●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2023年3月号
いにしえの昔から海が暮らしと密接に結びついていた沖縄の人々にとって、日中に潮が大きく引く春の大潮といえば、泳げない人でも海を「歩いて」海幸をゲットすることができるシアワセの日々でもあった。
「浜下り」のような儀式があるのもそれゆえで、春の大潮ともなれば、水納島でもおばあたちがそれぞれ得物を手にして潮が引いたリーフを歩き、シャコガイやサザエ、マガキガイなどを獲っていたものだった。
それが沖縄の潮干狩りスタイル…と思っていたところ、実は島には本土スタイルの潮干狩りもあるということを知った。砂浜を熊手で掘って二枚貝を採るというのだ。今では誰もやらないけれど、子供の頃は干潟にいるハマグリをたまに採って食べていた、と島のガザミ獲り名人が教えてくれた。
なになに、ハマグリ?してその大きさは、お味は?
そういうことは確かめてみないと気が済まない(食い意地が張っているだけともいう)私は、さっそくスコップとバケツを手に、大潮の干潮時に合わせて裏浜の先に広がる干潟に繰り出した。
はやる気持ちを抑えつつ、野生の勘に従って、ここぞというところを掘ってみた。ところが、ときおり「おっ?」という感触があるものの、そこから出てくるのは貝殻ばかり。結局小一時間掘ってゲットできたのは、明らかにハマグリとは違う二枚貝1匹だけだった。
ハマグリはもう絶滅してしまったのだろうか。いや、そもそも探す場所を根本的に間違っていたのでは?
念のため、潮が満ちると波打ち際になる狭い砂浜を掘ってみた。すると次々にハマグリが!ただしハマグリといってもどうやらイソハマグリという種類のようで、種類としては成長するとアサリほどの大きさになるようながら、生息環境に応じるのか、砂中から出てくるイソハマグリは随分小さく、一番大きいものでも2cmちょい、ほとんどが親指の爪ほどしかない。
それらが海岸の満潮ラインの砂中に帯状に潜んでおり、わりと密度高くいることもあって、あっという間にバケツの底が埋まるくらい採れた。
ムール貝の代わりにイソハマグリを使った「なんちゃってパエリア」。クルマエビを除き、イカもタコもトマトもルッコラも水納島産だ。けっして主役にはなれないイソハマグリではあるけれど、ナリは小さくともダシはよく出て、思わぬ御馳走となった。イソハマグリなんて、少なくともこれまで店頭で売られているのを一度として見たことがないというのに、これを「海から採ってきました!」ということが明らかになるとお縄になる今の世の中。たまに海幸になるだけの小さな貝もまた採取不可とする漁業権が、その土地ならではの美味しいものを、ひとつまたひとつと消していく…。
こんなに簡単に採れるなら、ナリは小さくともたちまちバケツ一杯に…といきたいところ。
けれど小さな島のささやかな干潟の海岸で調子に乗って採っていたら、イソハマグリはたちまち絶滅してしまうことだろう。
ここはひとつバケツの底が隠れる程度にとどめ、資源保護のためにも次回は5年以上間を空けることにした。いわば5年に1度の海の幸である。
本島に渡るのも大変で、渡った先にすら特に何も無かった昔とは違い、連絡船で本島に渡ってスーパーに行けばなんでもかんでも手に入るようになった今では、シャコガイやサザエならいざ知らず、小さなハマグリをわざわざ採りにいこうというヒトはいない。
なので私さえ気をつけていれば、イソハマグリ激減!などという悲劇もけっして起こらないだろう。
そんな話も今は昔、昔ながらのスタイルで海辺でアーサを採っていたら、漁業権の侵害ということで罰金を取られたおばぁが「買った方がずっと安かったさあ」と嘆くような世知辛い漁業権大国になってしまった沖縄県では、今や5年に1度のイソハマグリすら「ご法度」の海の幸になっている。
海と密接にかかわって暮らしてきた沖縄の人々がここまで海と無縁にされれば、海を盛大に埋め立てていっても平気でいられるのもむべなるかなといったところだろうか。