甲幅 10mm
生き物の名前、特に和名については、セレンサンゴガニの稿でも触れたように誤解が普遍的情報として広がってしまうことがある一方で、見解の相違による情報の錯綜というケースもある。
たとえば↓この写真のカニ。
ある図鑑を見ると、「アカエリサンゴガニ」と紹介されているものと寸分違わないように見える。
それを参考にしたのであろう、ネット上でも似たようなカニの写真がアカエリサンゴガニと紹介されている。
なるほど、これはアカエリサンゴガニなのか…
…と思いかけたものの、これってカノコサンゴガニじゃないの?
カノコサンゴガニといえば、80年代半ばでは唯一といっていい一般向けカニの図鑑「沖縄海中生物図鑑・甲殻類(カニ編)」の当時から慣れ親しんでいる名前で、海中で見かける機会も多いから馴染みあるサンゴガニの仲間だ。
そんなカノコサンゴガニとアカエリサンゴガニ、いったいどこがどう違うのだろう?
…と、もげるくらい首をひねり続けていたところ、ハタと気がついた。
カノコもアカエリも、ともに学名は同じ Trapezia guttata なのだ。
すなわち両者は同じカニにつけられた、異なる2つの和名なのである。
これはアカデミズム社会における生き物の命名にまつわることではよくあることで、いずれギョーカイのルールに則って白黒ハッキリするのだろうけれど、どうやら現在のところ棚上げされたままなのか、どちらの名前も世間に通っている。
邪馬台国の場所ははたしてどこなのか、関西地方の研究者と九州の研究者とでまったく異なる説が両立しているのと同じようなものなのかもしれない。
ギョーカイの事情はどうあれ同じカニのことなのであれば、ここでは昔馴染みのカノコサンゴガニで通させていただきます。
さてそのカノコサンゴガニ、図鑑的にはハナヤサイサンゴ類やミドリイシ類の枝間にも住まうようながら、水納島の場合最も彼らを見る機会が多い…というか観やすいのは、トゲサンゴにいる子たちだ。
アカネダルマハゼやクロダルマハゼが好んで住むサンゴだから、ハゼ変態社会のみなさんもそういったハゼを覗き見る際にしばしば目にされていると思われる。
握り拳2つ分ほどの小さなトゲサンゴの群体にいるものはチビチビが多く、シーズン中にトゲサンゴの枝間を覗き込めばたいてい観ることができる。
同じくトゲサンゴでよく観られるエンマカクレエビと獲物の奪い合いをしていたのもこのカノコサンゴガニだ。
「サンゴの粘液やそこにからみついた有機物を食べている」という話のわりには、なにげに肉食系なサンゴガニたち…。
トゲサンゴはこのようなクリーム色っぽい色の群体が多いのだけど、どうせだったらピンクの群体にいるほうがフォトジェニックになる。
そしてトゲサンゴといえば、サンゴが白化してしまうくらい高水温になってしまうと、真っ先に白くなっていくサンゴでもあり、ピンクのサンゴが白化し始めると、淡いパステルカラーになる時期がある。
生命の危機にさらされているトゲサンゴ群体には申し訳ないけれど、その限られた期間のピンクのトゲサンゴは相当ビューティホーで、あらゆる生き物たちがビジュアル系になる。
もちろんカノコサンゴガニも、思わず身震いしてしまうほどに…
ビューティホー。
ところで、サンゴガニの仲間は生きたサンゴにしか住めない。
そのためサンゴが白化してそのまま死んでしまうと、サンゴガニの仲間たちは住処を追われることになる。
98年の白化のあとは、その後10年近く経ってようやくトゲサンゴの群体がチラホラ観られ始めたくらいだから、その間ずっとカノコサンゴガニはレアであり続けた。
それを思えば、たとえ美しいからといって「ビューティホー♪」などと白化がもたらす演出を喜んでいる場合ではないのだけれど、それはそれで二度と観られないかもしれない千載一遇なのだ。
大規模白化から四半世紀近く経った現在(2022年)では、けっしてパーフェクトな状態とは思えないながらも、幸いなことにサンゴたちはかなり回復しており、パッと見は白化直前の頃と大差ないように見えるまでになってきた。
四半世紀でようやく元どおり。
今再び大規模白化でサンゴが死滅してしまったら、我々世代のダイバーは、生きている間にもう二度とトゲサンゴにいるカノコサンゴガニには会えないかもしれない。
いつまでも あると思うな サンゴ礁。
会えるうちに全力で会っておこう。