11・福江をさるく・6〜午後の散歩編〜
なので、部屋でちょっと午睡でも……と思ったら、通常こんな時間に部屋に帰ってくる観光客などいないのか、頼んでおいた部屋の掃除がまだ手を付けられていなかった。 フロントのおねーさんが申し訳なさそうに15分もあれば済ませますから…と言ってくれたので、商店街のお土産屋さん(ホテルからすぐのところ)などを物色しつつ時間を潰し、再びホテルへ戻る。 すっかりクリーニングが完了された部屋は、チェックイン時と変わらぬ姿。 たいして散らかしていたわけではないものの、やはり心地よい。 というわけで、青空が広がっているというのに、なんともゼータクな午睡を少々。 一眠りしてエネルギーが再充填されたところで、午後の散歩に出かけることにした。 特にあてがあるわけではなかったのだけど、前日午後の散歩で立ち寄っていないところを中心に、テケテケ歩いてみた。 商店街のアーケード通りをちょっと外れると、ちょっとした公園がいくつかある。 どちらも天を衝くように育ちきったヤシが植えられていて、こうして晴れている日にはとても見栄えがする。
ただし風が強い日はこのヤシの葉が風を通す音にけっこう迫力があって、すぐ近くに波濤が迫っているような錯覚すら覚えた。 このヤシはおそらくワシントンヤシモドキという種類で、カナリーヤシと同じく温帯域でも育つため、南国ムードの演出には欠かせないヤシとして重宝されている。 うれしいことにこういうちょっとした公園にはそれぞれ男女がちゃんとセパレートされた公衆トイレが設けられていて、なおかつどこも清潔に保たれている。 ビールを飲んだ後に気ままにプラプラしている身には、とってもありがたい設備である。 この公園は「東公園」というところで、 すぐ隣にはカトリック系の保育園があり、その隣にはやる気系焼肉店やスナックもあるし、もちろん魅力的な居酒屋も点在している。 そんな街中のフツーの公園に、実はけっこう有名な方の記念碑が、知っていなければ絶対に見過ごすこと確実な片隅に建てられていた。 これ。
伊能忠敬天測之地の碑。 日本全国を歩き回って測量し続けた、江戸時代の地図王こと伊能忠敬は、測量のためにここ五島列島にまで足を運んでいたのだ。 「日本全国どこでも取り付け工事に伺います!」 と謳ってクーラーを販売しながら、水納島ですけど、というと「行けません」とあっさり言うベスト電器の「全国」とは一味違うのである。 伊能忠敬が当時あちこち回って測量し続けたという話は有名なので知ってはいたけれど、そうはいっても江戸時代のこと、現在のハイテク機器を用いた測量で得られた数値に比べれば、データは相当異なっているのだろう、と少々侮っていた。 ところが。 この公園がある浜町で行われたという彼の測量で得られた数値と、現在の計測機器による数値の比較が説明板に掲示されていたので見比べてみると……
ほとんど誤差ないじゃんッ!! 江戸時代の地図王、恐るべし。 説明板には、五島列島における伊能忠敬の活躍ぶりが記されているほか、不幸にもこの地で病没した、忠敬の右腕・坂部貞兵衛のについて特に紙面(板面?)を割いており、彼がここ福江市街のはずれにある宗念寺に葬られていることを教えてくれた。 奇しくもそのお寺は、前日福江川沿いをちょっとだけ歩いた時に遠望したお寺で、これも何かの縁、坂部貞兵衛の墓参りをしに行こう。 すでにおおよその地理感覚はつかめていたので、だいたいあのあたりと見当をつけてテキトーに歩いていると、ほどなく到着した。
浄土宗・宗念寺。 どうやら藩主五島家の、江戸時代の初め頃以来の菩提寺らしい。 歴史あるお寺ではあるけれど、やっぱり植栽は南国ムードだったりする。
そんな由緒ある古刹の境内に、いきなり燦然と掲げられているのが、こちらの説明ボード。
坂部貞兵衛の生前の活躍を紹介するとともに、このお寺にお墓がありますよ、という説明である。 坂部貞兵衛なんて、先ほど東公園の説明板で目にするまでの人生で見たことも聞いたこともなかったというのに、ここ五島市ではそのお墓を市指定の史跡にするほどのVIP待遇。 異郷の地で志半ばで病に倒れて没するのは、ご本人にとっては無念やるかたなしだったことだろう。 でもそれがために死後200年経った今でも、こうして人の口に語られる存在になっているのだから、これもまたある意味「名を遂げた」ということなのかもしれない。 ところで。 こうしてこのお寺に坂部のお墓がありますよと教えてくれるのはいいのだけれど、案内を頼りに探そうにも、このお寺、古刹だけあって本堂裏の墓地は墓墓墓の林立地帯で、墓場の鬼太郎だって迷子になること必至の迷路状態だ。 説明ボードの略図だけでは無理かも…… …と諦めかけたところでオタマサが発見。 これが坂部貞兵衛のお墓だ。
VIP待遇のわりには、なんだか肩身が狭そうな規模のお墓ではある。 このお墓を探したおかげで、とある疑問も解決することになった。 というのも、本堂を抜けて墓地に来てみて最初に思ったのが、まるでこの日がお盆かなにかの仏事の日でもあるかのように、どの墓もどの墓も、供花がやけに新しいのだ。 フツーお墓って、お墓参りをした直後こそ供花は鮮やかだけど、たいてい萎れたり枯れたりしているじゃないですか。 だから全体的に不思議な印象を受けていたところ、間近で確かめたオタマサは気がついた。 「造花だ!!」
そうなのである。
墓の文字に金箔を入れるという習慣も我々には目新しかったけれど、造花を供花にするというのはかつて目にしたことがない。 そこでハタと気がついた。 そうか、だから商店街の店頭が、造花コーナーで彩られていたのだ。 後刻たしかめてみたところ、しっかり「仏花」コーナーもあった。 それどころか、商店街にある仏具店の店頭も……
各種造花がズラリ。 本物の切り花に比べると遥かに安価なようだから、そういう方面での需要なのか、それとも墓地はいつでも華やかなほうがいいという意味での習慣なのだろうか。 墓地から階段を下りれば外に出られるので、傍らにある唐辛子のネックレスをした疣取り地蔵に挨拶しつつ、宗念寺をあとにした。 そこから目と鼻の先に、今宵訪れようかどうしようか考え中ながら、まだ場所を確認していなかった飲み屋さんがあった。 これも何かの縁……というか、坂部貞兵衛のお導き、今宵はこの店のやっかいになることにしよう。 でもまだ散歩は続く。
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