●海と島の雑貨屋さん●
写真・文/植田正恵
月刊アクアネット2010年11月号
埼玉で暮らしていた子供の頃は、正月には親に連れられて親戚の家へお年始に行ったり、お彼岸お盆には親戚一同でお墓参りに行ったりと、それなりに濃厚な親戚付き合いをしていた。
また、都内で魚屋さんをしている親戚がいて、お正月用の食材を求める人でごった返す年末には、母と弟と私の3人で助っ人に行っていた。
その店では、自分で言うのもなんだけど小学生の頃から重要戦力として大人に混じって働いていた。
そのとき同じように助っ人に来ている各地の親戚たちを、あれは〇〇叔父さんで、とか、あれははとこの誰それでなどと紹介されたものだった。
それまで一度も会ったこともないような遠い親戚に出会う機会がけっこうあったのだ。
ところが現在では、私自身が遠く沖縄で暮らしていることもあって、親戚付き合いはほとんどない。
帰省することすら2年に一度だから、親戚ともなればもう10年以上会っていない人たちばかりだ。
弟に尋ねてみたところ、地元にいる彼ですら、余程のことがない限り親戚と顔を合わせる機会はなく、付き合いはほとんどないらしい。
そりゃ、お正月休みやお盆休みなど、長期休暇のたびにどこかへ旅行に出ていれば当然といえば当然か。
そもそもうちのダイビングサービスも、そういう休暇に旅行をするお客様がいてくださるから成り立っているわけで、社会の傾向として、親戚付き合いよりも個人個人の生活や趣味が優先されるようになったということなのだろう。
沖縄はその点、まだまだ昔の日本が息づいている。
水納島に越してきて間もない頃には、お祝いだ、法事だ、正月だ、と何かにつけて各家にものすごい人数の親族が集まっている様子に驚いたものだった。
また、忙しい夏場にパーラーや民宿にお手伝いにやってくる人たちは、たいてい島の誰かの縁者だ。
それほど家族、親族のつながりが濃厚なのである。
一つの家にぎゅうぎゅう詰めで寝泊りして、忙しく働いてはみんなでわぁわぁにぎやかに食事をし、バタンキューで寝てしまっていたかつての日々を思い出し、とても懐かしくなる。
一年中それだったら困るけど、限られた日数だから、それはそれで今でも楽しそうだ。
普段からそんな親戚間での頻繁な交流があるからこそ、沖縄ではいざというときにお互いに助け合う心が自然に培われるのだろう。
実際、水納島のような規模の小さな島では、人々の協力なしでは生活していけない。様々な業者がなんでもやってくれる街中とは違って、自分たちでやらなければならないことのほうが多いのだ。
一朝事あれば、どこから湧いてきたのかというくらいにたちどころに親戚一同がやってくるし、たとえ親戚ではなくとも、人手が必要な時にはワラワラと人が集まる。
今の世の中だと、そんな関係をわずらわしく感じる人のほうが世代を問わず多いのかもしれない。
しかし観光旅行ならいざ知らず、人と関わらずに一人で勝手に生きていけるほど、田舎の生活は甘くはない。
これまで私は、水納島では何をするにも、家族経営しか成り立ちようがないと思ってきた。
しかしよくよく考えると、この島そのものが実は「家族経営」ではないか。
これは小さな社会の、究極の理想のスタイルなのではないだろうか。