午前中はのどかにグランドを散歩したこの日、午後の僕には大役が待っていた。
ゴッドファーザーの送迎である。
午後に会社仲間の新年会があるという父ちゃんに送迎を頼まれていたのだ。
都合さえつけばこの日父ちゃんとともに杉並まで行き、ウロコムシ武田さんの写真展を居心地のよさそうなお店で堪能しようと思っていたのだが、この父ちゃんの新年会によってその野望は儚く消えてしまった。
さあ、送迎。
別にペーパードライバーというわけではない。
沖縄以外で運転したことがないというわけでもない。
でも……なんつうか、マスオさんである僕にとっては、父ちゃんのマークUはまるでベンツの最高級クラスのようなものなのである。
車は動けばいいという程度の認識しかない人間としては、うちの奥さんの100倍きれい好きな父ちゃんの手によって塵一つない状態にキープされている車内に乗り込むことすら恐縮するのに、適当に運転してボディに傷つけちゃったらどうしよう……。
波平を前にしてたじろぐマスオさんを想像されたい。
そんなこんなで緊張しつつも、所沢に住んでいたころ往復によく使った懐かしい道を通って新年会の会場近くの八津池公園まで行き、迎えの時間を決める。
「1時間半じゃちょっと早いか?2時45分くらいにするかぁ…。でも30分頃にはここに来ておいてくれや」
そうやってスタスタと父ちゃんは去っていったが……。僕とうちの奥さんの予想は一致した。
絶対3時を過ぎるって。
そこから我々二人だけでドライブとあいなった。
まずは母ちゃんのお墓参りである。
墓地の手前に八高線の踏み切りがある。ご存知のとおり八高線なんて1時間に1本電車が通るかどうかのスーパーローカル線である。
にもかかわらず、思いっきりそこの踏み切りにつかまってしまった。
あとで父ちゃんに言うとビックリしていた。滅多にめぐり合えない体験であることだけはたしかだろう。ついているんだか、ついていないんだか……。
そういえば、踏み切りを車で越えたのは何年ぶりだろうか……。
お墓参りを終えて車を再び出そうとしたとき、携帯に電話がかかってきた。
電話はまず百パーセントうちの奥さんが出るので、僕は運転しながら会話を聞き、誰からだろうかと推測する。
あ。どうやらオチアイらしい。
先ごろうちから送った小荷物が届いたのだろう。
ところが、電話を切ったあとのうちの奥さんの報告は予想外だった。
「彼も明日から下呂温泉に行くんだって」
おお…。
さすが違いのわかる男。
温泉ということなら高山のナンチャッテ温泉よりは下呂が本場である。なにしろ道後温泉と同じく白鷺伝説がある温泉だ。その歴史は古い。
そういえば、偶然なことに父ちゃんも来月会社の旅行で飛騨高山に行くそうだ。
なんだなんだ、実は巷ではあのへんのブームだったのか?
そのとき…。
バックミラーに吊り下げられている道中お守りにふと目をやると、そこには
「飛騨高山」
と書かれてあった。父ちゃん、一度行ってるんじゃん……。
後刻そのことを訊ねてみると、
「あれ?どこで買ったんだっけ?」
いえ、知らないです…。
おそらく、昨年だったか一昨年だったかの社員旅行で下呂温泉に行った際に、チラッと高山にも寄ったのだろう。なんで我々がそんなことを推察せねばならないかというと、本人がまったく覚えていないからである。ああ、この親にしてこの娘あり……?
なんだかんだいっても1時間半しかないとあとは飯を食べることくらいしかできず、チョロッと食事をして、待ち合わせ場所の八津池公園に到着。
その名のとおり池がある…。
さっそく車を降りて物色するうちの奥さん。すると、池には予想通り…
カモがいた。
たった1羽だけだったが、アフラック、アフラックと鳴きまねをしてみると(鳴きまねじゃないってば)、ヒョコヒョコと泳ぎながら近づいてきた。慣れているようだ。
この八津池周辺は、昔はもっと鬱蒼とした密林地帯で、池はもっと広く深く、誰からも底なし沼として畏れ敬われていたという。
少年時代の父ちゃんには、そんな秘境中の秘境であるこの八津池に来たという武勇伝があるらしい。そういう話をうちの奥さんは子供の頃に聞いたことがあるそうだ。
そんな「秘境」もいまやすっかり住宅地に様変わり。この小さな池がかろうじて1つ残っているのは、きっとその地名のおかげなのだろう。
さて、時刻はすでに午後2時半。車に戻って父ちゃんの帰りを待つことにした。
予想通り、念のための2時半では姿は微塵も見えず。
やがて約束の2時45分に。
気配すらなし。かつての底なし沼の近くで、底なしに飲んでいるってことはないよなぁ、父ちゃん……。
そして3時に。
助手席のうちの奥さんは、今朝まで漫画を読んでいたこともあって、スヤスヤスヤスヤ、実に心地よさそうに眠っている。それでもやはり姿は見えず……と思ったら!
通りの向こうに、申し訳なさそうに、それでもたっぷりゴキゲン状態で歩いてくる父ちゃんの姿が見えた。
「いやあ、わりぃね。遅くなっちったよ。呼んでこい呼んでこいってうるさくてっよぉ。これからご飯が出るっつうんだけど食べずに出てきちゃったよ」
呼んでこいってのはつまり……迎えに来てる我々を宴席に呼べということだ。
なんだかそれも面白そうだなぁと思いつつ、そうするとこのマークUの運命は?ということに気づいたのだった。
帰りがけに巨大スーパーベルクで買い物を。
特に必要なものはないと若奥さんに言われていたものの、沖縄の…少なくとも本部町内では絶対に売られているはずのないウドや茎ワカメをうちの奥さんはゲットしていた。
このウドの美味しいこと美味しいこと!!
その他、本部では手に入らない魅惑の食材が目白押しだった。あれも食べたいこれも食べたい、でも一度には食べられない、だったら持って帰りたい、ああこれから旅行するんだった……。
今宵は築地家特製手巻き寿司パーティである。
わざわざ早めに帰ってきてくれた若旦那も加え、家族揃っての食卓。酒代だけはシビアにくっきりと家計が分かれているので、序盤の我々は父ちゃんのビールで乾杯、そして一足早く父ちゃんが床に着くと、若旦那のビールへ…。
うーん、美味しいなぁ……。
やがてワインから酎ハイへと脈絡無くうつり、この家のアルコールというアルコールを枯渇させてしまうのではあるまいかという勢いのまま、今日も夜が更けていくのだった。まさか翌日、あのようなことが起ころうなどとは夢にも思わないままに……。