8・奇跡のけん玉

 ケニア旅行記でも触れたとおり、3年前の秋、僕の実家は三十数年ぶりに引越しをした。
 以前の家には僕が生後半年くらいのときに越していたので、実家の引越しというものを僕は事実上生まれて初めて味わった。

 もとの実家は、三十数年前には「新興」住宅地だったところに建つ一軒家だったのだが、長男である僕は遠く大阪を離れ、愚弟は大阪在ではあるけれども所帯を持って家を出ているため、何かと日々のケアが必要な一軒家の維持は、寄る年波で両親にはかなりきつくなり、ついにバリアフリーのハイテクマンションに引っ越した。

 2年前の帰省の際に、もとの家があった場所を見に行ってみたところ、3階建ての見慣れぬ新築一軒家が建っていた。すでにかつての実家は跡形もなかったのである。

 なんだかんだといいながら、思い出がたくさん詰まった家が跡形もなくなっている様子を見るのは忍びないと、うちの愚弟などは引っ越し後一度も見に来たことがないという。
 その気持ちもわからなくはないけれど、そんなに哀しいのならそもそも同居していればよかったのだ。それが無理なら、毎月足繁く通い、家の管理をしていればよかったのである。

 もちろん、日々忙しく真面目に働いている彼にそんなことができる余裕があるはずはなく、そもそも好き勝手に沖縄で遊び暮らしている僕が舞い戻るはずもない。
 であれば、いずれにしても自分たちはもとの家のために何もできなかったのだから、跡形もなくなったからといって、たとえある種のもの哀しさを味わおうとも、それを表に出す資格は僕たち兄弟にはない。

 という己れの立場を認識していた僕は、実家の引越しと、それにともなう取り壊しという思い出の地の消失を、現実として極めて淡々と、ウェットになることなく受け入れることができていた。
 ともかくそういうわけで2年前は、万感の思いをこめつつもあくまでも淡々と、新しい実家に帰省したのだった。

 で、今回は2年ぶり2度目。
 赤い彗星という超ハイテクマシンで送ってきてもらったはいいけれど…………

 場所がわからん。

 南北にツインで建っているこのマンションの、南側だったか北側だったか、それすら記憶がおぼろなのだ。
 正面エントランスから行けばすぐさま思い出せたものの、車を乗り入れたのが両棟の間にある駐車場スペースだったため、外見からは判別不能だった。

 ちなみに、部屋番号すら覚えていないのはいうまでもない。
 元の実家なら今でも目をつぶっていてもたどり着けるくらいなのに、現在の家がわからないとは……。
 これが歴史の重みの違いというヤツか。<ただあんたがどんくさいだけでしょう。

 実はこの日の両親は、なにやら3時から5時まで老人会(?)のピンポンの日だとかいうことで、5時まで留守にしているということだった。我々はそれを見越してこんぱまるなどに寄り道し、こうして5時前に到着したわけだけれど、はたしてもう帰ってきているだろうか?

 電話をしてみると………いた。
 しかも、ピンポンには結局行かなかったという。
 おまけに、もう愚弟一家も到着しているという。

 そしてちなみにこの日2月3日は、うちの両親の41回目の結婚記念日なのだった。

 ピンポーンと呼び鈴を鳴らし、玄関を開けると……

 パンッパンッパンッ!!

 甥っ子たちプラス愚弟の嫁さんによるクラッカーでの歓迎!!

 高齢世帯のこの家がこんなににぎやかになることも滅多にないだろう……。

 そうやって久しぶりに帰省したことがある人は誰でも味わっているだろうけれど、ここぞとばかりに母のカメーカメー攻撃が始まった。
 まだ時刻は6時前である。
 2時半にうどんを食べたばっかりなんですけど………。

 せっかくのおもてなしを前に、そんなことは言っていられない。
 こういうときこそ、普段のバカ食いモードを全開にしなければならないのである。

 ……といいつつ、もともと酒をたしなまない愚弟夫婦は車で来ていることもあって飲まないし、父は父で、若い頃はあれほど飲んでいたというのに今はドクターストップで飲めないし、母はもともと飲めないし……で、結局飲んでいるのは我々夫婦だけだったりする。
 旦那の実家に帰省して、誰よりも酒を飲む嫁ってどうなのよ………。<うちの奥さんのことね

 ともかくそうしてにぎやかな食卓では、いち早くキッズたちが食事を終えていた。
 小学3年生の兄トモ君と、来春入学する弟ブンちゃんの二人だ。
 会うたびに2年ぶりくらいなので、成長がワープ感覚で面白い。
 彼らは彼らで、最初こそ照れモードがやや入っていたものの、兄ちゃんであるトモ君が、マイブームなのかけん玉をとりだして難易度の高い技を披露し始めた。
 玉のほうを持って本体を穴に挿すヤツ。
 披露するだけあって、百発百中の腕!!………なわけはなく、100万回くらいやってようやく1回入った。
 勝ち誇る彼。

 そうまでされて黙っているわけにはいかない。
 ここでおっちゃんが登場せずにいつ登場するというのだ。

 で、トモ君からけん玉を奪う。

 さあお立会い、これ一発で入ったら、君んちの高級車とうちのプチトマト号を交換するぞ!!

 子供相手にいきなり賞品が現実的なところがシブいでしょ。
 でもまぁ、だ〜れも一発で入るなんて思っちゃいないから、賞品なんてなんでもよかったのである。言っている僕自身、まったく信じていなかったのだから。

 ところが!!

 雑音をすっかり頭の中から排除して精神を統一し、集中すること3秒間。そして、けん玉本体がヒラリと舞った。
 すると…………

 一発で成功!

 どうよ、どうよ、どうよ!!
 これが人生40年の実力だ!!

 そこにいた誰もが驚いていたけれど、かくいう僕が一番驚いていたのはいうまでもない。
 いつからこんなに本番に強くなったのだろう??

 こうして、トモ君のパパの車はプチトマト号に変身することになったのだった。
 あ、約束どおり車検証を送らなきゃ……。

 ちなみに彼は現在小学3年生である。
 島のアカネと同級生だ。
 酔っ払ったおっちゃんは、そのあたりのことも厳しくチェックしておいた。
 おい、誰か好きな子おるん??

 「アホ、おるわけないやろ!」

 普段、島の子供たちの礼儀正しい言葉遣いしか耳にしていない僕たちには、最近の子供たちの、長幼の序をまったく無視した言語文化に触れるとかなり新鮮である。
 でもまぁ、彼らの目線で話をするにはこのほうがいいのかもしれない。
 で、おるわけないやろと言いつつも、なんとなく気恥ずかしそうな様子を見ると、にくからず思っている子が一人や二人はいそうな気配を醸し出していた。
 しかしそれを無視し、僕は積極果敢にアカネをアピールしておいた。

 小学生の頃から沖縄にガールフレンドがいる大阪の少年………なんて、なんかドラマにありそうじゃないか。

 と、おっちゃんは勝手に盛り上がっていたので、島に帰ってから今度はアカネのほうにトモ君のことをアピールしておいた。
 なにしろ彼女には……というか、現在4名の小学生の誰にも同級生などいないから、同級生というだけで何か新鮮なのである。

 「男の子なの?」

 あ、そうか、肝心なことを言うのを忘れていた。
 そう、知的な雰囲気をかもし出しつつも大阪弁しかしゃべれない少年だ。
 慣れない子には大阪弁はきつく感じるかもしれないが、アカネの母ちゃんタカコさんは大阪出身だし、何度か大阪に行ったことがある彼女には大阪弁に対する免疫がある。ときおり「なんでやねん!」という大阪弁のツッコミをいうときもあるほどだ。

 どうよ、俺の甥っ子??
 ああ、しまった!!
 せっかくみんな揃っているこの日このとき、写真を撮るのを完全に忘れてしまっていた!!

 雑誌に文通相手募集の欄があった大昔と違い、いまどき画像無しで恋が成就するはずはない。
 愚弟よ、これを見ていたらすぐさま長男の写真を送るべし!!

 (追記)

 こう書いていたところ、愚弟が本当に写真を送ってきてくれた。
 アップしてよいというからアップしてしまおう。
 これが、けん玉大将トモ君(右)と、お年玉を渡すときに「金の斧と銀の斧、どっちがいいかなぁ?」と訊いたら迷わず「金の斧ぉ!!」と答えるブンちゃんだ!!(後ろにいるタヌキのような動物はお母さん)


撮影:愚弟

 ……って、みなさんに見せてもしゃーないか。
 アカネに見せようっと。

 ともかくこうして、久しぶりの帰省初日の夜は、にぎやかに更けていったのだった。