ヴィラメンドゥ潜水日記

旅行を終えて

 10日ぶりの日本はやっぱり寒かった。
 成田空港は相変わらず首都圏から遠く、リムジンバス内に流れる「さくら〜さくら〜」のメロディもムナシイ。
 のどかな国からゴミゴミしたところに帰ってくると、せっかく穏やかでいられた目が途端に血走り、見るもの聞くものすべてがやるせなくなってしまう。

 ものが溢れ、お金があまり、一見とても豊かそうに見える国に住んでいていったい何が不満だというのか。
 そうはいっても南国の穏やかな国で暮らしている人々と接していると、陳腐な表現ではあるが、本当の豊かさとはモノの量でもお金の量でも携帯電話の普及率でもインターネットの利用率でもなく、単に人が人として普通に暮らしている姿にこそ存在している、ということが容易に実感できる。
 日本の多くの人々が、沖縄にその姿を見出すのもよくわかる気がする。

 けれど沖縄県は、そんな人々の熱いマナザシには応えず、一生懸命内地風になろうと頑張っているのである。ひょっとすると沖縄県が日本で一番のカネ・モノ信仰の信者かもしれない。
 多くの県民はそうではない。みんな、ただ単に普通に暮らしていたいだけだ。
 行政者は、そんな努力をしている人たちの芽を摘まないでいてもらいたい。
 その願いを叶えるためにこそ努力してもらいたい。

 願いがかなった暁には、沖縄もモルディブに負けないくらいすばらしい場所になっていることだろう。そうなれば、僕らは自信を持ってシャフィーたちを案内することができるに違いない。

 リゾートのモルディビアンたちはみんな笑顔が素敵だった。誰もがいい人のように思えてくる。
 サービス業なのだから、仕事といえばそれまでだけれど、それでもやはり内面から滲み出てくるものがある。ロケーションの素晴らしさ、海の豊穣さもさることながら、「モルディブ」という言葉が醸し出す不思議な感覚の中には、彼らの人柄も濃厚に含まれているに違いない。
 モルディブ・フリークと呼ばれるリピーターがたくさんいるのもわかる気がした。

 水納島が形の上でモルディブのように生まれ変わることはまず不可能ではあるものの、同じくゲストを迎える側として見習うべきところ、努力するべきところはたくさんあると思った。

 フロント・シャフィーがくれたヤシの木は、うちの庭で今のところ健在である。とりあえず僕たちは、このヤシを大事に育てることから始めていこう。