17・まさかの助っ人

 疲労困憊して帰ってきた僕を待っていたのは何か。
 それは………

 手伝ってほしそうな父ちゃんなのだった。
 ほかでもない、てっちゃんグランドである。
 父ちゃん的に、鬱蒼と茂った小枝が木になる箇所がたくさんあって、お天気のいい間にそれをやっつけてしまいたい、と思っていたようなのだ。
 そんなときに飛んで火にいる夏の虫の僕。

 まぁ、常々手伝えることがあれば…と思っていたから、やぶさかではないのだけれど、今日この日このときだけは……という状態のときってのがつらい。
 が、助手席でただ眠りこけていただけのうちの奥さんは、

 「手伝ってきたら。」

 と、人の疲労度などまったく意に介さずに言う。
 かくなるうえは仕方がない。僕だってやるときはやるのだ。

 「手伝いましょうか?」

 「やってくれる?」

 そううれしそうな顔をされるとやりがいもあるというものだ。

 「まぁ、このあとバーバーにも行くから軽くやるか」

 その言葉を聞いて少し安心したものの、一人でグランドの周囲をドンドコ果てしなく開拓していく男の言う「軽く」を、字義通り受け止めた僕は愚かであった。

 二人でグランドに降りる。
 グランドには、ものによっては昭和の民俗博物館にあってもおかしくないものまで、近所の人たちから譲り受けた農具や用具がたくさんあって、当然ながら長靴その他も備えられている。
 そういった装備に着替え、何をするのかというと、崖に茂って陰を作りすぎる木々の剪定である。

 忍者のように梯子に登り、するするすると斜面に躍り出た父ちゃんが、木々をノコギリで切っていく。落ちてくるそれを僕が拾い集め、グランドの傍らに集めていく。
 その木々が。
 とても「小枝」と呼べるような小さなものではなかった。
 ほぼ木といってもいいものがドシドシ崖から落っこちてくる。
 それを拾い集め、時にはノコギリで小さくして、集積所へ運んでいく。

 普段箸より重いものを持つ機会などない色男としては、充分すぎるほどの重労働だった……

 ……というか、あのぉ、島でやっていることとほとんど変わらないんですけど……。

 そうやって切り倒した木々を、今度は燃やす。
 てっきり、幾日か乾燥させてから燃やすのかと思っていたら、生木のまま燃やせるのだそうだ。葉っぱに脂が多いってこともあるのだろうけれど、さすが内地の秋、空気が乾燥しているに違いない。

 川原のほとりのグランド脇で、まるでキャンプファイヤーのような炎。

 父ちゃんがこしらえた細流脇で自生しているクレソンを採りにきたうちの奥さんは、この作業を見て笑った。

 「楽しそうじゃん!」

 いや、そりゃ楽しいけどさ………。

 この切り倒された木々、小枝部分はこうして燃やすのだけれど、幹部分は別に取り分けられ、再利用される。1mちょいくらいずつに切り、こういう用途に使われるのだ。


 
ちなみに生えている草はクレソン

 細流へ土が流れ込ませないための堤である。その杭として、木々の幹は生まれ変わる。
 その枝切りを父ちゃんがやろうとするので、そこはあなた、言うしかないじゃないですか。

 「やりましょうか?」

 「やってくれる?」

 これがまたしんどいのなんの。
 汗を滴らせながら、いったい何本切ったろう?

 「やっぱ若いね!」

 そう父ちゃんに言われると、うちでやるときと違ってやすやすとへこたれられないんだよなぁ……。

 ところで。
 このグランドに降りる階段の終点付近に、幹が微妙に中途半端に残った切り株があって、その先にこういうものがつけられている。

 改築前の築地家の風呂場にあった時計だそうだ。
 つけてみるとわりと便利なようで、散歩をしている人も、作業をしている父ちゃんも、ふと見あげたところにある時計でみんな時刻を確かめているという。

 その時計に。
 切り落としていた木が直撃してしまった!
 あわや下にいる僕にも直撃するところだったのだが、僕は軽い身のこなしでかわすことができても、備え付けられている時計はよけることができなかった。

 防水パッキンが施された蓋がパックリと開いてしまい、中の電池もすっ飛ぶほどの被害に。
 幸い、吹っ飛んだ電池を探し出してはめてみたところ、時計自体は壊れてはいなかった。

 ただし、切り株に設置しなおさなければならない。
 その作業を(というほどの仕事じゃないけど)僕がした。

 そう、この時計はもはや「僕が設置した」といってもいいのだ。
 この入間川沿いのてっちゃんグランドで散歩するみなさん、ふと見上げた先にこの時計を見たなら、ああ、あれは南の島のオッチャンがヒィヒィ言いながら作業していたときに取り付けた時計なのだなぁ……と思い出してください。
 きっといつまでもいつまでも、時を告げ続けていることでしょう………。

 さて、今宵はうちの奥さんの実家での最後の晩餐だ。
 今日は僕も妙に達成感があるからビールが美味い。
 父ちゃんもなんだかゴキゲンだったので、僕も体にムチを打った甲斐があった。
 夕食には、父ちゃんが畑で作ったサトイモの煮っころがし。

 これが美味いのなんの!!
 実は僕はサトイモの煮っころがしが大好きなのである。
 その昔実家に住んでいた頃は、母がよくこの面倒な皮むきという作業を、手が痒くなりながらもやってくれてよく作っていたのだけれど、当時の僕はこういう料理のありがたさを知る由もなかった。
 ところが大学生となって沖縄に来てからというもの、こういう煮物だとか茶碗蒸しだとか、それまでどちらかというと苦手だった食べ物のありがたさを身にしみてわかり、以来すべて大好きになっている。

 ところが沖縄のスーパーで買えるサトイモは何がどう違うのか、じっくりと煮込んでもものによってはやわらかくならない。あの、口に含んだときにホッコリホクホクとなるサトイモ独特の感触が得られない場合が多いのである。

 ところがこの父ちゃん作のサトイモときたら、僕が頭に描いている理想どおりのサトイモなのだ。
 もう、美味い美味いと何度言ったことか。

 その甲斐あって。

 帰宅後数日経って、父ちゃんから荷物が届いた。
 はて、なんだろう??
 中身は………

 サトイモだ!!
 チョーうれしい〜!!
 きっと、労働報酬に違いない……。父ちゃん、ありがとう!!  

 ところで、このてっちゃんグランド。
 グランド自体はもともとあった地区のものだけど、ここまで整備している以上、そう呼んでも差し支えはまったくあるまい。
 事実、近所の人たちはみな口を揃えてその「偉業」を称えている。
 そう、みんな元の姿を知っているからだ。

 だから、そこで父ちゃんが畑をこしらえていようとも、好き勝手に整備していこうとも誰も文句は言わない。
 でも、今後元の姿を知らない人たちが増えてきたらどうなるのだろう??
 公共の土地を勝手に利用している人がいる、などと言い出しはしないだろうか。
 近頃の社会というのは、自分が参加できない「得」がちょっとでもあると、なんだか損した気分になるのか、それで「得」をしている人に文句を言う人が多いから、このてっちゃんグランドもひょっとするとそういった人々の標的になる日が来るかもしれない。
 そんなことにならないためにも、このてっちゃんグランドの整備記録はちゃんと残しておかなければならない。そしてこれを読んだみなさんも、「証人」として記憶にとどめなければならないのである。
 僕が美味しいサトイモを食べ続けられるためにも、みなさんよろしくね。