水納島の魚たち

シモフリタナバタウオ

全長 13cm

 岩陰の麗人たちは慎み深く、なかなか表に出たがらないため、そのほとんどが一般には存在を知られていない。

 ところがこのシモフリタナバタウオは、どうしたわけかちょっとしたスターの座に輝いている。

 星を散りばめたようなその模様、見事なヒレの広げっぷり、ハナビラウツボの擬態をしている?などなど、メジャー化の背景には様々な理由があると思われる。

 ただし。

 だからといってそうそう見られる魚ではない。

 珍しい、という意味ではけっしてない。

 数多いというわけではないものの、岩陰でシモフリタナバタウオを目にする機会はわりとあるのだ。

 ところが、ファンダイビング中のゲストが目にする機会は、それほど多くはない。

 というのも、岩陰に彼の姿を目にし、ゲストにお見せしようとシモフリ君を指し示しても、ゲストが覗き見ようとする頃には、シモフリ君は穴の奥へヒュウウウウウゥゥゥと隠れてしまうのだ。

 シモフリタナバタウオがどういう魚かご存知の方なら、奥に引っ込む前にまだ尾ビレの残影くらいは観られる。

 一方、スレートに書かれたその魚がどういう色形・サイズなのかまったく未知の方だと、どこにその魚がいるのかな?とのんびり覗き見ようするころには、すでにそこにシモフリタナバタウオの姿はない……というケースが多くなる。

 ガイドの仕事を初めてからしばらくの間は、なんとかそんなゲストにもシモフリタナバタウオをご覧いただこうとしていたのだけれど、やがてそれがかなりムナシイ努力であるという結論に達した。

 もっとも、卵を守っている時などは穴の入り口付近で門番のように踏ん張ってくれるほか、個体によってはライトを当てても奥に引っ込むまで随分時間をとってくれる子もおり、なかには挑戦的にカメラ目線を向けてくれるものもいる。

 そういう子に当たればわりとじっくり観ることができるものの、つれなく引っ込むタイプだと、ヒレをすぼめた状態しか観られないこともある。

 シモフリタナバタウオといえば、やはり観賞魚のベタのように、すべてのヒレを全開にした姿こそ(観賞魚業界では、シモフリタナバタウオのことを「マリンベタ」とも呼ぶ)。 

 その姿を見たいあまりライトを当てたままにしてしまいがちなんだけど、明るいところが嫌いだからこそ岩陰にいるのだから、無闇にライトを当て続けていると、シモフリタナバタウオはすぐに引っ込んでしまうことが多い。

 なのでその存在を確認したら、とりあえずライトを当てないでおき、見づらくともそっと観ていると……

 少しずつヒレを広げて、ついには真横からその堂々たる姿(↓)を拝ませてくれることだろう(下の写真は別個体です)。

 ところで、オトナになっても10cmちょいのシモフリタナバタウオ、これまでの人生最小記録は、今年(2019年)の5月に出会った↓このチビだ。

 たしか5cmほどだったと記憶している。

 オトナと同じ色合いながら、なんとも可愛い人生最小級だと海中で興奮気味に喜んだワタシであった。

 でも、この稿を書くにあたり、

 もっと小さい頃のシモフリタナバタウオのチビターレって、どんな色形なんだろう?

 ふと気になったので、さっそくネットで画像検索してみた。

 すると…

 メッチャ可愛いッ!!

 シモフリタナバタウオのチビチビって、こんなチビターレだったのか!!

 まったく想像もできないその色合い、ほとんどイロワケイルカではないか。

 5cmで満足している場合ではなかった。

 いやあ、これはナマで観てみたい、会ってみたい。

 うーん、またひとつ会いたいチビが増えてしまった…。

 はたして、この稿にシモフリチビターレの写真が登場する日は来るか?

 追記(2024年5月)

 いまだ激カワチビターレには出会っていないけれど、今年(2024年)の春に、シモフリタナバタウオの卵保育シーンを初めて記録に残すことができた。

 シモフリタナバタウオといえば、普段はリーフ際の岩肌に空いた空隙を住処にしている魚だけれど、海底に転がる死サンゴ石の下に自ら拵えたらしき空間を作り、そこで門番のように微動だにしないシモフリタナバタウオの姿を確認したのは、4月19日のことだった。

 その背中あたりを観てみると…

 …卵を守っている!

 拡大。

 シモフリタマタマ〜♪

 前世紀末にダイビング雑誌だったか何かで写真を目にして以来、是非観たいと思い続けて四半世紀、ようやく念願かなって初記録(ガイド中に観たことがあったかもしれないけれど)。

 当時雑誌か何かで拝見した画像だけではわからなかったジジツを、この日初めて知った。

 てっきりスズメダイ類のように岩肌に一粒ずつ産み付けているのかと思いきや、この卵は卵塊状態になっていて、それが天井にくっついているのだ。

 そのため卵をケアしているオスが胸ビレで煽ったり、背ビレを当てながら体をクネクネさせて卵に新鮮な水が行き渡るようにすると、卵塊はウニョウニョと揺れ動く。

 常時胸ビレで水流を送る動きは他の魚でもよく見かけるけれど、卵塊に背中をあててウニョウニョと揺り動かす仕草はなかなか他では観られない。

 その様子を動画で…

 卵の色からしておそらく産卵後それほど時は経っていないと思われるこの卵、いったいこのあとどれくらいで孵化するのだろう?

 発生が進むとともに卵の色が変わる様子や、引き続き卵守りをするオスの様子がこのあと観られるかな?

 …という興味のもとに、さっそく翌日訪れてみたところ、シモフリ父ちゃんはその日もしっかり卵守。

 1日しか経っていないからさすがに劇的な変化はないけれど、前日に比べるとやや卵の色がくすんで見える。

 1日でこの程度の変化ということは、少なくとも孵化までまだ1週間くらいは猶予があるはず。

 でも翌日も再びチェック。

 すると卵には…

 おお、もう眼ができている!

 前日に比べてさらにくすんだ色に見えたのは、この目と体が形成されていたからだったのか…。

 前日撮った写真をあらためて見てみると、うっすらと眼ができているものもあることに気がついた。

 発生が進むと、どのような卵になっていくのだろう?

 数日後なら、もう少し変わった状態のタマタマを観ることができるだろうか。

 引き続き毎日続けて観察し続けたかったところながら、ゲンジツの暮らしのために中3日空いて再訪してみた。

 中3日くらいなら、そろそろ孵化間近の卵を観られるに違いない。

 ところが!

 卵が無〜い!

 まだ水温が低いから卵の発生はそれほど早くはあるまい…と高をくくっていたら、シモフリエッグは予想を遥かに超えて早く孵化してしまったようだ。

 孵化した子供たちが旅立っていった以上、産卵床(死サンゴ石が転がるリーフの切れ込みのガレ場の、平たい死サンゴ石の下だった)にはもう用はないということだろうか、このあとワタシに覗かれていることに嫌気がさしたらしいシモフリ父ちゃんはとっととこの場を後にして、1mほど離れたところにあるリーフの岩壁まで泳ぎ去っていった。

 マクロレンズの画角のためわかりづらいけれど、シモフリタナバタウオが岩陰から出て開けっぴろげの表(?)を悠々と泳ぐ姿なんて、初めて見たかも…。

 それはともかく、ワタシが覗き見るときまでは依然産卵床にいた父ちゃんなのに、ここでようやく産卵床を離れたのだとしたら。

 シモフリエッグが孵化したのは、ひょっとして昨夕の日没とか、この日早朝ってこと?

 残照の下であれ、まだ夜も明けきらぬ空の下であれ、いずれにせよ真っ暗な海に潜ってまで孵化シーンを観ようというほどの意気込みは無かったとはいえ、おそらくはお目目キラキラ化していたであろう孵化直前のシモフリエッグは観てみたかったなぁ…。

 30年目にして初めて記録できたシモフリエッグ、残念ながら孵化直前の臨界カラーを確認することはできなかった…

 …と思いきや。

 その3日後のことである。

 まさか…と思いつつも、念のために確認しに行ってみたところ、なんとなんと…

 産卵床に再びシモフリ父ちゃんの姿が、そしてほぼ同じ場所に、プワプワ揺れる黄色い卵が!

 前回発見時よりもさらに真っ黄っ黄っぽく見える。

 これぞまさに産みたてホヤホヤカラーなのだろう。

 それにしても、卵もシモフリ父ちゃんもこの場から消えてまだたった4日しか経っていないというのに、早くも次の卵だなんて。

 同じメスが産んでいるのだろうか、それともオスは複数のメスを傘下におさめ、彼女たちが入れ替わり立ち代わり産卵するのだろうか。

 いずれにせよ卵守りのシゴトはシモフリ父ちゃんの役目だから、このペースで何度か産卵を繰り返しているとなると、シモフリ父ちゃんにとってはいわば卵守り月間ということなのかも。

 こんなにハイペースで産卵を繰り返すから卵は大量、しかもしっかり父ちゃんが守っているとなれば、そこらじゅうにシモフリタナバタウオ…ってことになってもおかしくなさそうなのに、ご存知のとおりシモフリタナバタウオは、そこまでやたらめったらいる魚ではない。

 この卵たちのうち、オトナにまで育つのはいったい何匹くらいいるんだろう…。

 そんな確率とか効率とか円安がどうとかいうことにいっさい惑わされることなく、シモフリ父ちゃんは今日も「背中ウニョウニョ」でしっかり卵をケアするのだった。

 思いがけずセカンドチャンスとなったこの卵たち、それから5日経った頃には…

 すっかりキャビア色に!

 …って、キャビアなんて人生で2回ほどしか食べたことないからホントにこんな色だったか記憶にないけど、眼がしっかりできた卵は全体的にキラキラしているのかと思いきや、予想を裏切る意外な色味。

 パッと見は濃緑色の塊に見えても、よく観ると卵のそれぞれにはちゃんと眼ができていることがわかる(明るめに補正しています)。

 クマノミ類などでは卵の発生が進むと卵全体がキラキラしてくるので、あとどれくらいで孵化を迎えるかという見当がつく。

 でもシモフリエッグは初体験のため、臨界点(?)の様子がわからん…。

 ひょっとすると、最初は黄色でだんだんキャビアになってくるってことは、孵化間近であってもキラキラしないのかもしれない。

 卵守をしているシモフリ父ちゃんとしても、キラキラして目立ってしまったら困ってしまうのだろう。

 ところで、四六時中卵塊に接してケアしている彼は、卵守期間中は食事をするヒマすらないものとばかり思っていた。

 ところがこの日観ていたら、ふと視線が岩陰の外に向かったかと思ったら…

 ちょいとばかりフラフラ〜と動いて(でも卵から完全に離れはしない)、漂ってきた何やらをパクッと食べた。

 そしてパクッとやったあと、モグモグしているところが↓これ。

 普段は卵に接している背中が、やや卵から離れているでしょ?

 卵守中とはいっても、これくらいの自由はあるらしい。

 さてこのキャビア色の卵、これが臨界カラーなのか、それともまだ様子が変わるのか。

 2日後の子どもの日に訪れてみると…

 シモフリ父ちゃん、しっかり卵守中。

 その卵の様子は…

 よりキャビアっぽくなっている。

 でも……なんだか少なくなっているような気が。

 ボリューム減のうえに、卵塊の「塊」っぽさがゆるくなっているように見える。

 ひょっとして…

 やっぱり!

 外側の卵たちはすでに孵化していたのだ(透明な球体が、孵化した後の卵の膜)。

 孵化した後は透明な膜だけってことは、シモフリエッグのキャビア色は魚体の色なのですね。

 産みたてホヤホヤ発見が先月28日で、この日は孵化しているものともうすぐ孵化という状態ってことは、シモフリエッグ、この水温なら孵化まで約1週間ってことか。

 セカンドチャンスももらえてしつこく経過を追跡したおかげで、孵化するまでに要する時間はわかったし、孵化直前の臨界カラーを知ることもできたのだった。

 これほどたくさん卵があれば、チビターレ初遭遇も夢ではないかな?