トボトボと再び海岸通りへ戻ってきた。
歩いていくには扇谷があまりに遠かったせいで、昼食をとるにはやや遅い時間になっていた。
この松島海岸では、是非焼き立ての笹かまぼこを食おう、ということになっていて、松島かまぼこ本舗こそがそのメッカである、と調べをつけていた。
土産物屋なのだが、食堂も併設していて、焼き立ての笹かまぼこをいただけるのである。ビール片手に笹かまぼこ!
さっそく店に入ると…………。
ああ、なんということだ、もう営業時間おしまい………!?
しまった!扇谷なんかに行ってしまったために、すっかり遅くなってしまったのだ。
扇谷行に関しては、うちの奥さん的には腹をすかせるための適度な運動になったのだけれど、せっかく腹をすかせて帰ってきてみれば、目当ての店が終わっていたのである。演出したかのような展開ではないか。
仕方なく、隣近所の店に入った。
出された定食には、冷たい笹かまぼこがチョコンと乗っていた。
それでもさすがに地元、カキは美味しい。
気を取りなおし、生ビールで乾杯。
目当ての食堂は終わってはいたものの、土産は買える。
食後、沖縄へ送るお土産を物色した。
ほどよいものがあったので、それを宅急便で送ってもらおうとしたら、
「あ、沖縄ですか?」
と店の方がいう。なんでも、テロ事件の関係で荷物のチェックが厳しくて、発送に5日くらいかかってしまうというのだ。そうなるとナマモノであるかまぼこは品質保障ができなくなるために送れないのである。
サイズといい味といい、やや劣るであろうけれど、やむなく日保ちする真空パックのほうにした。
テロ事件が、まさか笹かまぼこの選択まで左右しようとは、ビンラディンも夢にも思わなかったことだろう。
松島の島々をまわる観光船は、島々を巡ってもとの場所に帰ってくるコースと、そのまま塩釜まで行くコースがある。
我々はこのあと塩釜に行くから、その船に乗ってもよかったのだが、あいにく荷物を駅のロッカーに預けてある。駅まで荷物を取りに行って、再び桟橋まで戻ってくるのは億劫だったので、そのまま電車で本塩釜駅に向かった。
海辺の線路だから、窓外からときおり海が見える。
松島海岸駅から一駅過ぎたあたりの海岸のほうが、よっぽど風光明媚である気がした。けれどあたりはひっそりと鎮まりかえっており、その景色を売り物にしている様子はない。やはり実際の景色よりも名声が観光に繋がるのであろう。
塩釜での宿は、あらかじめ調べておいたところによると本塩釜駅から歩いてすぐ、ということだった。
駅から降りて、簡略地図を頼りにテクテク歩いていこうと思ったら、拍子抜けするくらい間近にその宿があった。ホントに駅前なのだ。
創業100年を誇る老舗というので、僕は、東京は隅田川縁の「駒形どじょう」のような、まるで鬼平犯科帳に出てくる料亭のような趣を期待していたのだが、創業100年というのは単にボロイ、ということのようだった。受付の「鉄道省指定旅館」というプレートが時代を感じさせる。
部屋で一服した後、まだ夕食には相当時間があったので、ちょっと付近を散歩しがてら塩釜神社まで歩いてみた。
塩釜神社は古くから陸奥を鎮護する陸奥一宮として、朝廷からも庶民から崇敬を集めてきた神社である。
村落を見下ろす高台に社があり、参道は一直線に伸びる長い長い階段である。
ということは知っていたので、その階段はどこかなぁ、どこかなぁ、と歩いているうちに、いつのまにか境内に入っていた。車用の標識を頼ってきたため、車道で坂を登ってきてしまったのだ。
たどり着いたのは東側の裏参道であった。
夕刻であることもあって人通りはまばらである。そのせいもあって、社殿の豪華さとは関係なく、巨木が鬱蒼と茂る空間そのものが神々しい。もともと神が斎く場所であったわけだから、やはり寺と違って神社というのはたたずまいが違うのだ。もともとその地は、人がただたたずむだけで粛然となるような場所だったのだろう。
そのとき、人に口輪を取られつつ、のっしのっしと馬が歩いてきた。
御神馬である。
神様の馬だって散歩は必要なのだろう。ときおり草を食みつつ、のっしのっしと奥へ去っていった。
一応参拝し、表坂のほうへ向かうと、うわさの階段が一直線に下に伸びていた。明日はこの階段を上ってみることにしよう。
隣りにある志波彦神社のそばからの眺めは見晴らしよし、と聞いていたので、立ち寄った。
斜陽を浴びる千賀の浦を一望できた。一望できたが、やはり松島は松島である。すでに僕らの中ではそれ以上のものではない。というより、その「眺め」とやらのせいで焼き立ての笹かまぼこを食えなかったのだから、恨み骨髄に達しているのである。逆恨みも甚だしいが……。
階段は明日にとっておくことにしたので、裏参道から帰ることにしたところ、その脇に七曲坂と呼ばれる隠れ参道があった。
説明板を読むと、往古は一直線の階段などなく、この坂道こそが参道だったという。そうかそうか、昔の人はこの道を通っていたのか。
落ち葉が降り積もるその坂道を、本当に曲がり角は7つかどうか数えながらゆっくり降りてみた。
期待していなかったのに、なんと本当にカーブは7つであった。
下までおりたあと、表参道の階段の入り口はどこにあるのか気になったので、階段を探してみた。
陸奥一宮というから、伊勢神宮の周辺のように表参道の入り口はにぎやかなところなのかと思っていたら、付近はビックリするほど静かなたたずまいである。鳥居も階段も立派なのに、そのふもと周辺はまったく塩釜神社を無視しているかのような気配なのである。
それどころか、地元の女子中学生が、この表坂の階段をダッシュで駆け上がるトレーニングをしていた。
神社が生活の中に普通に存在しているのである。
これこそが神社の本来あるべき姿なのだろう、と思った。
うわ、これを一気に駆け上がるのか!?すごいなぁ、と感心していたら、中ほどで彼女たちは力尽き、あとは膝を押しつつズーラズーラと登っていた。
その参道入り口付近から駅前までは、一方通行道路が並行に走っている。駅に向かう側は整備が終わったばかりなのか、ブロック敷きのきれいな道であった。商店街らしい。
その一角に、まるで成金企業が祭る祠のような小さなお社がある。
塩釜神社の末社、御釜神社である。
オカマ神社なんて、聞くだけだとモーホーを祭っているようなヘンテコな名前だが、漢字のごとく鉄の釜を安置し、塩土老翁神を祭っているのである。
塩釜とは、どうやらその昔製塩所の大元であったらしく、塩がとっても貴重だった遥かな古代、その作業からなにからを神聖視していたようなのだ。だからこそ、その地を見晴るかす丘の上に、塩釜神社が鎮座しているのであろう。
この御釜神社では毎年7月に安置している釜を使って塩作りを行ない、キチンと奉納しているという。
その鉄釜は施錠された物置に収められてあるらしい。すぐ隣りの下宿屋のような社務所のおばさんにお願いすれば、100円の奉納金を払うだけで見せてもらえるようである。が、面倒なのでやめた。
その商店街に、浦霞の醸造元があった。
たとえ塩作りが神の作業であっても、僕としては酒の醸造元にこそ祈りをささげたい。
浦霞といえば宮城県を代表する地酒の一つで、おそらくストロング的にうまいに違いない。
おそらく、というのは、実は宿で飲もうと思ってここで一合瓶を買ったのだが、おりからの食いすぎ状態のせいか、それとも疲労困憊しているせいか、どうにもこうにも酒が進まず、結局鳥羽のタコ主任(旧姓)へのお土産になってしまったのである。味については彼の評価を待たねばならない。
ところで、食いすぎ飲みすぎといっても、ここまでの行程で、それほど飲んでも食ってもいなさそうじゃないか、と思われるかもしれないが、それは違う。
この旅行記は新幹線に乗るところから始まっているけれど、沖縄を出たのはその四日前である。
東京着初日は、後輩がどうしても食わせたい焼き鳥屋があるので是非行こう、というので寿司屋と焼き鳥屋をハシゴして、おまけにショットバーに行って最後はラーメンというウルトラコース。
翌日はうちの奥さんの実家に到着し、いやはや久しぶり久しぶりということで弟夫婦ともども父ちゃんに駅前の行き付けの焼き鳥屋でご馳走になる。
1日空けて、四日目は今回の帰省の目玉、13回忌の法要があり、法要後は親戚一同揃って料亭で懐石料理のようなご馳走をたっぷりと。
ね、休む間もなく食って飲んでいるでしょう?
その後、旅行中は歩き回ってカロリーを消費しているつもりだった。今日までいったい何キロ歩いたろうか。揚句、歩き疲れたせいか、カロリーは消費しても食ったものを消化できないようになりつつあったのかもしれない。
宿に戻って、風呂に入ったあと、ほどなく夕食である。
部屋で食えるというのはうれしかったが、創業100年の夕食は、まぁこんなものかな、という感じであった。
海辺の、それも有数の漁港の町だから、2キロ近く瘠せるくらいにほっぺが落ちるのでは、と料理を楽しみにしていたのだけれど、100年たっていよいよ電池が切れかけているのかもしれない。美味しかったけどさ。
いや、この評価は不当かもしれない。
なにしろ、翌日食った鮨がうますぎたからなぁ……。
夕食までの間、うちの奥さんはジャスコの食品売り場を見てくる、と行って出かけたが、僕はゴロリと横になってニュースを見ていた。
夕方放送している6時台のNHKのニュースは、最初10分間は全国区放送だが、その後はローカルニュース番組となる。
沖縄では「ティダかんかん600」というタイトルである。ティダとは太陽のこと。もう日が沈もうとする時間帯にはそぐわないような気がする変なタイトルである。
これが、岩手では「おばんですいわて」というタイトルであった。なんだか旅情が漂う。
ここ塩釜は宮城県である。さてさて、どんなタイトルか、と期待して見てみると
「ほっとみやぎ」
とっても普通で、なんだか期待はずれであった。ほっと、っていうのが実は宮城県にとって意味のある言葉ってわけじゃないよねぇ?
この地元局のローカルニュースに、以前全国区だったアナウンサーが出ていたのが懐かしかった。
NHKのアナウンサーは旅巡業のように各地をまわるのである。
はたして栄転コースなのか、左遷コースなのか。
いずれ全国区に復帰することもあるのだろうか。
そっと声援を送っておいた。