18・京都探訪〜知られざる京都・2〜
空港がない京都を訪れる際、観光客はたいてい京都駅あたりに到着する。 だから人はいう、京都って通りの裏の裏まで入り込まないと京都らしさがない……と。 しかし!! ほんに……雅どすなぁ。 …の世界なのだ。 そんな洛北は岩倉の里付近にあるのが、この円通寺。 他の京都の有名どころに比べたら小さな臨済宗のお寺だ。 「ヒャ〜〜〜〜…………」 と、少女のような嘆声をあげた。 緑の絨毯のように苔が敷き詰められた美しい枯山水のお庭のその向こうに、うっすらと雪化粧を施した霊峰比叡山のお姿が………。 思わず息を呑むとはこのことだろうか。 残念ながら僕がこのとき持っていたコンデジの画角と描写力ではこれが精一杯なので、それを写真で伝えきることができない……。実際は写真よりもくっきりはっきりと御山の姿が眼前に広がっていた。 円通寺のパンフレットより いわゆる「借景」だ。それにしても他にこれほどまでに壮大な借景があろうか。 彼によれば、この板の間がこうしてほぼ貸切状態で空いているのは珍しいという。知る人ぞ知る的場所ながら、さすが京都だけあって「知る人」が多いので、普段は平日でもわりと混んでいるのだとか。 ひょっとして、僕たちって京都の御仏に歓迎されている?? 板の間にはありがたいことにホットカーペットが敷かれていて、僕たちはそこに座ってしばしたたずみ、この借景に見とれていた。 我々がここに座るタイミングにあわせ、 住職の声による案内放送が流れる 人には生活のどこかに、こういう風景をただじっと心静かに眺めていられる時間が必要だ。 四季折々でさまざまな装いになるであろうこの庭と比叡山。その姿を追い続けて、がんばるオジサンはかれこれ十回以上もここに足を運んでいるという。 そんながんばるオジサンが憂えていることがある。 けど………けど!! さすがに全面的に比叡山が隠れてしまうわけではないとはいえ、板の間の高さから垣根の高さなど、ありとあらゆるものが計算されつくして作られている庭である。その視野の一角に人工物が入ってしまえば…………。 仏教がどうこうとか、歴史がどうこうとか、そういう話はまったく別問題として、この「借景」に価値を見出すというのは、日本人がその何千年にも渡る歴史で遺伝子に刻み続けてきた遺産であったはずなのに。 京都を愛してやまない吟遊詩人・がんばるオジサンは、「そろそろ見納めの段階ですわ……」と寂しそうにつぶやく。 きっと円通寺も、今は本当にその山号どおり「大悲山」と化していることだろう………。 |