ロングサファリ〜国境をまたぐ黄金水〜
……と、もったいぶってみはしたものの、そのリクエストはたちどころにクリアされた。
ジャッカルに会った場所からほど近いところにあった水場で、若いライオン数頭がたむろしていた。
おお、スタンディングライオン!!
ついに立っている、そして歩いているライオンを見ることができた。
水場で水を飲んでいる姿はなかなかかわいかったけど、その目つきはやはりタダモノではない。近づく車に向けるマナザシは、ふざけたことをしたら殺すぞ!という迫力に満ちていた。
そしてまた車は走る。
このあたりからタンザニア国境付近に向けての平原の景色を、僕は二度と忘れることはないだろう。
これまでも充分すぎるほどに夢に描いた「アフリカ」の風景を味わってきてはいたけれど、地平線の向こうにまだ地平線があるという、このあたりのこの大開放感、広い空、心地よい風………。
そんな平原に、グラマラスヒップのシマウマや、カモシカのような脚の牛ヌー、そしてトムソンガゼルなどがたくさんたくさん群れているのである。
アフリカだ…………。
これまですでに何度も何度も「来てよかった…」という思いを抱きしめ続けてきたけれど、ここを車で走っているときの思いは、部屋のベランダの至福の昼寝とはまた違った意味で、誰かにキッチリ伝えたかった。
みなさん、サファリは是非ロングコースで。
この大平原をズズンと行く幹線道路沿いにもハイエナがいた。
やはりハイエナ顔だ。
そして、やがて国境となる。
隣国タンザニアとケニアの国境だ。
国境というと、島国日本に住んでいる我々には今ひとつピンと来ない。断固として出入りを禁じる厳しい境というイメージがおぼろにある程度だ。
はたしてタンザニアとの国境はいかなるものであるのか?
タンザニア入国をはたしたうちの奥さん
なんと石柱ひとつだった。
まぁ、考えてみればそりゃそうだろう。サバンナを行き来する動物たちにとっては、国境なんて関係ないのだから。
この石柱は国境に沿ってポツン、ポツンと何本も立っているそうだ。本来国境なんてそんな程度のものでいいような気がする…。
この国境で同乗者たちと記念写真。
こういう場合、日本人の伝統的慣例として、何台ものカメラが撮影者に渡されることになる。
で、最初は白い服の男・ヘンリーがみんなのカメラで何回も撮ってくれていて、じゃあ彼も一緒にってことになったときのこと。
普通は、じゃあ次は俺が撮ろう!って言うでしょう、デビット(青い服)。
それを、あろうことか僕に向って、
「じゃあ次は君が撮りなさい」
このヤロー、どっちがゲストと思ってるんだ!(笑)
車のエンジンが停まると、あたりはホン―――トに静かになる。
静かさが地の果てまで続いている。
今の日本人に最も必要なのは、こういう場所に少しの時間だけでもいいから身を置いてみるってことなのかもしれない。
とにかく心地いい。
心地よすぎて……
寝転びたくなる。
もっともうちの奥さんの場合、どこにいってもまずやってみたいのがこれなのだ。松山城しかり、飛騨高山しかり……。サファリでも、必ず一度サバンナに寝転がってみたいと言っていたのだった。
一方僕は……。
国境越えの立小便!!
放たれた黄金水は、ケニアからタンザニアへと旅立った。
セ・パ両リーグにまたがるホームラン王は何人かいるけれど、国境をまたぐ放尿経験のある方はそうそういないに違いない。
なんとマナーの悪いッ!!などとおっしゃることなかれ。
ロングサファリでは、都合6時間ほどもトイレのない時間を過ごすことになる。我慢に我慢を重ねて膀胱炎になる人もいるほどなのだ。
そうならないためにも、用を足したい人はドライバーに言って安全な場所を指示してもらい、サバンナトイレを体験してください、というのがジャングルならぬサバンナの常識なのである。
そしてこのタンザニアとの国境地点は、数少ないトイレポイントなのだ。
いわば白日の下、堂々と大地に向かって行えるわけだ。
その権利は男性に限ったものではない。
ちょっと移動したところに食事を取るための木陰があって、そこには女性用に盛り土で遮蔽物を設けた場所が用意されていた。
え?そんなところで誰もするわけがないって??
あまい。
「一度やってみたかったのよ!」
と言いながら、しかも「撮って撮って!」などと言いつつ、嬉々として用を足してしまう女性がここにいた。
国境の石柱から少し離れたところにある食事ポイントは、一本だけポツンと生えている大きな木の下だ。
国境の石柱から見ると小さく見える一本の木に近づいてみると、それは木陰を作る大きな木だった。
スタッフが用意してくれた朝食を美味しくいただく。
なんだかピクニックのようだった。
ところで、さっきの集合写真に写っているNさんは、いきなりハイエナやジャッカルをリクエストされることからわかるとおり不思議な人で、この食事ポイントに到着したとき、おもむろに南南東の方向に向かってダッシュしていった。
どうやらサバンナを駆けてみたかったようである。
しかし、この木の周囲なら安全を保証するヘンリーたちでも、Nさんが駆けていった先の先がどうなっているかまでは保証の限りではない。
たちどころに呼び戻されるNさんなのだった。
僕たちは思った。きっと彼はB型である…と。
その彼がリクエストしていた動物がもう一種類あった。
カバである。
カバといえば、我々は幸運にも最初のサファリでウォーキングヒッポを目にしていたけれど、よくよく考えればカバたちは川にいるのだ。そういうところに行かなければ目にすることはムツカシイに違いない。
ところが、ヘンリーはそのNさんのリクエストを受けて、平然とこういった。
「Easy.」
やけに自信満々である。遠出をすれば必ずカバに会えるというのだ。
それはつまりこういうことだった。
ヒッポプールである。
セレンゲティとマサイマラを流れるマラ川にはところどころ淵のような場所があって、そこがカバさんたちの憩いの場になっているのだ。
そこをヒッポプールと称し、レンジャーたちが常駐して保護している。
大きな木の下で朝食をとったあと、我々が訪れたのがここだった。
ヒッポプールでは、車から降りたあと、レンジャー隊員に案内されつつテクテクテクと川原までいく。
レンジャー隊員は銃を装備していた。
川にはカバさんたちのほかにワニもゴジャンといるし、カバたちも以前に触れたとおり突如凶暴化することもがあるから、いざというときのための銃であるらしい。ではこの人たちが突如凶暴化したら、いったいその銃はどのように使われるのか…ということはあまり考えないようにしよう。
川の中にいるカバさんたちは、写真だけ見ると大変のどかに見えるのだが、実際現場にいると、鼻息やらうめき声やらなにやら区別のつかない異様な声をしょっちゅう発し続けていた。
ときおり鼻から吹き上げられる水しぶきが、まるでクジラが吹く潮のようで面白い。そのシャッターチャンスをずっと追い続けたものの、あっちで吹いたかと思えばこっちで、という繰り返しで、ついにそのチャンスには恵まれなかった。
この川にいるカバたちが、夜になるとゾロゾロゾロと草を食べに陸にあがるのだという。
それはそれでなんだか異様な風景のような気がする。ゾロゾロゾロと出て行き、やがて夜が明けるとゾロゾロゾロと帰ってくるなんて……。
想像するのはムツカシイが、たしかに川原には、カバさんたちの足跡がたくさん残っていた。
ヒッポプールは、このロングバージョンサファリの最後の訪問先のようで、あとは帰路になるようだった。
出発前に我々が発した数々のリクエストは、ヘンリーによってすでに完全にコンプリート状態だった。
「ほかにリクエストはないかい?」
ゴキゲンなヘンリーが我々に問う。
うーむ、ここまで完璧に見せてもらったあとは、何を求めよう?
そうだ!!
ヘンリー、セクレタリーバードを見たい!!
「おお、ヘビクイワシ!!」
こんなマニアックな鳥の和名まで彼は知っていた。
みなさんはヘビクイワシなんぞという鳥をご存知だろうか。
ワシという名がついてはいるけれどワシではない。
アニメのキャラになりそうな姿かたちをした不思議な鳥で、その長い脚を使ってエイヤッエイヤッとヘビをしばき倒してから食べるという、ある意味獰猛なヤツでもある。
一度是非見てみたい……。
ひそかにそう思っていたのだ。
でもモノには順序というものがある。せっかくアフリカに来たんだもの、まずはゾウさんライオンさんキリンさんサイさんチーターさんカバさん…………
と思っていたら、それらをすべてクリアしてしまった。
そしてついにヘビクイワシにまで順序がまわってきたのである。
まるでとうてい当選が見込めぬ順序で比例代表選で出馬していながら、あれよあれよという間に当選してしまったかのようなものといっていいだろう。
とはいえヘビクイワシなんて、どこそこに行けばいるというものでもないだろう。ヘンリーも、
「うーん、それは明日だなぁ…」
と言っていた……
……のだが。
何かを発見したらしいヘンリーが、勝ち誇って振り向いた。
「ヘビクイワシ!!またしてもコンプリートね!!」
おおっ!!
カッコイイ!!
本当にヘビクイワシじゃないか!
なんとまぁ、リクエストしてからものの5分と経っていない。
この神がかり的な出現状況は、普通のことなのか珍しいことなのか??
いずれにしてもこれだけは言える。
ヘンリー、ユーアーパーフェクト!!
「Thank you!」
ヘンリーもゴキゲンそうだ。
こうして我々ゲストは、見たいものをほぼすべて見ることができ、長いサファリを終えた。
遠出した先から定められた時刻までに戻ろうとしたためだろう、帰りは超高速で幹線道路をぶっ飛ばすヘンリー。過ぎ去っていく大平原のパノラマでは、ダチョウもキリンもゾウも、なにもかもが素通り状態なのだった。 |