●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2021年3月号
水納島の桟橋から島の中心へと続く石畳の坂の沿道には、30年以上前に植栽されたハマユウが群生している(島に自生してもいる)。
ところが近年になってハマユウに毛虫系の害虫が大量に発生するようになり、美観のための植栽が食害と大量のイモムシで毎年無残な姿を晒すようになってしまった。
そこでこの沿道の植栽を、この際別の植物に植え替えようという話がチラリホラリと出るようになった。
世間一般の住民自治だったらこういう場合、何をどのように植えるか?その予算は?労力は?といったことを決めるべく公民館などに地域住民が集まりそうなところである。
ところが水納島にはそもそも公民館は無いし、近年は集まるべき人口も過疎高齢化で激減ということもあるからだろう、いつの間にかマニラヤシを50本ほど本島の造園業者から安く調達できるという話がまとまっていて、気がつけばさあそれを植えましょう!という共同作業実施の運びとなっていた。
それらを決める席に私が欠席していたというわけではなく、ほとんどの島民があずかり知らないところで、マニラヤシの苗が50本、必要な肥料が大量に、そしてスコップなどの道具もひととおり揃っているこの不思議…。
30年以上にわたって来島者を迎えていたハマユウの植栽(Before)が、新たにマニラヤシ並木に生まれ変わった石畳の坂道(After)。島中総出(といっても11人…)でハマユウを引っこ抜き、雑草を除去してから苗用の穴を掘り、肥料を投入したのちに苗を植えたもの。海側からの厳しい北風が吹く冬場用に、その後防風ネットも設置した。ヤシたちがしっかり育ち、5年後くらいにちゃんとヤシ並木になるかどうかは神のみぞ知る…。ちなみにこの坂道は町道ながら、道に大量に溜まる海砂の除去についても、沿道の整備についても、役場は労力も費用もいっさい出さない筋金入りの放置プレイなのは今も昔も変わらない。
沖縄県の各市町村には今もなお地域ごとに行政区が存在していて、それは田舎になればなるほど機能しているらしい。任期ごとに選挙で選ばれる各区長は、市町村からはちゃんと給料も出るれっきとした行政組織の一員だ。
本部町にも15の行政区があり、水納島は瀬底行政区に属する。とはいえ他の区と違い、瀬底島と水納島でひとつの「区」と言われても、実質的にまったく別の地域になるから、瀬底区に属している意味は事実上皆無といっていい(にもかかわらず、各種選挙の投票日には瀬底島まで行かねばならない水納島民…)。
そこで水納島の場合は区の傘下に位置する「班」が事実上他地域における「区」に相当する立場となり、水納班の班長が行政的に区長の役割を担う形となっている。
ただし仕事量は他所の区長よりも多いかもしれないにもかかわらず、水納班班長には本部町から給与は一切出ていない(地域行政に関することで役場に呼びつけるくせに船賃すら支払われない)。
班長は水納班の総会で選出されると班の規約で定められており、現班長もそのルールに則って就任しているし、大事なモノゴトを決める際には「総会」が重要になる。
しかし島民が20人、実働部隊が10人ぐらいしかいない現在の水納島では、「総会」といったところでそれこそ家族会議くらいのレベルでしかないとなれば、いちいち何かをやるに際して皆を集めて細かい話をつめるよりは、普段の会話でおおまかなことを決めれば、あとは班長がこうと思ったことをやると決めてくれた方が話は圧倒的に早くなる。
ヤシについては話し合いがあれば賛否があったような気がしなくもないものの、もし話し合いで決めようとしたら、人口が少ないだけにかえって意見が人数分出てしまい、いまだにボロボロのハマユウのままだったことだろう。
都会にお住いの方々にしてみれば、一事が万事ワンマンだと方向を間違ってしまえばえらいことになりはしないか、という危惧を抱かれるかもしれない。
でも知性と良識の甚だしい欠如を感じざるを得ない国会議員たちが跋扈する「民主主義社会」に比べれば、常識あるワンマントップダウンのほうが、よほど暮らしに則した社会といえるのかもしれない。