうだけど、それでも周囲を船が通れば空を飛行機が行く。
それに比べると、ときおり遠くから聞こえてくるナニモノかの吼え声はあっても、人工物の音がまったくない世界というのは、「静寂」を絵に描いたような気配さえある。
世の中がこんなに静かでいいのだろうか……。
ふと不安になってしまいそうな、圧倒的な質量を感じる。
この夜の帳の向こうで、ライオンたちがその本領を発揮しているに違いない。
明日もまたサバンナが僕たちを待ってくれている。
今日1日のことを思えば、明日にも何かを期待するなんてバチが当たりそうだけど、それでもやっぱり楽しみだ!!