ひとまず部屋で旅装を解いたあと、まずはレトロな館内を探検することにした。 レトロな館内はこんな雰囲気だ。 これは昔の玄関。 また、2階には温泉宿らしい宴会場もあって、実に広々とした畳の間。そこですかさず、 大の字になるオタマサ。 そしてこの大正館で、もっとも極私的に特筆すべきはここ。 ここは清張の間と名付けられているところで、元は宿泊客のためのリビングルームのような部屋だったそうな。 以後この部屋は「清張の間」とされ、今もなお昔のままに保存されているそうである。 また、客室の文机備え付けの便箋が原稿用紙になっているのも、もちろん清張氏の滞在というエピソードに由来しているのだろう。 死後もここまで篤く遇されている松本清張である。さぞかし「Dの複合」では木津温泉について美辞麗句が並べ立てられているに違いない。 と思いきや。 日本の隅々まで近代化して都会になって、どこもかしこも、那覇ですら東京の郊外のような風情になってきた今でこそ、奥京都といっていい丹後地方に魅力を感じる人が多いだろうけど、どこもかしこも田舎だった当時、わざわざ鄙を求めてこんなところまで来るヒトは変わり者だったのかもしれない。 そういう意味では、漱石の名作「坊っちゃん」が描写する松山に似ている。 が。 良いところだ、素敵だ、と宣伝文句を並べ立てたら人がドドッと押し寄せてしまうから、自分だけの隠れ家にするためにわざと酷評を書いているのか?? せこいぞ、清張!<違うと思います。 にもかかわらず、清張氏滞在を誉れとし、「Dの複合」の文庫本を宿で直接販売すらしているゑびすやさんはオトナである。 ところで、上の写真ではなにやらうちの奥さんが文芸作品でも読んでいるかのように見えるけど、これは実は宿泊客のメッセージノートだ。 ノスタルジィとしてのレトロが重宝されているのかと思いきや、今の世の中、懐かしく思う記憶の有無に関係なく、そもそものセンスとして昔の雰囲気のほうがいいと思っている人が、世代を超えてけっこう多いということか。 昔ながらの「良きもの」を次々に失いつつも、とにかく新しく新しく作り変えてきた現代ニッポンって、いったいなんだったんだろう……。 ちなみにそのメッセージノートに僕も書いておいたので、訪れた方はご覧になってくださいね。酔っ払っていたせいで小学生なみの幼稚な落書ですけど……。 さて、館内探検も済ませたし、そろそろ温泉に入ろう! ● ● ● ● ● 湯宿ゑびすやは老舗かつキャパシティの大きな宿で、予約もネット上で行なえるようになっている。 ところが、ゑびすやさんからの返信は女将さん直々のもので(ゑびすやさんの女将の名は「蛭子」さんだった)、しかも沖縄からやってきて右も左も前も後ろもわからないであろう我々を慮ってくださった、ものすごく親切かつ丁寧な内容だった。 いったいどれほどのワカランヌーに見えたんだろう?? いささかそれが心配だったけれど、一応大阪出身であることや、天橋立まではかつて行ったことがある旨お伝えすると、今度は「ですぎたアドバイスまでしてしまい申し訳ありません」と、いたって謙虚かつ配慮の行き届いた文面。 老舗旅館だから敷居が高かったらどうしよう……という田舎モノならではの不安は、この親切なメールによって一掃された。 老舗旅館の女将さんとは、やはりかくあるものなのであろうか。 そんな予約の際に我々が選んだ宿泊コースには、5つのうちから2つ選べる特典がついていた。 ゑびすやさんには他に大浴場とそれに付随している露天風呂もあるんだけど、かけ流しなのはこの内湯だけ。 湯まで選べはしなかったから、どうせならごんすけさんだったらいいのになぁ…と思っていたところ、 はたして、ごんすけの湯なのだった。 中はこんな感じ。 昔風のタイル貼りの床、そして大正館を彩るステンドグラスが風呂場の天井にも。 源泉の温度は40度ほどだそうで、さらに宿の謳い文句を紹介すると、 「温泉を薄めることもなく、塩素消毒をすることもなく、 100パーセントピュアの状態で湯船に注いでいます。」 ということらしい。 ああ、気持ちよさ倍増。 普通、温泉に50分も浸かっているものではない。 そして。 温泉で温まったのを合図にしていたかのように、我が体の眠れる感覚が今目覚めた。 お腹が減ったッ!! ここ4、5日の間苛まれていた膨満感もまた湯に溶け出していったのか、久しぶりに覚えるこの空腹感。 さあ、これから食うぞ飲むぞ!! |