●海と島の雑貨屋さん●

ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

231回.“不寛容社会”の海遊び

月刊アクアネット2022年8月号

 戦争だコロナ禍だ凶弾だといろいろ世間を騒がすニュースが多いこともあってさほど目立つ報道はされてはいないものの、沖縄県内をはじめ国内では、今年になってスノーケリングやダイビングなどのレジャーにおける死亡事故が相次いでいる。

 しかもその多くは50歳以上で、原因のほとんどが体調不良によるもの。泳いでいる最中や潜水中に気分が悪くなり、ボートに戻る前に意識を失い、そのまま還らぬヒトになってしまうというケースが多いようだ。

 死亡事故に繋がっている体調不良が結局何によるものだったのか、一般報道では詳らかにされないから推測でしかないけれど、ようするにこれは古き良き日本で言うところの「年寄りの冷や水」なのかもしれない。だって、半世紀前の日本では、古希を超えてなおスノーケリングしているヒトなんて、海女さん以外にそうそういなかったでしょう?

 受け入れる側の業者としては、いくら事前のメディカルチェックの必要性を問われようとも、現実的にそこまで入念に医学的な面倒を見てはいられない。かといって体調不良でゲストに死なれてしまうと業者の責任を問われて警察沙汰になる…というのでは、受け入れ業者としてもやっていられない。

 そういうこともあって、近年では多くの業者が、スノーケリングや体験ダイビングなどに年齢の上限を設け始めた。そのため、長きに渡る勤続生活を終え、晴れて悠々自適になってダイビングでも始めよう…と思ったら、年齢制限のため受け入れてもらえない、ということにもなっている。

 人生100年時代と言いながら、いざ生きてみると単純な年齢の線引きによる「あれもダメこれもダメ」的不自由なことばかりで、これだったらもっと太く短く楽しく人生を終えていたほうがよかった…なんてことになるかもしれない。

 ビジュアル的には手軽に気軽に誰でもできそうに見えるスノーケリング。でも実際は、普段とは異なる呼吸の仕方、いつもと違う環境におかれる体、普段全然使っていない筋肉を使う運動などなど、体は静かな悲鳴をあげているかもしれない。なにぶん自然相手のレジャーのことゆえ、中高年ともなれば、参加する以上はそれ相応の体調管理能力も必要となる。年齢による単純な線引きによって美しいサンゴ礁が縁遠くなってしまわないためにも、海で遊ぶ際にはまず、己の体を知ることから始めよう。

 今は亡き樹木希林さんが生前言っていた「死ぬ時くらい好きにさせてよ」という気分もわからなくはないし、どちらかというと私もそっち派ではある。けれど今の「誰かしらに責任を取らせる」不寛容社会では、「好きなことをやっていて死んだんだから、まぁよかったね…」で終わることはけっしてなく、業者が過失の有無を徹底的に問われることになる。

 しかし考えてみると、そもそも体調不良でレジャーに参加していた事故者本人にも「過失」があるわけで、行政によって「海遊び」をがんじがらめにする前に、利用者個人個人の体調管理を強く訴えかけたほうが、よほど安全安心に繋がると思うのだけど、どうだろう。

 もう5年以上前のことながら、息子がハマっているダイビングの世界をどうしても味わいたいと、御年76歳にして人生初の体験ダイビングを申し込まれたゲストがいらっしゃった。

 ご高齢だけにご予約を受け入れた我々には一抹の不安があったものの、当日ご本人とお会いして心配は即解消した。いかにも鍛えておられそうな体つきのうえに動きは俊敏で、これならなんの心配もなさそうだ。

 後刻伺ったところによると、彼はこの日のために2年も前からジムで水泳その他トレーニングを重ねておられたという。その甲斐あって海中でも余裕綽々、人生最初で最後のダイビング(ご本人談)を、息子さんとともに無事に見事に楽しまれたのだった。

 この決意と情熱を前にすれば、もう誰も「冷や水」とは言えない。