@そうだ、京都へ行こう!

 大阪の実家を足掛かりにして、冬の日本海に行ってみたい!!

 というのは、うちの奥さんのかねてからの夢だった。
 海の幸を満喫したいのもさることながら、是非一度冬の日本海の波濤をまざまざと目にしてみたいという。

 特にそういった希望がない僕としては、せっかくの旅行を冬の波濤で費やすのは気が乗らなかったため、これまでその企画はずっとペンディングされていた。

 ところが今回、大阪からちょっとお出掛けしてみたい…という我々の都合に、冬の日本海探訪はうってつけの企画になった。
 そうはいってもはるばる北陸や東北へ行くわけにも、出雲地方まで足を伸ばすほどの予算と時間はない。

 であれば。

 そうだ、京都へ行こう!!

 京都にも海がある。

 …ということを、近畿地方以外にお住まいの方はついつい見逃しがちだ。
 「岸壁の母」の舞台、舞鶴という有名な港町の名は耳にしたことはあっても、それが京都府であるということを明確に認識している方は意外に少ない。

 うちの奥さんもかつてはそんな他の大多数の一人だったのだが、大阪から日本海へ、というツアーを密かに一人で温めているうちに、いつの間にか京都に海があることを知るようになっていた。

 そして今回、ついにその京都の海に白羽の矢が立ったのだ。

 ただし、目的地選定がいつの間にか僕の趣味に沿うものなっていったのはいうまでもない。

 というわけで、12月27日。
 午前9時過ぎの京都駅。目的地へと我々を運んでくれる特急が、静かにホームに到着した。

 おお、このフォルム、このカラー!!

 僕がまだ紅顔の美少年だった頃、日本は空前の鉄道ブームだった。ブルートレインだ、L特急だといった列車の美しい写真を見ては、その汽車がたどる果て無き道のりに思いを馳せたりしたものだった。

 ホームタウンまで切符をちょうだい、ちょうど夜明けに着く汽車の。駅には彼が待ってるはずなの。結ばれるのよ私たち……。

 ホームタウンエクスプレスといえば阪急電車の急行しかなかった僕がその頃憧れていた特急電車の数々、それがこういう色形の車両だったのだ。
 高槻あたりの日中には、雷鳥や金星(あれは青いラインだったっけ?)が観られるのが関の山だったけど、とにかくもう、子供の頃の僕にとっては、乗りたくて乗りたくて仕方がない列車だった。

 そんな憧れの特急電車に乗れるだなんて!!

 型式の細かなことは知らねども、かたじけなさに涙こぼるる……。

 ……って、ここでそんな話をしても誰もついてきてくれないに違いない。
 注目していただくべきは、この特急の名前。

 そう、「はしだて」。

 京都で「はしだて」とくれば、もちろん「天橋立」!!

 松島、安芸の宮島とならび、日本三景のひとつとされる、日本有数の景勝地である。

 子供の頃、家族で訪れた天橋立、そして小学校の修学旅行で宮島をそれぞれクリアしていた僕は、10年ほど前に松島を訪れて、日本三景を制覇(?)した。

 ところがうちの奥さんは、三景のうち、いまだに松島しか訪れたことがない。
 そこで京都の海ときたら、天橋立をはずす手はない。

 そんなわけで、今回の年末タンゴ紀行、まず最初の目的地は天橋立。股の下から天上の回廊を眺めるのだ!!

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 午前9時25分。特急はしだて1号は、定刻どおり静かに京都駅をあとにした。

 昔なら考えられないことに、この特急には車内販売も自販機もない。コストダウンのためだろうけれど、旅情という意味ではいささか寂しい。
 が、時化のため島を2日早く出てしまってから連日の暴飲暴食、かてて加えて実家でのカメーカメー攻撃によって完全に胃袋が悲鳴をあげていた我々は、車内販売が無いからといって悶絶する必要はまったくなかった。

 なにはともあれ、うちの奥さんも僕も、人生初の山陰本線である。知らない線路を走っているときは、駅名ひとつでも旅情を味わうことができる。

 1000年の古都を謳う京都も、「都」だったのは京都府内のほんの一区画だけで、現在の京都も大きな街といえば京都市以外にないといっても過言ではない。
 そんな京都だから、ほんの少し市内を出るだけで、途端に風景は田舎度を増す。それも北上となれば、いきなり他府県に迷い込んでしまったかと思うほどに景観が変わる。

 トンネル、渓谷、トンネル、集落、渓谷、トンネル、集落、トンネル、渓谷…………

 耳がツーンツーンなりながらそのようなシーンが繰り返されるうちに、やがてたどり着くのが「福知山」という街だ。
 京都北部の入り口である。
 その前もそれ以後も、ここ以上に大きな街はないといっていいほどの都会でもある。

 その福知山の街で、ゲストのウータン中村さんが開業されている。お仕事柄、ひょっとしたら駅近くかもしれない。

 ……と思ったうちの奥さんは、目を皿のようにして窓からサーチしていた。

 で、その治療院の正式な名前知ってるの??

 「え?」

 何を目印に探していたんだろう……。
 しょうがないので彼女は、せめてこの福知山を通過したことだけでも証拠写真に納めようと、なれないデジカメを駆使してシャッターボタンを押した。

 「山」という字しか見えないんですけど。

 そうやって窓外の景色を楽しんでいるうちに、徐々に雪が目立つようになってきていた。
 この特急はしだては、福知山駅から山陰本線を離れ、天橋立を目指すことになる。その線路もかつては国鉄だったのだけど、現在では「北近畿タンゴ鉄道」という、丹後をタンゴとカタカナ表記するおかげでなんだか可愛げな名前の3セク鉄道になっていた。

 この北近畿タンゴ鉄道、地元ではいったいどのような略称で通っているのだろうか。
 まさかいつでもどこでもフルネームってわけではないだろうから、何がしかの略称があるに違いない。
 正確な略称を知らないので、しょうがないからここではタンテツと略すことにする。きっと当たらずとも遠からずに違いない。

 このタンテツのステキなところは、終着駅直前にも表れていた。
 天橋立駅の手前あたりから、車掌のアナウンスが車内に流れてきたのだ。それも、

 「まもなく皆様の右手に見えてまいります松林が……」

 と、天橋立を紹介してくれるのである。

 その昔、名古屋から飛騨高山への車内でも聞いた記憶があるけど、電車の中で観光ガイドを聞くって、そんなにないですよね??

 それはステキなのだが、大きな落とし穴が。
 なんと、宮津駅から天橋立駅の最後の10分間ほどは、進行方向が逆になるのである。
 進行方向右側が海沿いだろうってことでわざわざ右側の席をとっていたら、最後の最後、ようやく海に達した頃には反対側になっていたのだった。

 そんなこんなで、京都駅から約2時間、ついに天橋立駅到着。

 さあ、ここから天橋立はもう眼と鼻の先だ。
 いざ、天上へと続く回廊へ!!

 ……と思いきや、

 まずは生ビールを飲む我々なのだった。