8・奇跡のけん玉
ケニア旅行記でも触れたとおり、3年前の秋、僕の実家は三十数年ぶりに引越しをした。 もとの実家は、三十数年前には「新興」住宅地だったところに建つ一軒家だったのだが、長男である僕は遠く大阪を離れ、愚弟は大阪在ではあるけれども所帯を持って家を出ているため、何かと日々のケアが必要な一軒家の維持は、寄る年波で両親にはかなりきつくなり、ついにバリアフリーのハイテクマンションに引っ越した。 2年前の帰省の際に、もとの家があった場所を見に行ってみたところ、3階建ての見慣れぬ新築一軒家が建っていた。すでにかつての実家は跡形もなかったのである。 なんだかんだといいながら、思い出がたくさん詰まった家が跡形もなくなっている様子を見るのは忍びないと、うちの愚弟などは引っ越し後一度も見に来たことがないという。 もちろん、日々忙しく真面目に働いている彼にそんなことができる余裕があるはずはなく、そもそも好き勝手に沖縄で遊び暮らしている僕が舞い戻るはずもない。 という己れの立場を認識していた僕は、実家の引越しと、それにともなう取り壊しという思い出の地の消失を、現実として極めて淡々と、ウェットになることなく受け入れることができていた。 で、今回は2年ぶり2度目。 場所がわからん。 南北にツインで建っているこのマンションの、南側だったか北側だったか、それすら記憶がおぼろなのだ。 ちなみに、部屋番号すら覚えていないのはいうまでもない。 実はこの日の両親は、なにやら3時から5時まで老人会(?)のピンポンの日だとかいうことで、5時まで留守にしているということだった。我々はそれを見越してこんぱまるなどに寄り道し、こうして5時前に到着したわけだけれど、はたしてもう帰ってきているだろうか? 電話をしてみると………いた。 そしてちなみにこの日2月3日は、うちの両親の41回目の結婚記念日なのだった。 ピンポーンと呼び鈴を鳴らし、玄関を開けると…… パンッパンッパンッ!! 甥っ子たちプラス愚弟の嫁さんによるクラッカーでの歓迎!! 高齢世帯のこの家がこんなににぎやかになることも滅多にないだろう……。 そうやって久しぶりに帰省したことがある人は誰でも味わっているだろうけれど、ここぞとばかりに母のカメーカメー攻撃が始まった。 せっかくのおもてなしを前に、そんなことは言っていられない。 ……といいつつ、もともと酒をたしなまない愚弟夫婦は車で来ていることもあって飲まないし、父は父で、若い頃はあれほど飲んでいたというのに今はドクターストップで飲めないし、母はもともと飲めないし……で、結局飲んでいるのは我々夫婦だけだったりする。 ともかくそうしてにぎやかな食卓では、いち早くキッズたちが食事を終えていた。 そうまでされて黙っているわけにはいかない。 で、トモ君からけん玉を奪う。 さあお立会い、これ一発で入ったら、君んちの高級車とうちのプチトマト号を交換するぞ!! 子供相手にいきなり賞品が現実的なところがシブいでしょ。 ところが!! 雑音をすっかり頭の中から排除して精神を統一し、集中すること3秒間。そして、けん玉本体がヒラリと舞った。 一発で成功!! どうよ、 どうよ、どうよ!!これが人生40年の実力だ!! そこにいた誰もが驚いていたけれど、かくいう僕が一番驚いていたのはいうまでもない。 こうして、トモ君のパパの車はプチトマト号に変身することになったのだった。 ちなみに彼は現在小学3年生である。 「アホ、おるわけないやろ!」 普段、島の子供たちの礼儀正しい言葉遣いしか耳にしていない僕たちには、最近の子供たちの、長幼の序をまったく無視した言語文化に触れるとかなり新鮮である。 小学生の頃から沖縄にガールフレンドがいる大阪の少年………なんて、なんかドラマにありそうじゃないか。 と、おっちゃんは勝手に盛り上がっていたので、島に帰ってから今度はアカネのほうにトモ君のことをアピールしておいた。 「男の子なの?」 あ、そうか、肝心なことを言うのを忘れていた。 どうよ、俺の甥っ子?? 雑誌に文通相手募集の欄があった大昔と違い、いまどき画像無しで恋が成就するはずはない。 (追記) こう書いていたところ、愚弟が本当に写真を送ってきてくれた。 撮影:愚弟 ……って、みなさんに見せてもしゃーないか。 ともかくこうして、久しぶりの帰省初日の夜は、にぎやかに更けていったのだった。 |