ヴィラメンドゥ潜水日記

12月10日

 いろんな人にさようなら

 いよいよ本日をもってヴィラメンドゥを去らねばならない。
 そんな僕たちの感慨をよそに、島はいつもと変わらぬ静かな朝を迎えていた。
 悔しいことに、というか有り難いことにというか、見事な晴天である。

 ここ数年、2週間ばかり旅行をすると、終盤にさしかかると決まって水納島関係の夢を見てしまう。機関長キヨシさんなんかいったい何度夢で会ったかしれない。
 どうせなら美しい女性に出会いたいのに、キヨシさんではなぁ。
 これは潜在意識の中でのホームシックなのだろうか。

 潜っていない意識はまだまだずーっとここにいたいよぉ、という気持ち充分なので、最終日はやっぱり少し寂しい。

 最後の朝食だった。料金に含まれている最後の食事でもある。
 シャフィーにラスト・ブレックファーストだ、と言った。
 彼にすれば毎日のように誰かがラストを迎えるのであるから、涙に濡れて別れを惜しむ、なんてことはあるわけはない。
 いよいよ別れの挨拶。通常であれば、ウェイターが「来年また会いましょう」とか言う。シャフィーもそう言いかけたので、僕はすかさず
 「いや、来年は7月にシャフィーが沖縄に来る。水納島で会おう!」
 と言った。
 とうてい実現不可能なのは彼も僕も百も承知だけれど、彼は
 「おう、そうだったそうだった、来年そっちで会おう!」
 と笑っていた。本当に来たりして……。
 隣のイタリアン夫婦にも挨拶しておいた。
 ちなみになぜイタリアンだと思っているのかというと、普段彼らは「チャオ」と挨拶していたからである。

最終日はヨーロピアンスペシャル 

 昨日フロントで確かめたところによると、本日の水上飛行機は午後2時50分発であるらしい。
 あらかじめもらっていた案内書には、部屋は最大12時まで使えます…と書いてあった。
 その後も部屋を使っていていいのかどうかフロントで聞くと、受付の女性が「何言ってんの、そんなの当たり前じゃん」という顔をしながら「ええ、集合時間までお使いいただいて大丈夫ですよ」と教えてくれた。

 となると随分時間がある。
 本日はヨーロピアン・タイプのリゾートライフを過ごすことにしよう。
 すなわち波打ち際でボーッとしているのだ。
 とにかく置物のようにボーッとしてみたい。
 しかしうちの奥さんはやはりヨーロピアンスタイルにはなりきれなかった。

 サンセットバーがある西のビーチで、僕がサマーベッドを波打ち際に持ってきてゴロリと寝転がっている間、せっかく片付けつつあったドームポートのハウジングを持ち出し、一生懸命半水面写真を撮ろうとしているのだ。
 そのビーチは遠浅なのだが、波打ち際にミズンの小玉がいくつかあって、50センチくらいのベビーシャークがそいつを狙って行ったり来たりしていた。
 それを見つけたうちの奥さんは撮ろうと何度もチャレンジしていたけれど、そもそもマスクを持ってきていないのだから水中のものを撮るというのは至難の業である。

 そうして1時間以上過ごしていたら、さすがに僕も飽きてきた。どう転んでもやはりヨーロピアンにはなれそうもない。

 寝転がっていると暑くなってきたので、クールダウンがてら桟橋脇をスノーケリングすることにした。半水面ポイントにいつもいたヨーロピアンカップルは、今日も同じ位置に同じポーズで座っていた。まさにビクター犬なみの置物である。

 海中は昨日一昨日にくらべると幾分濁っていた。
 ニコノスを持って入ってギンガメ玉を撮ろうと思っていたのだけれど、今日に限ってえらく下の方にいるから見に行くだけにとどめた。
 知らぬ間に体積が増えたのか、10mを越えると体がウェイト状になってしまって、気づいた時には帰りがつらい。増えた体積が筋肉だったら深度によってそれほど浮力は変わらないが、脂肪分だと伸縮自在で、水面では絶大なる浮力を提供してくれても、深くなると単なるウェイトになってしまうからやっかいだ。
 普段遊びでスノーケリングするときはウェットスーツを着て軽めのウェイトで入っているから、浮上するときは足を動かさなくても大丈夫なのだが、海パン一丁で遊んでいると、帰りも泳がなくてはならなかった。

 気がつけば1時間半以上遊んでいた。クールダウンは成功しすぎ、あまりにもダウンしすぎて寒くなってしまった。が、天気はいい。お日様があたたかい。
 ダイブサービスのスタッフたちに、ラスト・スノーケリングだ、と言っていたら、ピーターもいて、「おー、来年は一ヶ月ね!」と笑っていた。昨日の話を忘れていなかったのだ。最後までノリのいいヤツである。

やはりビール

 この日の昼食は料金に含まれていない。
 2カ所あるバーのいずれかで飯を食うことになる。
 ここは当然サンセットバーでビールでしょう。
 陽はまだ中天にさしかかったばかりの真っ昼間であるが、サンセットバーは朝10時から開いているのである。

 このサンセットバー、この時間からなぜこんなにスタッフがいっぱいいるんだ、というくらい人数がいた。仕事をしているわけではないんだけれどとにかく集まっておこう、という南国特有の雰囲気丸出しである。
 クラブサンドウィッチとサラミサンドウィッチをたのみ、ビールをグビグビ飲んだ。
 ちなみに各メニュー5〜8ドルくらいである。このサンドウィッチでボートダイビングできるのかぁ、と思ってはいけない。

 この日はとびっきりの晴天で、干していた器材はあらかた乾いた。
 行きと同じように詰め込み、これで万事準備完了。とうとう黄色い島ぞーりの片一方は出てこなかった。

 2時過ぎにはポーターが荷物を受け取りに来たので、僕たちもフロントに向かった。
 さらば109号室。さらば情けない君とその仲間たち。明日からパンをくれる人はしばらくいなくなるよ。
 情けない君は、誰がつけたのか右足に赤いゴムバンドをしているので、すぐに見分けがつくはずである。姿を見かけた方はご一報ください。

フロント・シャフィーのココナッツ

 フロントに行く途中、レストランをのぞくとランチタイム後の後かたづけにいそしんでいるシャフィーの姿があった。このあとも、その次の日も、来週も来月も、7月の休暇までいつもと変わらぬ日々が続くのだろう。
 フロントには、同じ便で帰る日本人青年二人組もいた。
 彼らはどうやらヴィラメンドゥ2度目3度目であったらしい。
 話の流れ上、宣伝するわけではないけれど一応うちのパンフレットを渡し、こういうところにいる、というような話をしていると、フロントの兄さんがやって来た。この人もシャフィーという。もしかしてシャフィーってアラブのムハマドなみにありふれた名前なのか?
 それはともかく、彼はフロントなので、2度目3度目の日本人青年とは顔なじみらしく、僕らが昨日精算していたときとはうって変わったような気さくな感じであった。

 で、青年たちに渡したパンフレットを見るや、
 「うん?これはどこだ?え!、君たちの住んでいるところか?ン?ン?」と興奮するではないか。
 なんでここに住んでいてわざわざモルディブに来るのだ?とこれまた素朴的疑問をぶつけてきた。ウェイターのシャフィーにしたのと同じような説明をした。
 モルディブそっくりだ、としきりに言うので、これまた同じように、モルディブのように見えるけれどもほら、ヤシの木がないでしょう、と言うと、青い海、白い砂浜、にもかかわらずヤシが無いのか?となんだか驚いた様子で、突然彼は会話の流れを断ち切って、どこかに行ってしまった。
 しばらくたっても帰ってこないので、もしかして、と半信半疑でいながらもロビーで話を続けていると、おもむろにフロント・シャフィーは帰ってきた。手に何か持っている。

 予想通り!!

 彼が手にしていたのは、実から芽が出たばかりのヤシの木だった。土が付いているところを見ると、わざわざ掘り返してきてくれたらしい。
 「これを持って帰って育てればいい!水納島のヤシ第1号だ!!」
 なんていいヤツなんだろう。なんて素朴なんだろう。
 この際、ヤシの木を島から持ち出していいのか、とか日本に入国できるのか、とか細かいことはどうでもいい。フロント業務を放り出してヤシの木を採りに行ってくれたその姿が感動的ではないか。
 あまりにうれしかったのでチップを渡そうとすると、
 「ううん、そんなのいらないよ!」と笑顔で済ませるのである。
 彼がいうには税関なんてノープロブレムだ、大丈夫大丈夫、とのことだった。
 フロント・シャフィーは3年後には大木だ!!と言っていたが、気候的に育つかどうかはわからない。でもとにかく水納島まで持ち帰ろう。シャフィーのヤシと名付けて大事に育てよう。
 ヤシの木が大丈夫だったらヒヨコも持って帰られるかなぁ、と目を輝かせてうちの奥さんが言うので、僕はすかさずデコピンしておいた。

 そんなやりとりをしているうちに、いつの間にか飛行機は到着していて、僕らはいよいよ島を後にすることになった。
 乗客10名ほどを乗せた水上飛行機は、あくまでも淡泊に発進し、夢の島・ヴィラメンドゥを後にした。

 きっとまた来るだろう、さらばモルディブ!

 午後3時半、フルレの食堂のような水上飛行機のターミナルに到着し、バスに乗ってフルレ空港の玄関口まで行くと例のコイズミさん(写真)が待っていてくれていた。
 このあとコロンボまで行く飛行機は午後9時前出発である。
 本来は7時過ぎだったのだが、なんとこの時期はラマダン中だったのだ。
 ラマダンというのはイスラム教徒にとっては重要な宗教行事である。酒を飲んだりエロ本を読んだりする不敬なイスラム教徒はいても、ラマダンをしないヤツはいないらしい。
 ラマダンとは簡単に言うと午後5時まで、日中の一切の飲食を断ち切る断食だ。
 それだけだったら旅行者には一切関係ないのだが、その5時になると、みんな家に帰ってその日初の食事を家族でワイワイとしなければならないそうである。あらゆる人が家に帰るのだ。
 当然ながら空港職員もこぞってお向かいの島マーレに帰るので、空港は閉鎖され、みんなが帰ってきて職にもどる7時半まで誰も中に入れないようになってしまうのであった。

 こんなに各方面に影響を与える行事なのに、どういうわけかいつからラマダンが始まるのか、というのはかなり直前まで誰もわかっていないらしい。イスラム歴についてはまったく知らないけれど、そういうノリはなかなか南国っぽくていい。
 が、それは僕らが旅行していないときであってほしかった。
 おかげで3時半から7時半までの4時間、プラプラと過ごすことになった。

 そんなとき、威力を発揮するのが行きに利用したフルレ・アイランド・ホテルである。
 コイズミさんによると、宿泊客じゃなくともロビーやプールサイドバーなど使い放題であるという。
 彼女はこのホテルの一室に居住しているので、隅々まで知っているのだ。

 ということで、空港で土産物を買った後、このホテルのプールサイドでカクテルなんぞをチョビチョビと飲みながら、南海の荘厳なる夕景を楽しんだのであった。
 申し訳ないことにこの日のコイズミさんの客は僕ら二人のみで、僕らがここにいる間は仕事がない。空港が開くまでプールで泳いでいようかなぁ、というので、どうぞどうぞ、と勧めたのだけれど、結局灯ともしごろにプールサイドにいらっしゃったので、ユンタクして過ごした。

 この間、空港に荷物は置きっぱなしである。カートに乗せたまま壁際に置いてあるのだ。この治安の良さはすばらしい。そもそも、治安という言葉がないのではないか、というくらいのどかである。
 およそ人と相争うということを知らないらしいのだ。喧嘩のやり方も知らないのではないか、とコイズミさんは言っていた。ワールドカップサッカーのアジア地区1次予選で、モルディブ共和国がいつも20対0くらいで負けている理由もよくわかる気がした。 

 7時過ぎに空港に戻るとゲートの前には列ができていた。
 コイズミさん付きの空港職員が僕らのカートを動かして列に並べてくれてあった。
 そうこうするうちに家で食事を終えた空港職員たちがゴキゲンな様子で続々と帰ってきた。みんな5時前には不機嫌になっているのだという。
 僕らの専属状態のコイズミさんは、結局最後の最後まで付き合ってくれたので、僕らは結局なにもせずに済んだ。
 彼女は契約上一年間はモルディブを離れられないらしい。まだ2ヶ月たっただけという。いる間に是非またどうぞ、と別れ際に笑っていた。

 すでに外は闇に包まれていた。行きも帰りも空港発着は夜である。
 晴れ渡った青い海を見ながらであれば多少後ろ髪を引かれる思いがしたかもしれない。けれど乏しい灯りしか見えない夜の空港を眺めても、とりたてて未練を感じることはなく、
UL104便は粛々と(もちろん気分のうえで)モルディブ共和国を後にした。