14・ドン・トマシーノの屋敷
この日のゴッドファーザーロケ地めぐり、僕としてはもう、ここまでで充分なくらいに大満足の時間を過ごしていた。 が。 シチリアクラブのヒロセさんにこのツアーを申し込んだ際には、もし予算的なことや時間的なことで制限があるのなら、他は飛ばしてもここだけは是非立ち寄ったほうがいいと言ってくださっていた場所でもある。 その名を「デリ・スキアヴィ城」という。 しかし、聞いただけではわからずとも、その姿をひと目見れば、ゴッドファーザー・ファンならすぐさまわかるはず。 ここだ!!
もうおわかりですね? ゴッドファーザーPartVより お城。 なんと現オーナーは、18世紀にこのお城を建てた貴族の末裔だそうで、名をフランコさんという。 というわけでやってきましたデリ・スキアヴィ城。 ……いや、自宅なんだから自分でやるのは当然といえば当然ながら、貴族と聞くともっとお高くとまっているのかと思うじゃないですか。 で、夢にまで見たドン・トマシーノの屋敷に到着。 フランコ劇場の始まり始まり〜〜!! というのも、僕はてっきりしばらくは好きなように写真を撮っていて的な時間になるのかと思っていたところ、フランコ氏は予想を上回る大ハッスルぶり。 「ここから撮ったらバッチシだ!」 「うん、私に任せて!」 などと言いながら、次々に写真を撮る位置を指示しつつ、僕のカメラを受け取ってはパシパシ我々を撮ってくれるのである。 だからこういう写真も、 「フラヴィツィオ、アポロニアは?」 ゴッドファーザーより こういう写真も、 「Frabizio,dove vai?」ゴッドファーザーより そしてこういう写真も、 マイケルに呼び止められ、気まずそうに振り 向きつつ逃げ去るフラヴィツィオ ゴッドファーザーより すべて熱烈フランコ氏撮影。 マイケルの最期・ゴッドファーザーPartVより わざわざ物置から椅子まで用意してくれて。 ゴッドファーザーPartVより 子犬の他に誰もいない庭の片隅で、誰に看取られることもなく静かに息を引き取る……、っていう構図なのだ。 熱烈フランコ氏が僕のカメラでパシパシパシ。 なのに構図は………。 このあと、なんと屋内にも案内してくださった。 そんな地下室でも、ゴッドファーザー PartV撮影時にはロケが行われていたらしい。それも、コルレオーネ・ファミリー、すなわちアンドリーニ家のルーツに繋がるシーンだったそうで、非常に興味深いシーンながら、残念なことにそれらは全編カットされてしまっている。 この場所がロケ地だったという話以前に、そういうエピソードを劇中で観たかったなぁ…。 その後2階にも案内してくださった。 ゴッドファーザーPartVより この部屋に案内された早々、ここがどういう場所かわかるか?的な質問をフランコ氏がしてきたので、僕はすかさず、アル・パチーノが自分の首にナイフを当てるシーンの真似をして見せた。 「おお、君はわかっているじゃないか!」 検定合格。 3作目の撮影から20年近く経って、調度類はもちろん多少異なっているものの、テーブルといい雰囲気といい、映画そのままのリビングに通された我々。 コーヒーを飲ませてもらいつつ、ピスタチオたっぷりのご当地オリジナルお菓子などをいただきながら、ロケ当時の裏話その他、フランコ氏の熱弁をうかがった。 だけでなく、このデリ・スキアヴィ城に絞って編集してあるゴッドファーザーシリーズ、という超マニアックなビデオや、ゴッドファーザーネタでここを訪れた日本のバラエティ番組のDVD、地元のテレビ局制作のテレビ番組の録画テープなどなど、これでもかといわんばかりの………… ……ようするに自慢話を聞かされたのだった。 英語にされてもイタリア語にされても、滝のごとく流れてくる言葉を即座に理解できるはずもないのに、おまけに熱烈フランコ氏は熱が入るとイタリア語と英語がごっちゃになる。 でも心配御無用。 そんなこんなで、予想と期待を上回る歓待ぶりでもてなされた我々。 「あれ?ここで全部撮影してんの??」 ようやく事態を理解してくれたのだった。 そんな人を無理矢理連れまわすなんてひどい!! いえいえ、この日の僕のあまりの感動ぶりに、父ちゃんは 「帰ったら一度観てみようかなぁ」 という気になってくれたのである。 部屋を辞する際、ここで見送ってくださる奥様に、Masae工房のくらげ玉をプレゼントした。 うちの奥さんが作った日本のとんぼ玉です。中にガラスのクラゲが入ってます。 勉強した甲斐あって、ちゃんと(かどうかはわからないけど)イタリア語で紹介できるのだ。フッフッフ。 すると奥様はとても喜んでくださって、我々が気がつかぬ間にすぐさま胸元にペンダント様にして身につけてくれていた。 「下からバルコニーにいる君たちを撮るから!!」 と言いながら颯爽と出て行ったフランコ氏の手の中に。
ところで。 この稿に載せているのは僕が一人で写っている写真ばかりだけど、その後には同じ場所で3人で撮ってくれている。 また、サービスとしてこのお城に関連するいくつかの写真(なかにはコッポラ、デ・ニーロ、ニーノ・ロータのバルコニーでの3ショットもある)が印刷されているポストカードを宛名つきでくれるんだけど、僕にはわざわざ宛名つきのものを、そして宛名のないもう一枚を、父ちゃんに渡す………のかと思いきや、うちの奥さんに手渡すフランコ。 これってもしかして…………… そう考えるといろいろとツジツマの合うことが多い。 「うーん、どうでしょう…………思い込みの激しい方ですからねぇ」 たしかにヒロセさんには応えづらい質問だったことだろう。 「 madre?(母)」 って言う始末。 「ララァは私の母になるかもしれない女性だったんだぞ!」 「お母さん!?」 というわけのわからないセリフで終わってしまった「逆襲のシャア」を思い出してしまうのだった。<意味不明。 メインイベントのデリ・スキアヴィ城を後にし、我々は次なるロケ地を目指した。 |