全長 10cm
特に注目したことはなくとも、目にしたことが無いというヒトはまずいないであろうヤライイシモチ。
砂地のポイントなら、どこにでもいるといっても過言ではないくらいにフツーにいてくれる彼らはしかし、群れない、目立たない、レアじゃないという脇役条件をいくらでも兼ね備えている天性のバイプレーヤーだ。
そのため、目にしてはいても記憶には残っていないという魚でもある。
キンセンイシモチやクロホシイシモチなどのように、それなりに集まってにぎやかになるわけでもなく、たいていの場合絵になりそうもないところでひっそりとたたずんでいるから、カメラを向けたことがある方は圧倒的少数派であろう。
でも昔から知られている魚だから、文学的教養や和語のボキャブラリー豊富な当時の研究者が付けた和名は、やはりなかなかに「和」の雰囲気が漂う。
ヤライとはおそらく矢来。
竹などを組み合わせて作る、仮設の柵のことをそう呼ぶらしい。
ただし本来の矢来は竹などの材料を交差させて作るものだそうで、どちらかというとこのヤライイシモチのヤライは、その縞模様を京都の町並みでお馴染みの「犬矢来」に見立てているのではあるまいか。
…などとさも知っていたかのように書いているワタシは、ヤライイシモチのヤライってなんのことだろう?と今回フト疑問に思わなければ、京都の町並みのあの竹細工のことを犬矢来ということすら、このまま一生知らずに終わっていたであろうことは言うまでもない。
魚の名前って、勉強になるなぁ。
さてこのヤライイシモチ、フツーにどこにでもいるんだけど、群れ集うのが嫌いなのか、たいてい単独で暮らしている(でも近くに同種がいないわけではない)。
それも、いつ行っても同じところにいることが多く、とある根の、近すぎるあまりいつもケンカをしているミズタマサンゴとシライトイソギンチャクの争いを、まるでレフリーになってジャッジでもするかのようにずっとたたずんでいるものもいる。
またヤライイシモチは、口内保育中のイクメンパパも、独身生活を楽しんでいるフシがある。
他の多くのテンジクダイ類とは異なり、相手のメスとは、産卵までの軽いおつきあいなのだろうか。
それでも卵の保育はおさおさ怠りなく、新鮮な水が卵に行き渡るようにするのは、他のテンジクダイの仲間と同様だ。
例によって、その口の中をアップ。
産みたてらしき卵で一杯になっている。
彼にとってこの年何回目の卵保育なのかはわからないけれど、これを撮ったのは5月下旬のこと。
春から夏の間が繁殖期なので、その頃ならどこかでこのようなイクメンパパを観ることができる。
たいてい単独でいるので、口内の卵をフガフガするシーンは5分に1度くらいのわりでしか観られない。
気の短い方には気の遠くなるような時間ながら、待っていれば必ずフガフガしてくれる。
↑この動画は肝心なところでピントがボケてしまっているけれど、待っていればフガフガしてくれる実例ってことで…。
梅雨明け頃になると、繁殖期序盤に誕生したチビターレたちが、サンゴの枝間などで目立つようになってくる。
もっとチビの頃は、特徴の犬矢来模様のラインが、まるでインクの切れかかったマジックで描いた線のように、薄々のかすれ気味になっている。
3cm弱のこれくらいのチビの頃も、やっぱり1人(これよりさらに小さな頃は、多数が同じ場所に居ることあり)。
ヤライイシモチの仲間はけっこう種類が多く、幼魚の頃に尾柄部が黄色に黒点という特徴のものが多いのだけど、たいていオトナになると黄色は消失する。
ところがヤライイシモチは老成しても、黄色味がキープされている。
そして老いてもやはり、ヤライイシモチは1人なのであった。
ヤライイシモチがそっと教えてくれる。
「孤独」はけっして「不幸」にあらず。