朝の散歩を終え、宿に戻って朝食をいただいた。昨夜からお泊りのお客さんが他に3組ほどいらっしゃったので、我々の滞在中、広い食堂が初めてにぎやかになった。
そのお客さんの中に、沖縄からいらっしゃっている方がいる、と女将さんにうかがった。
沖縄からわざわざ来るなんて我々くらいのものだろう
そう思っていたのだが、やはり日本有数の観光地。そりゃ、居酒屋に泡盛まである時代だもの、沖縄の人たちだって来るよなぁ…。
朝食後、最後の温泉に浸かった。
思い残すことのないよう、たっぷりと……。
飛騨高山の日々が終わろうとしている。
プロローグが長すぎて随分長い間旅行しているような気がしたけど、ここ高山にいたのはたったの3泊だった。そんなに泊まってどうするのだという方もおられるだろう。でも僕たちには、まだもう少しいてもいいくらいに居心地がよかった。
我々しか泊まり客がいない夜が続いたことを思うと、初日だけじゃなく夕食を頼んでいればもっと女将さんの話を聞けたかもしれない。もう少し旅程が長ければ……。
来たときと同じく駅まで送ってくれるということだったので、それだったら途中の高山郵便局本局で降ろしてもらうことにした。行商にいけるくらい買ったお土産をゆうパックでうちに送るのだ。
そのあと駅まで歩いて荷物をコインロッカーに預け、朝市をゆっくりめぐろう。
「だったら、駅を経由して郵便局まで乗っていけば」
願ってもないありがたいお話である。やはり高山の人たちは優しい…。
もっといろいろお話したかったという未練を残しつつ、岩田館さんを後にした。
ありがとう、女将さん!
飛騨高山は、四方を山に囲まれている。
美濃、越中、信州、どこへ行くにも連綿と続く山々を越えなければならない。周りの国々から見ると、飛騨高山は遠い山の中、雲に覆われた存在であったことだろう。
文明の利器を駆使してたどり着いてもなお奥深いと思えるのだから、昔の人ならなおさらである。
そんなところに京都のような江戸時代の町……。
なにやらファンタジーのような世界に思える。
普通、そういう前評判は実際に来てみると
なぁ〜んだ…
という感じになるのだが、飛騨高山は本当にファンタジーの世界だった。
それはけっして夢見る乙女的なものではない。
そこに暮らす人々が自分たちで価値を見出し、守り続けた世界である。今の日本にそんな話がいったいどれだけあるだろうか。
10年前、20年前、もっとさかのぼって30年前と比べたら、飛騨高山だって随分変わってしまったかもしれない。でも日本の他の地域の急速な変貌ぶりに比べたら、
時がいい感じに進んでいる……
そういっても過言ではないだろう。
あまりに早く進みすぎると、思考が働かなくなる。
進んでは立ち止まり、ときおり振り返って少し考え、そしてまた進む……
簡単なようでいて、あまりに早く進みすぎる今の世の中ではこれほど難しいことはない。
それをいともたやすくこなしている……それが飛騨高山ではなかろうか。
ファンタジーだ。
そんなファンタジーの世界を、僕は雪の中で見たかった。
雪はあらゆるものを覆ってくれるので、より美しく見えるに違いないと思ったから。
たしかに雪に包まれた町並みは美しかった。
が、そこに暮らす人たちにとっての雪は、けっして楽しむものではなかった。
宮川朝市でかかさと話していたときのこと。話の流れで我々が沖縄から来たことを告げると、
「寒いでしょう?」
寒さを気遣ってそういってくれた。
でも僕たちは雪を見に来たようなものなので、かえってこのほうが楽しい。そういうと、
「私はもう、雪は大っっっ嫌い!!」
そう穏やかに語るかかさの、「っ」の間の顔が、心底雪が嫌いであることを物語っていた。
ここで暮らす人々にとっての雪は、戦う相手なのである。
旅行から帰ってきてほどなく、日本は19年ぶりの大雪に見舞われた。
今回高山に旅行してから初めて気づいたのだが、大雪のニュースが流れるたびに、現在の雪の状況を伝える映像として高山がしょっちゅう出てくる。それほどの豪雪地帯なのである。
あの大雪で朝市は営業できたのだろうか。岩田館は大丈夫だろうか……。
ずっと戦っていたんだろうなぁ………。
そんな厳しい自然であるにもかかわらず、人々はやさしく穏やかだった。心の内側にホッカイロを入れたようなぬくもりがいたるところにあった。
そういえば、厳寒の地アラスカの小村で出会った人々にも心のホッカイロがあった。厳しくもやさしくもある自然とともに暮らしていると、人と人との繋がりがホットになるってことなのかな……。
周りを山に囲まれているおかげで高山にはそういった美質が凝集し、見事に醸造されているのだろう。
束の間の滞在客である僕たちは、そのしぼりたて原酒を味わったのかもしれない。