全長 12cm(写真の個体)
直接ご本人にお伺いするか、その著書や連載記事等を拝読する以外に知るすべが無かったその昔とは違い、今の世の中は第一人者ご自身が惜しげもなくネット上に情報を発信してくださるおかげで、日本の片隅の小さな島に居ながらにして、数々の目からウロコ話を知ることができる。
そんな貴重な情報源のひとつが、大御所水中写真家大方洋二氏のブログサイトだ。
当初利用されていたブログサイトが諸々の事情で利用できなくなり、それまでの数多の記事は一瞬にして霧消してしまったそうなのだけど、その後別のブログサイトでまたゼロから積み重ねてこられた記事も今やすっかり増えている。
で、つい最近(2023年3月)も、大御所のブログのおかげでまたひとつ(個人的に)知られざるジジツを知る機会を得た。
キシマイシヨウジというヨウジウオの存在だ。
例によって九州大学の正式名称漢字20文字の研究室がまたぞろ新たなに区別をした今出来(?)のヨウジウオかと思いきや、なんと94年に刊行された枕になるほど分厚いヤマケイの図鑑に、すでにその名で掲載されているという。
さっそくページをめくってみたところ…
…ホントだ。
件のブログによると、写真を提供した大御所もイシヨウジだとばかり思っていたところ、掲載された写真に「キシマイシヨウジ」と名がつけられていたことで、その存在を認識されたそうな。
94年に刊行された図鑑に載っているってことは、前世紀の昔からキシマイシヨウジの存在をご存知の方々がいらっしゃったのだ。
当然ながらワタシごときが知るはずもなし、気がつくはずもなし。
なにしろイシヨウジの稿でも触れているように、水納島に来てからこっち、イシヨウジに遭遇する機会といえばごく初期に1〜2度あったくらいのもので、イシヨウジかキシマイシヨウジか、などとチェックする機会も皆無だったのだからしょうがない。
ところがここ1〜2年、軽石禍だボートの修理だでボートを渡久地港に上架させている期間が長くなり、リーフ内で潜る機会が増えたおかげで、イシヨウジはかなり浅いところでごくごくフツーに観られるものであることがわかった。
それがイシヨウジの稿の「追記」分だ。
でも。
これは本当にイシヨウジだったのだろうか。
イシヨウジの稿に掲載しているのと同じ個体の写真を、今回あらためてPC画面で確かめてみた。
同じ場所にいた別個体も…。
うーむ…わからん。
黄色い模様が入っていれば間違いなくキシマイシヨウジ、という法則があるならともかく、縞ってほど縞に見えないような気がするし、かといってザ・イシヨウジである、と確信できないし…。
ちなみに魚類写真資料データベースでいろいろなイシヨウジの画像を見てみたところ、当コーナーでイシヨウジとして紹介している色模様とほぼ同じタイプのものが伊江島で撮影されており、「イシヨウジ」と記載されていた。
一方同サイトでキシマイシヨウジを確認してみたところ、4〜5枚の画像はすべて紅海だかどこだかで撮られたもので、その容貌はすっかりアラビアのロレンス(?)。
ヤマケイの図鑑に掲載されているものとは、かなり別物感がある。
そもそもイシヨウジの場合、伊豆で撮影されたものと八重山で撮影されたものを見比べてみれば、同じ種類とはとても思えないほど体の色模様に違いがある。
ということは、伊豆で観られるタイプ、四国で観られるタイプ、沖縄本島付近で観られるタイプ、八重山で観られるタイプといった、海域ごとの違いがあるものなんじゃなかろうか。
すなわち、ヤマケイの図鑑で「キシマイシヨウジ」とされているものは、実は本島近海産のイシヨウジなのである。
…と、当サイトでしか通用しない結論に至った次第。
というわけで、これまでイシヨウジとして紹介していたものを慌てて「キシマイシヨウジ」に変更する必要はなくなった…
…と安心していたところ、昨年(2022年)11月に桟橋脇で潜った際、桟橋のコンクリートブロックの壁にいたイシヨウジは…
あれ?なんだか色模様が変だぞ…。
背ビレのあたりと尾のあたりの模様拡大。
ひょっとして…これがキシマイシヨウジ?
でもこれがキシマイシヨウジなのであれば、当サイトが勝手に認定するところの「イシヨウジの本島近海タイプ」もまた、キシマイシヨウジってことに…?
それとも、桟橋にいた子もやはりイシヨウジの本島近海タイプなのか?
なんてことだ、いずれも潮が引けば背が立つくらいの浅いところで撮ったものだというのに、思いもよらない深みにハマってしまった。
シンジツはいまだ明らかならずといったところながら、キシマイシヨウジの名を記憶に留めておくためにも、ここはとりあえず暫定的にラインナップに加えることにしよう。