●海と島の雑貨屋さん●

ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

227回.スヌイデイズ

月刊アクアネット2022年4月号

 毎年早春から初夏にかけて、モズクの収穫の季節になる。

 沖縄ではスヌイとも呼ばれるモズクは、そのほとんどが生物学的にはオキナワモズクという種類で、ザ・モズクが極細ソーメンだとするならオキナワモズクは冷麦ほどに太い。

 昔は天然ものを採取していたモズクも現在流通しているのはもっぱら養殖されているもので、亜熱帯の太陽を存分に浴びながら浅い海底でスクスク育ったモズクが店頭に並んでいる。

 もともと自生しているものを好条件で養殖しているのだから生産量は多く、日本に流通している全モズクの90パーセント以上を沖縄県産が占めているのも当然といえば当然。全国に流通する一方で、沖縄県内では昔から家庭料理の食材でもあったから、一般的な酢の物以外にも、味噌汁の具にしたり天婦羅にしたりと、多方面で活躍している。

 私が水納島に越してきた当時は、モズクの養殖業が初めて盛況を迎えていた頃で、島を囲むリーフ内ではモズクの養殖が盛んにおこなわれていた。

 といっても島民が養殖をしているわけではなく、種付けから収穫まですべて、本島の漁師たちがボートで通って操業していた。往時は収穫シーズンになるとリーフ内の洋上はボートだらけになるほどで、収穫時期終盤の5月頃になると、その中のお一人が、養殖のために海を利用させてもらっている返礼ということなのだろう、採れたてモズクを島じゅうの世帯すべてに大量に分配できるほどお裾分けをしてくれていたおかげで、我が家は毎年モズクバブルになっていた。

 多くの漁師が島のリーフのそこかしこで大量に生産していたから、強い南風などで海が荒れると、千切れた大量のモズクが海中を漂ったり、リーフを覆うサンゴにたくさん引っ掛かっていることもよくあった。

 その見た目の悪さにはいささか閉口したものの、やがて時化が納まると、流れや波濤が及ばない海底に、採れたてならぬ千切れたてモズクが岩かと見紛うほどに集積する。

 それを無駄にする手はないので、ゲストともども網を手にドボンと入り、資源の有効利用をしていたのはいうまでもない。

 また豊作の年などは、養殖ネットからこぼれたもの由来なのか、海水浴エリア付近のそこかしこで、まるで天然モズクのように育っていて、ちょっと泳ぐだけでたっぷりのモズクを採取することもできた。

 それらを採取するのが来島の楽しみのひとつ、というゲストもいらっしゃったほどで、ことほどさように、当時の水納島にとって、海の幸モズクは「買うもの」ではなかったのだ。

 …という話も今は昔。県内県外を問わずモズクの需要は右肩上がりではあるものの、モズク養殖に携わっていた漁師さんたちの高齢化による引退に加え、やはり本島からわざわざ通って行うモズク養殖は不便なのだろう、島のリーフ内で養殖をしようという後継者はいないらしく、洋上に浮かぶボートは収穫時期でも1隻2隻といったところ。

 水納島モズクバブルは、すっかり過去のモノとなってしまった。

 かつてあれほど広範囲に広がっていたモズク養殖跡地には、養殖用の網を張るための鉄筋が墓標のように海底に佇んでいる。漁業権を主張するばかりではなく、後片付けくらいキチンとしてよ…と突っ込みたくもなるけれど、その後鉄筋に様々な付着生物が育つようになり、サンゴが成長した姿すら見られるようになった。なかにはサンゴ群落に埋没してしまっている鉄筋もあるほどだ。人の世がどうなろうとも、その痕跡を消し去るほどに、自然は逞しい。

 モズクはけっして高嶺の花というわけではないとはいえ、島で暮らしている身としては、やはりそこで採れたものを食べたい。

 いっそのこと自分で養殖するか?

 しかし現在の不寛容社会では、海での養殖はもちろんのこと、千切れモズクや勝手に生えたモズクを採取することすら、漁業権に抵触する不許可行為になってしまうのだろう。

 スーパーでなんでも買える便利さと引き換えに、「古き良き時代」はとっくに終わりを告げているのだった。