21・One more time One more Chance

 明けて、11月8日。
 ホテルには朝食がついていた。
 しかし………
 3時にラーメンを食べたらさすがに食欲はなかった。
 ここにきてついに僕は、ようやく「足る」を知ったのだ。

 8時にホテルを出、再びオチアイの車で羽田空港まで送ってもらう。
 なんだかすっかり慣れ親しんだ横浜の街ともついにお別れだ。
 沖縄からはあまりにも遠いこの横浜に、はたしてこの先の人生で再び訪れる機会があるだろうか。

 ベイブリッジを渡っているとき、みなとみらいのビル郡の向こうに、雪をいただいた弧峰が見えた。

 富士山だ!!

 さわやかな秋晴れの下、雪を被った霊峰富士が、これぞ日本!!という風景を僕たちにプレゼントしてくれた。
 本土を去るに際し、これ以上にピッタリの風景はほかにあるまい。

 朝の道は空いていた。
 30分ほどで空港に到着。
 ここでオチアイともお別れだ。
 横浜の街と同じく、はたしてこの先の人生で再び会う機会があるだろうか、という別れなのだが、それでも僕は、あえて普通にいつもの調子でさよならすることにした。
 別れ際に、彼が僕たちにお土産を手渡してくれた。
 ラ・フランスである。
 彼の母君の実家がラ・フランスの本場山形なので、毎年山のように送ってくるのだという。

 彼が去るのを見送るつもりでいたのだが、このあと君嶋屋で酒を買い込むつもりなのだろうか、オチアイはなにやら地図を取り出し、道順を確かめているようだった。しばらくその場で地図を見ていたかったのだろう、我々に先へ行くよう促す。
 ではさらば、違いのわかる男。
 我々は空港へと消えた。

 

 今の日本、どんなに遠いといっても、その日のうちに島まで帰ってこれるのだから大したものだ。
 不調気味のカローラも、機嫌を損ねることなく我々を渡久地港まで運んでくれた。

 いつものことながら、渡久地港へ戻ってきた時からもう日常だ。
 とはいえ今回の旅行は、ある意味ずっと日常だったという話もある。
 ごっくん隊のリーダーT沢さんとブク嬢にとっては人生の晴れ舞台だったのだから、「日常」なんていったら失礼だけれど、僕らにとっては、なにしろおなじみのゲストの皆さんと始終飲んでいただけって話もあるからなぁ……。

 日常チックではなりながらも、一度行ったことがあるつもりでいた横浜、今回はかなり堪能させてもらった。
 もう僕は、本牧も関内も伊勢佐木町もちゃんと読むことができるのだ。そしてそれらが中華街から見てどういう位置にあるのかということも把握した。山手の街並みを見たし、寿町にシンジツを見たし、元町商店街、山下公園、中華街の裏通り………
 もう誰はばかることなく「横浜」を語ることができるというものだ。<え?

 しかしそれはもう過去のこと。
 楽しかった日々は戻らない。

 昨日、横浜へ向かっている車内で流れていたのは、オチアイセレクトの「横浜の歌」のひとつ、桜木町で迎える午前4時を歌う山崎まさよしの曲だった。
 解説オチアイによると、失恋した彼が飲み明かして迎えた午前4時、いるはずもない彼女の姿をそこかしこに追い求める…という歌だそうである。

 「One more time One more Chance」という曲名だそうな。

 もちろん我々は失恋したわけではないけれど、今こうして日常に戻ってふと横浜での日々を振り返ると、

 あの楽しかったひと時よ、ワンモアタイム、ワンモアチャンス!!

 ってところである。
 そしてあるときふと繁華街を歩いたとき、いるはずもないごっくん隊やお坊様の姿を、喧騒の中に探し求めるのかもしれない………。