●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2004年12月号
毎日働いている夏の間は、桟橋と我が家と各民宿の行き来しかできないってこともあって、シーズンオフになるとにわかに島内を歩き回りたくなる。
なんだか縄張りチェックをする犬のようだが、要所要所に変化がないか見まわりたくなるのだ。
南国沖縄もさすがにこの季節になると日差しは随分柔らかくなっているから、散歩するにはちょうどいい。
とはいえ小さな島なので散歩のコースは数とおりくらいしかなく、その貴重なコースの一つに砂浜の散策がある。散歩がてら砂浜に行き、いろいろな拾い物をするのだ。
拾い物といっても、夏の間に大勢の海水浴客が落としていった小銭を…なんてセコイ話ではない。
いろんな漂着物を物色するのである。あ、それもセコイといえばセコイか…。
浜辺で漂着物やその他もろもろを拾うというのは、れっきとした趣味の世界でありながら、昔は一部の人の間でしか知られておらず、私が学生の頃は「磯乞食」というなんとも情けない言葉で表されていた。
当時は「落ちているものを拾う」すなわち「みっともない」、「変な人」などなど、マイナスイメージが先行したからだろう。
ところが最近では「ビーチコーミング」などというハイカラな横文字で呼ばれるようになって、環境教育の一環であるとともにおしゃれな趣味のひとつとして認知され始めているからオドロキだ。
さて、水納島で私は何を拾い集めているかというと…。
たまにとてつもなく珍妙なものをゲットすることもあるけれど、貝殻、ビーチグラス、流木が主である。
貝殻は5ミリくらいのものから10cmくらいのものまで、さまざまなものが落ちているが、ツウは磨耗していないものを求める。
そうやって拾っているうちに、こんなに小さな島なのに、北側と南側の砂浜では落ちている貝の種類がだいぶ違うことに気がついた。
学生の頃こういうことに気がついていたらさぞかし面白い研究ができただろうに…と遠い目をしつつ集めた貝殻は、主にビーズ細工のアクセントに使っている。
ビーチグラスは、以前はただのガラスの破片としか思っていなかった。
ところが、紙粘土やモルタルの表面にビーチグラスを埋め込むと、ちょっとおしゃれな飾りになることを知り、庭の飾りつけなど利用価値がグーンとアップしたので最近はせっせと集めている。
いささかメルヘンチックになるので我が家には似合わないという声もあるが……。
ちなみに、世の中にはこれを拾い集めて絵画のような創作をしている人までいるそうだ。
そして流木は、室内、屋外のインテリアやオウムの止まり木に利用している。
我が家は丸太小屋なので、流木はいくらあっても違和感はない。
また、オウムはしょっちゅう齧って壊すので、ついついたくさん拾ってきてしまう。
貝にしろガラスにしろ、なにしろ集めるだけでなく、加工する、飾る、という楽しみもあるものだから夢中になってしまうのだ。
当初は散歩のついでのビーチコーミングだったのに、いつの間にか今では散歩がついでになってしまっている。
最近は、なにやらいろんなものを手に浜辺から帰ってくる私達夫婦を見て、おじいおばあが不思議そうな目で見ている始末。
貝殻の商品としての価値はみんな知っているけれど、流木はゴミにしか見えないらしい。
流木なんて、売られている値段を知ったらきっとみんなひっくり返ることだろう。
海辺は宝の山だということに、実は島民が最も疎いのかもしれない。