●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2022年3月号
明治20年(1887年)、お隣の瀬底島の農家の次男坊や三男坊が無人島に土地を求めてやってきたのが、水納島の事始めである…
という内容の島の略歴が、休校になって久しい水納小中学校の校門脇にある大きな掲示板に記されている。
人が暮らし始めてから、まだ130年余の歴史の浅い島なのだ。
これまで水納島誌のようなものが編纂されたことはなく、学校創立三十周年記念誌といった学校関係書物に古い記録が掲載されることはあっても、島の詳しい歴史はほぼ口伝だけで、公的な記録は残っていなかった。
我々夫婦が島に越してきた前世紀末は、まだ現役世代だったおじいおばあたちはとっても元気。酒の席も多かったし、当時の我が家は集落から離れたところだったこともあって、散歩ついでに庭先にフラッとやってくるおじいおばあとよくゆんたくしたものだった。
まだ島の右と左がかろうじてわかるくらいだった私には、島のことをあれこれ教えてくれる彼らの話はいつも楽しく、なかでも島のひと昔ふた昔前、つまりおじいおばあの若かりし頃の話はとても興味深かった。
高齢者だけに同じ話を繰り返すことも多かったけれど、聞く方としては理解が深まるからそれはそれでまた面白く、これはぜひ記録に残したいなあ、と、富山の蜃気楼くらいおぼろげに思っていた。
でも私自身三十路になるかならないかくらいと若く、話してくれるおじいやおばあはやたらと元気なものだから、「残しておく」ことの重要性を、当時それほど大きく感じてはいなかった。
ところがその後、昔語りを聞かせてくれていたおじいやおばあたちが次々にお星さまになり、子供たちも巣立ち、島民は20人を下回り、小中学校も休校、五十路半ばの私が最若年というキビシイ現実が押し寄せ、近い将来無人島になることが現実味を帯びてきた今、そんな数々の話をキチンと残してこなかったことがとっても悔やまれる。
一応旦那がウェブサイト上で島のあれこれをつづっているし、私はこの連載のおかげで多少島のことを紹介できてはいるけれど、それらはあくまでもプライベートな日々のつれづれに過ぎず、「人々の歴史」とは程遠い。
このまま水納島の歴史は、誰も知ることなく埋もれていくのだろうか。
そんなおりもおり、久しぶりに水納島を再訪した方が民宿のオーナーから島の現状をそれとなく耳にされ、一念発起してくれた。
その方は紀行文をもっぱらとされるライターで、これは島のことどもをしっかり残しておかねば…という決意を胸に、島民という島民にインタビューを行い、まだお元気なおばあたちからも貴重な話を語ってもらうなど、何度も島に足を運んで取材されたあと、昨年3ヵ月に渡って文芸誌「群像」に連載される運びとなった。
水納島に20年通っているという常連ゲストですら微塵も知らない内容がてんこ盛りの、世界唯一といっていい水納島の歴史記録は、その後単行本として講談社から発売され、2月初頭には書店に並んだ。
夫婦とも他所から、それも本土から来ているのは島内では我々だけで、なぜ住むことにしたのか、他所から来た人から見た水納島はどういうところなのか、といったところにも著者は興味を持たれたものだから、恥ずかしながら我々夫婦もインタビューを受けた。私はただクダをまいていただけだった気がするのに、確認のために後日届いた原稿を読ませていただいて、さすがプロだなと感心してしまった。小さな島の歴史を残すという意味で大変意義深い本であると同時に、我々が島で生きた証を残してもらうことにもなった。ちなみに裏表紙の写真(枠内)には、当店ダイビングボートの姿が!ミス・クロワッサン、ついに文芸デビュー(笑)。
その名も「水納島再訪」。
興味深い話をたくさん聞かせてもらっていながら結局何も残せなかった私が言うのもなんだけど、まさに百聞は一書に如かず。
島の歴史を形にしてくださった著者には、ただただ感謝である。