24・2月2日

誰も知らないカリンバ

 ロングバージョンのサファリのあとは、日差しを浴びて輝くサバンナを眺めながらの昼食だ。
 当然ながらタスカービールで乾杯。
 なにしろいろいろ見てきたのだ、ここで乾杯しないでいつするというのか。あ、いつもしてるや…。

 例によって素敵なランチに舌鼓を打ち、デザートを食べ終えた頃にふと気付いた。
 眠い。
 悪路で何時間も揺られて気づかぬうちに体が疲れたのか、連日早起きだからか、単にビールをグビグビやったからか……とにかく眠い。
 食後に散歩をしようかどうしようかという迷いは、昨日の昼寝の心地良さを思い出した時点であっという間に解決した。
 そうだ、昼寝をしよう!!

 ああ、この至福のひととき……。
 ベランダに枕を置いて寝転がると、目の前は一望サバンナ。何度も言うけれど本当に心地いい。
 のび太なみの早さで眠りについてしまった。

 夜になると誰よりも早く、次元大介の早撃ちを上回る早さで眠りに着くうちの奥さんは、こういうときになるとどういうわけか元気だ。
 スヤスヤと心地良い寝息を立てて(いびきともいうらしい)僕が寝ている傍らで、イスに腰掛けて読書をしているようだった。
 僕が天国から帰還したとき、彼女はまだ起きていた。

 「30分かけてこの風景を描いてみたけど、いやんなってやめた」

 なんと彼女は、色鉛筆セットを持ってきていたのである。
 絵を描くことなど普段の生活ではありえないくせに、いったい何を血迷ったのだろう??
 どれどれ、その成果を見てみよう……

 ……………。

 この当時小学1年生のアカネちゃんが描いた絵かと思った。
 それ以前にいったい何を描いているのかわからない。

 「ここから見たサバンナの風景」

 あの……マジでこれに30分もかけたんすか??

 「うん……」

 やりなれないことをいきなりやろうったって、そうやすやすとはいかないものなのである。
 どれどれ、では僕が描いてみせよう。
 ……そして7、8分で描きあげたのがこれ。

 これまでのところの、僕のサバンナのイメージだ。
 え?二つとも大した違いはないって??
 それを言っちゃあおしまいよ………。

 夢から現へと戻ってきたので、ほどよく涼しくなった外を散歩することにした。
 するとうちの奥さんが、なにやらアヤシゲな物を手にとった。

 みなさんはカリンバというものをご存知だろうか。
 各国、各部族ごとに名前がいろいろあるので正式名称すらないらしいのだけれど、とにかくアフリカの民族楽器であることはたしかである。それも、比較的新しいものだ。
 名前がいろいろあるうえにその形にもいろいろあり、今ここにこうして写真を出してみたところでみなさんがご記憶の楽器と一致するのかどうかもわからない。とにかく、木箱に長さの違う鋼もしくは竹の棒が並んでいて、それを親指ではじくようにして音を出す楽器である。単純に「親指ピアノ」といわれることもあるらしい。

 音楽や楽器とは無縁でいる我々が、どうしてそんなものを知っているのかというと、その昔、とあるゲストにいただいたのだ。
 その方がカリンバをどこでどうやって入手されたのかは失念してしまったけれど、ご自身用の大きなカリンバを手にしつつ、暮れなずむ桟橋へと続く坂道を、

 ピンポロロロロン……ポロロンピンポン…

 と不思議な音色を奏でながら歩いておられた姿を鮮明に覚えている。

 「私もアフリカでこれを弾いてみたい!」

 そういえばうちの奥さんは、旅行の準備中にそう言っていたっけ。それで件のカリンバを持ってきていたのだ。
 わかったわかった、散歩しながら思う存分弾いてくれい。


彼女が奏でる(?)音色は、サバンナを吹き抜ける風に乗り、
地平線の彼方へと消えていった。

 このカリンバ、アフリカ各地にある民族楽器というだけあって、ナイロビでもここムパタクラブのロッジ内にあるお土産コーナーにも、それなりのものが商品として置いてあった。
 沖縄の三線みたいなものなのだろうか?

 この日の散歩は、途中マサイのヤギさんと出会ったりしながらスタッフ滞在施設にまで迷い込みつつ、サッカーグランドまで来た。
 このところ運動不足だしなぁ……。
 というわけで牛糞グランドを2周してみた。
 や、やばい……。
 たった2周しただけでゼエゼエと荒い息をつく自分がいた。
 至福のひとときを過ごしすぎて、すっかり体が重くなっている??
 いや違う、きっと標高1700mの酸素の薄さが原因であるに違いない……。

 グランドからテケテケテケとロッジの玄関まで回ってくると、そこにヘンリーがいた。
 うちの奥さんが持っているものを目ざとく見つけたヘンリーが彼女に問う。

 「なんだいそれは?」

 え?
 何って、これアフリカの民族楽器なんだろう??カリンバって言うんだけど……。

 「I don’t know.」

 ええ!?
 これはいったいどういうことだろう?
 アフリカの民族楽器だけれども、それにケニアは含まれていないのだろうか?
 でもお土産屋さんにはあるのに………。

 あとでちょこっとだけ調べてみたところによると、こういう風に書かれてあった。

 アフリカの国でも大都市は世界の他の都市と変わらないようになり、都会の若者たちに人気があるのはギターだそうです。だからアフリカのある国へ行ってカリンバをこの目で見ようとすると、田舎へ行かなければなりません。田舎でおじいさんとかが弾いてたりするようです。とはいえ、日本の三味線よりはまだ、よく目にする光景らしいです。

 そうか、ヘンリーは都会っ子だったのだ。
 日本の三味線よりはよく目にしても、沖縄の三線ほどには見ることができないのだろう。

 不思議なものを目にしたヘンリーは、弾いてみせてくれとうちの奥さんにリクエストした。
 もとより、音を鳴らすことはできても「演奏」など及びもつかないうちの奥さんである。ヘンリーに聞かせた音楽らしきものは、まるで彼女のテーマソング、

 ポヨ〜ン、ポヨヨヨヨ〜ン……

 のようなものだった。
 ヘンリー、これはスリーピーソングだ。

 「ハッハッハ………」

 大笑いするヘンリーだった。

 ロングバージョンの場合、午前と午後のサファリを合わせた形になるので、午後のサファリは特別にオーダーしないかぎりないことになる。
 だからこの日はロッジで過ごす午後の時間がたっぷりあった。
 昼寝をし、散歩をし、やや斜陽になって空気が若干の寂しさを湛え始めるこういう時間にすることといえば、これだ。

 そろそろ夕刻に移ろうとするサバンナを見ながらカクテルなんぞを……。
 ロッジ内にあるバーで注文し、「展望バー」と勝手に我々が名付けたところまで持って来てくれるようお願いした。
 アフリカが、ケニアが、そしてマサイの人々や野生動物たちが抱えている様々な問題を前にして、こんなところでのどかにリゾートなどしていていいのかという気もしなくもないが、ゲストとして来ている以上、ゲストとしてキッチリ楽しむことこそが我々の使命なのである。

 その使命を僕たちははたした。

 昼間からずっと飲み続けているような気がするけど、今宵のディナーでもやはりタスカービールで乾杯。もうこの頃になるとウェイター氏たちやウェイトレスのラハダちゃんともすっかり気心が知れているので、本当に行きつけの店に来ているような居心地の良さだ。
 食後席を立つとき、僕はラハダにいうことを忘れてはいなかった。

 「トゥナリ・ケショ!」

 昨夕教えてもらったスワヒリ語の「また明日!」である。
 僕が覚えていたことが意外だったのかどうか、ラハダはちょっぴりうれしそうに笑いながら応えてくれた。

 その夜。
 消灯後しばらくしてから目が開いたので、ベランダに出て空を眺めてみた。
 星空がすごいすごいと耳にしていたものの、これまではずっと曇りがちの空だったためか、見られる星の数は水納島でのそれのほうが圧倒的に多いくらいだった。そのためこれまでは、消灯後の空を眺めるためにわざわざ部屋から出ていなかったのだ。
 今日は宵の口からオリオン座が天頂付近(!)にデンッと瞬いていた。雲ひとつない星空である。だから今晩は消灯後に期待していた。
 そして。
 この地に来てついに初めて、僕たちは満天の星空を拝むことができた。

 ものすごい星の数だ……。
 流れ星がそこかしこで夜空を駆け巡る。
 もともとさして知識のない僕が、南半球から眺められる東〜南の星座を知るべくもないけれど、ひとつだけ、誰でも知っているこの星座なら僕にもわかる。
 南十字星だ。
 ベランダからの眺めでいうと、二時の方向に輝いていた。

 静寂の大地の上で瞬く星たちは、まるで透き通った音楽を奏でているかのようだった。
 気のせいかそれは、カリンバの美しい音色に似ていた。