●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2024年11月号
水納島は周囲約4kmと小さな島で、島にある港は一つだけ。港といっても、長く伸びる砂浜から物揚げ場としての構造物が沖にニュッと突き出ている程度のものでしかない。
少ない島民をポンポン船が本島まで運んでいただけの頃はそれで充分だったのだろうけれど、夏場ともなれば何百人もの日帰り客を運ぶ連絡船が発着する現在ではあまりにもお粗末すぎ、おそらく沖縄県内の有人離島にあってはダントツの最小港といっていいだろう。
島内入域客増加への対応と、バリアフリー仕様が必須となったために同じ定員でも大型化せざるを得なくなった近年の連絡船、その一方で船の大きさに比して港が小規模すぎるために、台風前後や冬の季節風の際など、欠航率が大幅にアップしてしまった。
ライフラインといっていい連絡船の欠航率の高さが生活に直結する島民としても、運航責任者である海運会社としても、現在の連絡船のサイズに適した港は何をさておいても必要。
なので現行の連絡船が就航した2016年からずっと沖縄県に要請していたところ、ようやく県も重い腰を上げ、事業として本格的に取り組む姿勢を見せ始めたのがコロナ禍前のこと。
令和4年12月の住民説明会にて配られた資料にあった、水納港完成予想図。これまで屏風のように立ちはだかっていた防波堤は撤去され、そのかわり東西をがっちりガードされた立派な港は、浮桟橋仕様のグローバルスタンダードタイプだ。この港なら、これまであっさり欠航していた状況でも、楽々通常運航となることだろう。でも小さな島にとてつもなく巨大な構造物が、はたして本当に必要なのかどうか。現状の港のまま、入域客数に制限を設けつつ連絡船のサイズをひとまわり小さくするだけで、港を造り替えるのと同等の欠航率の減少が見込めるし、環境には優しいし、そのほうがよほど安上りで済むはずなんだけど…。公共工事が基幹産業といわれる沖縄では、とにかく何かを造らなければ話が前に進まないのである。
その後紆余曲折を経つつも、ついに設計から工期といった具体的な段取りが「住民説明会」という名のもとに通知されたのがコロナ禍中のことだった。
それによると、工期は5年、実際に島でおこなわれる作業は4年という長期計画で、諸々事情があって単年度ごとの予算しかつかないものの、とにかく5年分は約束されているという。
しかしどんな工事であれ工期どおりに竣工することなど滅多にない沖縄の工事のこと、ホントに5年分の予算で済むのだろうか。住民説明会で出た「途中で予算がつかなくなって中途半端で終わってしまうということはないのか?」という質問に対し、工事発注者となる北部土木事務所都市港湾斑は「それはありません」と強く断言していたけれど…。
そんな水納港大改修工事が、ついに昨年から始まった。それもシーズン真っ只中の真夏に!
当初開かれた説明会では、現場での工事は早くても秋以降から…ということだったから、夏場が稼ぎ時となるマリンレジャー業者は胸を撫で下ろしていたというのに、いきなり5月になって「予備的浚渫工事」の開始を告げられたのだ。
その裏側には役所でしか通じない理由があったようながら、ひとつだけたしかなことは、過去何度か行われた北部土木事務所都市港湾斑が行う「住民説明会」において「説明」されたことは、これまで一度としてそのとおりに実施されたことはないという事実。
正気の沙汰とは思えない真夏の浚渫工事ひとつとってもまったく寝耳に水で、その理由について北部土木事務所都市港湾斑が語っていわく、「一刻も早く工事を終了させて、新しい港の完成を!」とのことだった。
ところが、真夏の浚渫工事が終わり次第、秋からいよいよ本格工事という段取りだったはずなのに、ようやく浚渫作業が終わったあと、10月になっても11月になってもいっこうに何も始まる気配がない。
そのままなんの音沙汰も無いまま、結局秋から冬にかけての半年間、工事はまったく手付かずのまま。「一刻も早く完成させて…」という意気込みあってこその真夏の浚渫は、いったいなんだったのだろう?
浚渫しても「海が濁ることはありません!」という事前の説明も、もちろん嘘八百だったのは言うまでもない…。