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ゆんたく!島暮らし

写真・文/植田正恵

243回.終わらぬ軽石禍

月刊アクアネット2023年8月号

 自然災害が大好きなマスコミが一斉に飛びつき、一時は全国ニュースで連日騒がれ続けた軽石も、いまやすっかり過去の話になっている。

 人によっては「軽石?なにそれ?」ということもあるかもしれない。

 軽石騒ぎとは、言うまでもなく小笠原近海の福徳岡ノ場の海底火山が噴火して放出された大量の軽石のことで、それらが沖縄方面に流れ、ついに水納島にも漂着してえらい騒ぎになったことについては、こちらでご紹介したとおり。

 ただし沖縄本島北部の海岸地帯で大変な事態になってはいても、しょせん人口密度の低い北部のこと、県内ですら軽石騒ぎは2ヶ月もすると過去のものとなっていた。

 ところが実際は、当初ほど絶望的ではないにしろ、相変わらず軽石は漂着し続けているのだ。

 というのも一昨年10月にドドッと漂着した軽石たちはその後すべて回収されたわけではなく、あちこちの海岸に漂着したままになっていて、時化や大潮の満潮時にそれらが波にさらわれ、再び海に戻った軽石たちは、やがて風に乗って海岸に押し寄せてくる…ということがしばしば繰り返されているのである。

 水納島でも軽石漂着後に一度行政による手作業の除去作業が行われたけれど、一度除去したからといってどうなるものでもなく、軽石騒ぎ勃発から半年経っていた昨年4月、海開きを直前に控えていた海水浴場を含めた海岸一帯は、冬の間の北風がせっせと寄せ集めた軽石でグレーに染まったままになっていた。

 そのため海開きの前に、各マリンレジャー業者も総動員され、2日掛かりの軽石除去作業で、ビーチはなんとか白い砂浜を取り戻した。

2023年シーズンが開幕してもなお、待合所前に堆く積まれたままの軽石入りトン袋は、アフターコロナで客足が戻った島の玄関口で、今なお威容を誇っている。軽石騒ぎなど遠い過去の話になっている観光客のみなさんの目には、さぞかし異様に映っていることだろう。こういう景観を見ても感じるところがなにもないのは自分たちだけである、というジジツに、沖縄県&本部町のヤクニンたちが気づく様子は今のところない。

 実は県内では除去した軽石の量に応じて補助金が出ることになっていて、本島各地の海岸ではそのシステムがそれなりに機能していたという話を聞く。

 しかし水納島の場合、補助金目当てに作業をするヒトはおらずとも、本島には無い大きな問題が作業後に発生する。

 砂浜を覆う大量の軽石を、人海戦術でトン袋と呼ばれる砂材運搬用の大きな袋に入れるところまでは問題ないものの、大量に溜まった軽石入りトン袋を本島のしかるべきところまで運搬する方法がないのだ。

 砂より軽い軽石だから1袋1トンはなくとも、ひとつひとつ連絡船まで運べるようなものではまったくないトン袋。だからといってユンボ1台きりしかない島の装備では、連絡船に載せるにも島の裏側に運ぶにも、現実的な運搬手段などないに等しい。

 そのため回収された軽石入りトン袋は、やむなく暫定的に待合所の前に堆くまとめて置かれることとなった。

 とはいえ小さな島の玄関口である港の真ん前にトン袋の山だなんて、いくらなんでもこれでは景観的にどうしようもない。さすがに行政も重い腰を上げ、まとめて本島まで運搬してくれることだろう…

 …と思いきや、「軽石だけじゃなくて砂も混じっているから補助金の対象にできない」とか「予算がない」などとうそぶきながら、県も本部町も例によっていつものごとく、まったくの対岸の軽石扱いのまま微動だにしない。

 その後昨秋に襲来した台風のせいで海岸一帯が再び軽石色に染まってしまい、再び人海戦術による軽石除去作業が行われた。しかも春とは違い、沖縄ではまだ夏と変わらぬ9月の炎天下の作業。50代の私ならずとも、生命にかかわるシゴトは相当きつかった。

 昨年は実質的にその台風ひとつだったからよかったものの、週末ごとに台風襲来なんてことになったら、いったいどういうことになるのだろう?まだまだ終わらぬ軽石禍なのである。