日が変わって11月5日。
この日弟夫婦&キッズたちは、朝早くから一泊二日でのおでかけだ。
相変わらず夜遅くまで若奥さんの蔵書であるマンガを読み耽っていたためにまだグーグー寝ているうちの奥さんをおいておいて、僕は前夜に「見送る」と冗談で約束していた手前、起きて一家の出発を見送った。
ゴッドファーザーはゴッドファーザーで、朝から畑の作業のようだ。例の「てっちゃんグランド」は、さらに進化を遂げているという。
うちの奥さんがようやく起きてきた頃には、ゴッドファーザーも朝食の時間で、とりえあえず三人揃って食卓でお食事。
今日は我々はお墓参りに行く。
うちの奥さんが学生の頃に亡くなったゴッドマザーのお墓参りだ。
車で行けばものの10分ほどのところにある霊園にお墓はある。
であれば、父ちゃんが連れて行ってくれてもよさそうなものなのだが、いいお天気と見るやいても立ってもいられないらしい。晴れている間にしかできない作業が、畑仕事をする人には山ほどあるのである。
なんだかその感覚、親子揃ってとっても似てるんですけど………。
ま、車は2台もあるし、いざとなればいつでも運転していける。でもこの日は、せっかくだから散歩がてら歩いていくことにした。ここ連日の暴飲暴食分を、すこしでも消費しておきたいってことも理由のひとつだったりする……。
行きがけに、ちょこっとてっちゃんグランドに寄ってみることにした。家から歩いて3分ほどのところにあるグランドは階段を下りていかなければならない川原なんだけど、お墓へはそのまま川原伝いの道を通って行けるのだ。
さて、さらに進化を遂げたというてっちゃんグランドは……
す、すごい!!
昨夜、父ちゃんが「西武カラーで全部塗ったよぉ」といっていたのはこのことだったのか。
この違いは、以前撮った写真と比べれば一目瞭然だ。
2005年1月撮影
下の写真は、2005年1月、飛騨高山紀行のついでに帰省した際に撮ったものである。冬だということを差し引いても、木々の成長がすさまじい。
それよりも!
父ちゃんいわく西武カラーという、このブルーの塗装がすごい。
色使いには賛否両論あるかもしれないけれど、それはおいておいて、この労力!!
ご丁寧に、バックネットまで塗ってあるのだ。
畑の野菜も随分本格的になっていて、今では立派に家計を支えているようである。
ただし、サツマイモの芋ほりを若奥さんやキッズたちにさせてやろうとしたところ、掘り出して出てくるのはヘナチョコ芋ばかりで、期待はずれに終わったらしい。
そのかわりサトイモが大豊作で、わんさかわんさか採れたという。芋ほりは急遽サトイモ掘りに変わったそうな……。
我々がこのグランドに降りようとしていたとき、ちょうど同じタイミングで、近所のオジサンが孫を連れてグランドにやってきた。
聞けば、孫が遊びに来るたびにこのグランドに連れて来ているのだという。
「あんたのとこのお父さん一人でやってるんだよ、これ……」
今や近所で知らない人はいないというまでに有名のようだ。
何よりもうれしかったのは、そうやってたまに遊びに来るというお孫さんが、
「ここねー、サワガニとかザリガニとかたくさんいるんだよぉー」
といって、細流を探索していたってこと。
人も生き物をも寄せ付けなかった鬱蒼と茂りまくっていた不気味な淀みが、人の手が適度に入ることによって生命を宿しはじめ、子供たちのフィールドになったのだ。
活動的には、もはや一人NPOといってもいいだろう。
…と、そうやって僕はいつも感想ばかりを述べていればいいものだとばかり思っていたのだが、まさかこのあと、自分も作業員の一人になる羽目になろうとは……。
さてさて。
車で10分という距離は、歩いてみると意外に遠い。
かつて一度歩いてきたことがあるのでだいたいの覚悟はしていたのに、それでもやっぱり遠かった。
霊園の事務所で線香やお花を購入し、桶を持ってお墓へ。
どんなに立派な石を使っていても、雑草が生えまくって植木も枝が伸び放題だったら、なんだかお墓の下の方が可哀相に思える。その点、うちの奥さんのお母上のお墓は、父ちゃんがいつもまめまめしく手入れしているということもあって、植木はきれいに整えられ、雑草などは微塵も生えていなかった。
この霊園は丘に作られていて、周囲には滅多に電車が通らない八高線と、青梅方面へと続く一本の道路を除くと木々しかない。
そして丘の間を縫うように細流が流れていて、それが霊園入り口付近を通っている。
ご丁寧にも、その霊園入り口付近だけ、
「水辺の広場」
とかなんとかいう名前になっていた。
広場といったって、単なる鬱蒼と茂った木々の間である。それも50坪くらいのスペースをグルリと周る歩道以外は、道なき道になってしまうようなところだ。好き好んでこういうところに来るひとはまずいまい。
でも我々は行くのだった。
そういえば、てっちゃんグランドにもサワガニがいるようになったというくらいなのだから、ひょっとして、ここの川にもサワガニがいるかもしれないじゃないか。
いた。
うちの奥さん一発ツモ。
サワガニを探すとなると、ついつい水に浸かっている石をめくりたいところだが、冬が近づいてきたこの季節だったら、きっともう少し水から離れた石の下にいるに違いない…という、経験に基づいたスジの通った推測のもとでの一発ツモ。
恐れ入りました………。
恐れ入ったはいいけれど、普通いい大人がお墓参りに来てサワガニなんぞと戯れるのかな??
まぁいいや。
来た道をテケテケ戻り、ちょこっと駅前でお昼の食材を買い求めた。
軽くうどんでも…ってことだったので、少々の肉も買いたい。
ところが!!
駅前の八百屋さんには肉はなく、唯一ある肉屋さんはなぜか臨時休業。
なんてことだ、肉を買えない駅前………。
仕方がないので、うどんには冷蔵庫にあったベーコンが投入されたのだった。
みなさんの駅前はどうだろう?
昔にくらべて、微妙に不便になってはいないだろうか。
あの書店は、肉屋は、電器屋は………。
郊外に大型店舗が次々にできるようになって、便利になったような気がする一方で、ふとこういうときに
「なんだかとっても大事なものを失っているような気がする……」
なんて気分になったことはないだろうか………。
歩き回って疲労したので、食後は心地よい昼寝をし、再び散歩してみた。
うちの奥さんの実家周辺は、いまさら言うまでもなく超がつく田舎なのだが、都会生活不適格者の僕たちにとっては、それがとっても心地いい。
時代の波とともに徐々に徐々にその田舎度が減ってはいるものの、それでもまだ濃厚に自然が残っている。
そんな実家周辺で僕がとっても気に入っているのが、この欅並木だ。
樹齢何年ぐらいなんだろう。相当な巨木である。
あまりに立派なので、この細い細い並木道だけは、舗装されることから免れた。おかげで、わずか50mほどながら昔ながらの風情がたっぷり残っているのだ。
この脇がすぐ入間川で、対岸から眺めるとこうなっている。
ダムができる前、つまりゴッドファーザーの子供の頃は水かさが今よりも圧倒的に大きく、子供たちはこぞって川で遊んでいたという。もちろん魚も当時は多く、うちの奥さんの自然好きの原点は、こういった野や川で遊びまくっていた父ちゃんに負うところが大きい。
昔ほどではないにしても、今でも川には魚が住んでいる。だからこそ、カモたちも普通に川面に浮かんでのんびりしている。
海こそないとはいえ、自然に囲まれたいいところなのだ。
この雰囲気を、近頃使いこなせるようになってきた写メを使って姫に送って見せたところ、
「そうかぁ〜本当にのんびりしてる所ですね。」
水納島で育っている子ですらそういうのだから、ここの田舎ぐあいはホンマモノである。
さてさて。
夜はお待ちかね、鳥吉タイム。
この旅行記のベテラン(?)読者であればご存知であろう、駅前にある味の店・鳥吉である。うちの奥さんの実家御用達の焼き鳥屋さんだ。
駅のすぐ前にお店があった昔は地元の人が集まる店だったのだが、駅前の再開発の関係で少し移動した今では近くの飯能市に駿河台大学ができた関係で学生たちも多く集まるようになり、週末はいつ行っても混んでいるという、かなりの人気店になっている。
若くなっているのは客層だけではなく、店員にも若い若いおねーちゃんが増えていた。
せいぜい年に一度しか現れない僕のことも覚えてくれているマスターご夫妻ももちろん健在で、老若がタッグを組んでなんだかいい感じで若返りに成功しているようだ。
その鳥吉に、今宵は父ちゃんと3人で。
そっくりな親子の2ショット。
かなりグレードの高い料理の数々が、東京の3分の1くらいのお値段なので、安心してジャンジャン頼める。とにかく焼き鳥は安くて美味しいから、お近くにお寄りの際は是非鳥吉へ!!
そうやって飲んでいると、隣のテーブルに顔見知りの一家が現れた。
うちの奥さんの一年上にあたる近所の方だ。
近所といっても歩いて10分弱のところなんだけど、そのお家には、実は僕も昔行ったことがある。
というのも、結婚前にうちの奥さんに住まわせてもらっていた頃、僕は高校の頃から飼っていたミドリガメのミドリちゃんと同居していた。
ある日のこと、飼育容器を掃除するために、その間カメを庭の池に放しておいたところ、いつの間にかカメは行方不明になってしまった。
ああ、7年も飼っていたのに、ついにお別れか……。
とあきらめかけた後日のこと。
電話がかかってきた。
僕しかいなかったので出てみると……
「あのぉ、うちにカメが迷い込んでいるんですけど、ひょっとして築地さん(うちの奥さんの旧姓)のじゃないかと思いまして……」
もちろん電話をかけてくださった方は、うちでカメを飼っているなんてことはまったくご存知ではない。にもかかわらず、カメを見るなりすぐさまうちの奥さんの家のだと判断するあたり、この家は昔からよほどの生き物好きと近所に認識されていたのだろう。
すぐさま引き取りにいき、ものすごく恥ずかしかったけど丁重にお礼を言った。
その電話をかけてきてくださったお宅こそが、このとき隣に座っていた方の実家なのだった。
古くからある近所の飲み屋さんなので、そんな感じで誰かしら知り合いと会えたりもするのだ。
実家近辺の行きつけの店というものをついに持ったことがないまま今に至っている僕としては、ちょっとばかりうらやましくもあったりする……。 |