14・中国4000年の秘酒

 このあと我々は、うちの奥さんの実家である埼玉・入間市を目指す。
 2年ぶりだ。
 姪っ子たちも随分大きくなったろうなぁ……。

 東横線に乗っている間に、結婚式祝賀モードからひとまず帰省モードにチェンジ。
 そして渋谷に到着。
 ううッ……久しぶりの山手線だ。
 夕方の、渋谷から池袋の間の混雑といったらない。
 かつてはこの人混みが日常だったこともある僕たちだけど、この先この混雑を毎日味わいながら通勤することを余儀なくされれば、おそらく即座に将来に絶望し、1日だってもたないだろう。もはや我々は完全なる都会生活不適格者なのである。

 池袋で西武池袋線に乗り換え、元加治を目指す。
 東京はもう5時で真っ暗だ。水納島では、この時間に最終便が帰ってくるというのに……。毎度のことながら、冬に帰省するたびに日本国内の「時差」を感じる。

 急行に乗ると、池袋から一時間弱で元加治に。
 冬ともなれば都心よりも3度は低いこの武州の気温に閉口することもしばしばだが、さすがに晩秋だとそれほど寒くもない。
 駅ではゴッドファーザーが迎えてくれた。

 旅行記を書くたびに何度も触れているとおり、うちの奥さんの実家には、現在弟夫婦プラス二女と、ゴッドファーザーが暮らしている。数年前についに根本的に改築された家は新しく、部屋の配置はそれ以前と似ているものの、かつて部屋の中でも水が凍るほどに寒かった冬の厳しさはもうない。
 これもまた何度か触れているのだが、実は僕は改築される前のこの家に、なんと結婚前にもかかわらず住まわせてもらっていたことがある。
 勤め先が西武線沿線に決まった際、ゴッドファーザーが

 「だったらうちから通えばいいじゃない」

 と言ってくれたからである。
 ま、普通ありえない展開なのだが、おかげで1年半ほど、僕はマスオさんとしてこの家で暮らしていたのだ。まだ弟君は結婚しておらず、彼が仕事で帰りが遅くなる場合など、僕がゴッドファーザーの酒の肴を作っていたのである。
 男子厨房に入るべからず
 というほどの家訓が僕の実家にあったわけではないものの、学生の頃ですら実際台所仕事など何一つしたことがなかった僕にとっては、このマスオさん生活こそが調理という意味での真の事始めなのであった。

 そういうわけで、普通は嫁さんの実家といえば旦那さんにとってはかなりよそ行きモードにならざるを得ないはずのところ、僕にはここもまたかつて暮らした懐かしいおうちなのである。遠慮なんてもちろんない。

 遠慮がないといえば、実家自体もそう。
 娘が久しぶりに帰ってくるというのに、ゴッドファーザーときたら

 「あ?ああ、その日は仕事だなぁ……」

 ということもたびたびあるし、弟夫婦にしても

 「へ?ごめんごめんその間は旅行行ってる」

 という具合だ。きわめてドライなのである。
 でもそのほうが、気まぐれに帰省してくる我々としてはかえってありがたい。妙に気を使われて本来の予定を変えてしまわれては、次回来づらくなってしまうものね。

 そんな次第なので、この日は2年ぶりの帰省だったというのに、きわめて普通に、まるで一週間ほどのご無沙汰って程度のノリである。
 が。

 なんとなんと!!
 こちらでもハッピィバースデーが用意されていた。
 というのも、姪っ子のカエデちゃんの7歳の誕生日が今月の7日。僕とたった3日違いなのだ。だから、ついでに二人一緒にってことで(もちろん僕がついでである…)、仕事帰りの弟君がバースデーケーキまで買ってきてくれた。

 39歳と7歳、ケーキにかける意気込みはおそらくほぼ同レベルだったであろう………。

 ところで、この写真の右側にあるソファの向こうには、大きな液晶テレビがある。
 食卓そばにも、小さな液晶テレビがある。
 けれど、食事中は絶対にテレビを見ない、というしきたりがあった。
 あんなにテレビが大好きな若奥さんだったのに、彼女がそう決めたのだという。
 子供を育てるってのは、そういう意味でも気合がいるのですなぁ。

 そのため、観たいテレビ番組が夕食時にある場合は、ゴッドファーザーは自分の部屋で食べながらテレビを観ているのだそうな………(涙)。

 でも、こうやって人が揃ったときには食事時にテレビなんて本当にいらないと思う。
 だって、この夜だって、ゴッドファーザーの珍道中が面白いのなんの……。
 なんと、この夏中国へ行ってきたというのだ。それも、北京や上海といった都会ではなく、四川省の奥の奥という秘境に……。
 ハワイでさえあんなことになっていたのに(
ハワイ旅行記参照)、中国へしかもいきなり奥地だなんて……

 信じられな〜い!!

 よくもまぁ、無事に帰ってこられたものだ……。
 そのお土産の老酒が、やたらと美味い。
 老酒、つまり紹興酒といえば苦手な方もいらっしゃるかもしれないけれど、ひそかなシンジツとして、けっこうシェリー酒に味は似ている。誰も言わないから僕が言っておく。そう聞くと、美味しそう……って思うでしょう?

 そのほか、日本から持っていった焼酎が切れてしまったのでやむなく現地で買ったものの、添乗員がやたらとそれは珍しいというのでずっと取っておいたというナゾのお酒も登場した。
 なるほど、たしかにこれはたとえ君嶋屋であろうとも手に入れられまい。

 「添乗員が、このお酒は50度もある強いお酒ですよっていうんだよ……」

 そんなに強い蒸留酒なの??
 と、アヤシゲなボトルを見てみると……

 18%

 という文字が……。
 あの……これ、どうやらアルコール度数は18度程度のようですよ?

 「え?ホントかよぉ??あの添乗員ウソつきやがったなぁ……」

 まぁ、ものは試しだから開けちゃいましょう!!

 栓抜きで開けてみると………

 な、なんだか異臭が。
 だ、大丈夫なのかなぁ……??

 「アルコールだから、まぁナントカなるんじゃない?」

 気楽にいううちの奥さん。
 じゃあ飲んでみよっか…。

 香りははなはだアヤシイのだが、味はといえば、なんとなく杏露酒のような雰囲気。けっしてまずいお酒ではない。
 こうして、4000年プラス入間に来てから2ヶ月ほどの眠りから目覚めた秘境のお酒は、瞬く間に人々の五臓六腑に染み渡っていったのだった。

 これで、翌日全員中毒死してたりして………。
 ちょっと本気で考えた。