●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2021年12月号
日本各地を旅する際には、散策中に各家の庭木を眺めることも楽しみのひとつにしている。
昔ながらの家々には、各地方ごとにその土地ならではの植物が植わっていることが多く、特に実がなっている樹々があると、うっかりすると不審者に間違えられそうなくらいつぶさに見入ってしまう。
仕事柄旅行をするのはもっぱら冬ということもあり、特に柑橘類がたわわに実っている様子が魅力的で、巨大なザボンがなっているのを観たときにはたいそう驚いた。
沖縄の柑橘系庭木にもいろいろあれど、知名度的にはシークヮーサーがその代表といっていい。
ひとたび実がなれば利用可能な期間が長く、利用方法のバリエーションも豊富な優れものだから、水納島でもシークヮーサーを庭木にしているお家が多い。
シークヮーサーはスダチほどの大きさの柑橘類で、3月になると花が咲き、周辺には爽やかな香りが満ちている。7月になると実がだいぶ育つものの、まだまだ酸味が強いからレモンやスダチのように利用でき、、刺身を食べる際には酢の代わりに醤油と併せて使うこともある。9月を過ぎるとだいぶ甘味が増してきて、秋も深まると色づき始め、11月くらいになると果物として食べることも可能だ(写真)。秋刀魚が美味しい季節に甘くなるのが玉に瑕ながら、たくさん実が採れれば、絞ってジュースにしておけばその後も色々楽しめる。
私が初めてシークヮーサーをはっきりと認識したのは、沖縄での学生時代を終えたあとのことだった。
当時は今のように名産品として様々な商品が出回っているわけではなく、わざわざ正式和名のヒラミレモンを商品名にした100%果汁であったり、沖縄独特の表記である「シイクワーシャー」と缶に書かれた(それでも発音はシークヮーサーになる)ローカルドリンクがあった程度だったから、個人的に需要が無かった学生時代はスルーしていたようだ。
卒業後に沖縄に遊びに来たおりに泡盛のシークヮーサー割りを飲んで、私は初めてその存在と実力を知り、すぐさま虜となった。
現在のように知名度がアップしたのは、世の中にシークヮーサーブームが起こったから。
おりからの沖縄ブームも手伝い、町おこしで生まれた耳慣れない商品名が観光客の購買意欲を掻き立てたのか、シークヮーサー関連は一躍売れ筋の商品となり、沖縄北部の市町村がこぞって栽培に力を入れるようになった。
それでもやがて品薄となり値段は高騰。当時本島北部の産地をドライブすると、土地の主が沿道でにらみを利かせていることもあった。
シークヮーサー泥棒を見張っているのだ。
それじゃあヒラミレモンじゃなくてニラミレモンじゃないか…と思ったものだったけれど、ブームは所詮ブーム。ほどなく余剰生産となり、せっかく実ったものを廃棄せざるを得ないケースも出始めると、さすがに生産者も産地も「ほど」を知ることになったようだ。
その甲斐あって現在では、そこまで浮かれた状態ではなくなりつつ、数々の加工商品が出揃い、沖縄に旅行する方々なら誰もが知っているというほどに、シークヮーサーは沖縄の代表的食材&商品の一つにランクインしている(シークヮーサーを利用したオリオンビールも登場した)。
島に越してきた頃にはすでにシークヮーサーの虜になっていた私は「庭にシークヮーサー」を実現するべく、越してきて早々に種から苗を作り、庭の片隅に植えた。
沖縄でクニブと呼ばれる柑橘類クネンボが「九年母」と書くだけあって、9年目になってようやくひとつ実をつけたあと、翌年には鈴生りに。
以後年によって増減はあれど、シークヮーサーが庭で採れる生活が実現したのだ。
残念ながら台風で被災して現在の住まいに越してからは植えてはいないのだけれど、島のみなさんからいただいたり、好きな時にとっていいよと声をかけてもらっているおかげで、いまだにシークヮーサーを買わずに済む生活を続けている。
必要な時に木から実をもいで、その場で島産野菜や魚にかけ、それをつまみに泡盛のシークヮーサー割りを飲むことが日常であるというゼータク。
それを島で味わったゲストは、庭木のシークヮーサーを見る目がさぞかし熱くなっていることだろう。