翌朝、鏡を見ると大変なことになっていた。 うちの奥さんに至っては、前夜部屋に戻ってから、足先が冷たいなどといってストーブに足を向けて横になったまましばらく寝てしまったため、12ラウンドを戦ったボクサーのようなまぶたになって、なおかつ僕と同じようにシワシワ。 そりゃもともと目じりに皺はあるけれど、皮膚が爬虫類化してしまったかのようなシワシワはいったいどうしたことだ。 お互いの顔を指差しあって笑っていたものの、外に出していい顔なんだろうか? それにしてもこのシワシワ、なんで?? それは強酸性の湯に入りすぎたせい? いや、ひょっとして……………雪焼け?? その後日が経つと、シワシワだったあたりの皮が、ポロポロと剥け始めた。 ………どうやら雪焼けだったらしい。 たしかに一時は上着を脱いでも暖かいくらいに日差しが出ていた時間帯もあったとはいえ、こんなに焼けるものなの?? その後ヒアルロン酸塗り込み作戦を続けた結果、帰沖後しばらくして、ようやく老けメイクを落とすことができたのだった。 しかし宿を発たねばならないこの朝は、チェックアウト時もこの顔である。 ん? 「これ、少しで申し訳ないですけど、主人が作っているお米です」 食事の際にいただいていた、例の「はえぬき」!!! 朝夕の食事の際に旨い旨いとバカの三杯飯を繰り返していたおかげで、去り際にこんなにウレシイお土産を頂戴してしまった。 なんだか食事中ずっと催促していたみたいですみません……。 ヨロコビの「はえぬき」は、もちろん大切に島に持ち帰り、美味しくいただいた。一口味わうたびに、蔵王の雪景色が目の前に広がった。 最後もやはりどこか水納島のような雰囲気に包まれつつ、宿を後に。 上の息子さんが高校生の3児の母にはとても見えないくらいに若々しい女将さんと、まぶたを腫らしてシワシワ老けメイク(?)のオタマサ。 宿を出て、何度も歩いた高湯通りと蔵王連山の景色を見納めながら、蔵王温泉バスターミナルから山交バスにのって、山形駅へ。 バスが発車して雪深い山道を下り始めたばかりの頃、前の席に座っていたご夫人が、窓外の雪の斜面に視線を送り、 「あら!」 と声を。 カモシカが2頭!! 2頭が静かに向き合ってたたずんでいた。 これまたなにかの冥加。 蔵王から小一時間ほどで、カモシカもいる雪深かった景色はすっかりフツーの街に変わり、山形駅に到着。 山形駅から初体験の山形新幹線に乗って、一路東京へ。 新幹線は1時間に一本。 みどりの窓口の前にあったお店で、実に魅惑的なものを発見した。 山形名物「いも煮」弁当。 いわば郷土の誇り的お弁当だ。 温かければもっと美味しいだろうなぁ……と数年前なら言っていたことだろう。 なんと、食べる直前に温かくすることができるのだ。 これを引っこ抜いて5分経つと、あ〜ら不思議、お弁当はアツアツ状態に。 その紐の先には、こういうものがあった。 全国の駅弁が一堂に会するコンテストというものが毎年東京であるそうで、その模様を紹介するドキュメントを以前観たことがある。 アツアツのおかげでお腹も暖まるので、思わずビールをもう1本頼んでしまった。 山形県内を走っている間中、車窓はずっと白銀の世界だったのに、福島県内に入ってフツーに雪がある冬の景色になり、栃木、埼玉になるとすっかり都会。 家やヒトの数と、時間が進む速度は比例する…… ………のかもしれない。 埼玉の実家では、例によって沖縄では味わうことができない焼き鳥を鳥吉で堪能したりしつつ2泊を過ごし、いよいよ沖縄へ帰る日になった。 新幹線同様お昼をまたぐ時間帯の便だったので、機内で空弁をいただいた。 やっぱり穴子!! 金沢産の「穴子の棒寿し」だ。 今回もまた例によって、超防寒着に身を包んでいたのがほんの数日前のこととはとても思えないほどに、春の到来を告げる沖縄の南風が、旅の記憶を少しずつ思い出に変えていく。 みちのくの地を始めて踏んだ11年前の旅日記は、最後にこう結んでいる。 「たしかな何かを持ち帰るため、再びかの地を訪ねよう。」 しかし今回再び「かの地」を訪ねることができて、なにも肩肘張って何かを持ち帰る必要などないことに気づいた。多少の未練を残したとしても気にやむことはない。 だって「たしかな何か」は、いつだってそこにあるのだから。 また行こう、楽しい東北へ!! 最後になりましたが、我々の気まぐれな旅程に合わせ、3連休という貴重なお時間を費やしてくださいました仙台各チームの皆様ならびに東京からかけつけてくださった方々、楽しい時間を本当にありがとうございました!! 島でまたゆっくり飲みましょう!! |