25・アグリジェントへ!

 明けて迎えた3月3日雛祭り。
 結局3人ともまた、満足に眠ることができずに迎えた夜明け前。
 6時になるとみんな活動し始めるので、その前にトイレの用を済ませ、身も心もスッキリした状態になって、例によって屋上テラスに行ってみた。

 昨日もまた快晴だったから、きっと今朝も……
 テラスへのドアを開けると、空には雲ひとつない。
 まだ街灯のともるナクソス湾の風景を眺めているうちに、背後から光がさしてきた。

 わぉ………。

 やや雲に隠れていた昨日と違い、正真正銘のイオニア海からの日の出…………。

 ナニゴトの おわしますかは 知らねども 
            かたじけなさに 涙こぼるる……

 この風景を見てしまっては、古代人ならずとも神々の息吹を感じずにはいられない。

 そしてそのご来光に照らし出されて………

 エトナ山の頂はほんのりピンクに染まっていた。

 このエトナ山の頂付近に、靄状の雲が見えた。どうせだったら無いほうが写真的にはいいなぁと思ってしばらく待っていたものの、時間が経っても一向に動かない。
 はて???

 その正体は後刻判明する。

 お日様が昇るにつれて、スローモーションで色が変わっていくエトナ山に見とれることしばし……。

 このまま、時間の経過につれて変化していく景色を楽しみたかったものの、あまりの美しさを独り占めするのも申し訳ないから、部屋に戻ってうちの奥さんに報告。
 しかし彼女は荷物の梱包に追われていたのだった。
 そう、今日タオルミーナを去らねばならないのだ。

 ……って、たしかに準備は大切だけど、朝飯に時間通りいくくらいなら、この景色を優先すべきだと思うんですけど……。

 しかしそれは、例によって朝から酒を飲んでいる父ちゃんも同じで、二人してせっせと片付け。
 そして後刻、二人でテラスへ。
 昨日は「俺はいいよぉ」なんて言っていたのに、今日は素直に観に行った父ちゃん。
 戻ってくると、その前の日にも観に行ったことを思い出したらしく、「きれいだった、きれいだった」とご満悦。

 すっかり日が昇ってから観に行ったうちの奥さんは、日の出がさぞかし美しかったろうということにようやく気がついた。

 「片付けを後からやればよかった……」

 でしょう?

 そしてタオルミーナの最後の朝食。
 すると、我々同様早くから朝食を摂っているカップルがいらっしゃって、そのかたわれのやけに陽気な女性がなにやら話しかけてきた。
 すると………

 なんと昨夜、我々が食べている同じ時間にダ・ニーノにいたらしい。
 ちょっと離れたテーブルで食事していたという。

 「いい店だったわね♪」

 そうか、やっぱいい店だったのか。
 でも普通に英語圏の方のよう。アメリカ人なのだとしたら、おそらく量がたっぷりあったらどこでも「いい店」になるに違いないからなぁ……。

 間違いなくいえるのは、さほど多くはない宿泊客が同じ店で出会うくらい、この時期に開いている店が少ないってことだ。

 この朝食で、僕は初めてエスプレッソを頼んだ。
 他の二人はモグモグモグモグ、美味い美味いとパンやらハムやら、あろうことかベーコンとスクランブルエッグという、アメリカンなメニューも食べまくっている。
 僕はといえば、いまひとつ調子が上がらない消化機能の回復を優先すべく、チーズ一切れハム一枚とコーヒーで終了。

 このエスプレッソが…………

 小さッ!!
 まるでお猪口。
 そのおチョコに申し訳程度にしか入っていない。
 でも。
 山椒は小粒でピリリと辛いが、エスプレッソは小粒でビビビと苦い。

 普段コーヒーには砂糖を入れたりしないけど、こればっかりは、砂糖を入れなきゃ炭を飲んでいるようなものに思えたので、砂糖を入れてみると……

 完全無欠のドルチェに変身!!
 すっかりはまってしまって、このあと朝食でもカフェでも欠かせないアイテムになっていった。

 さて。
 朝食も終わり、いよいよホテルをチェックアウト。
 今晩はパレルモ泊になるのだが、移動の途中に観光を入れてある。
 目指すは………

 アグリジェント!!

 鉄道や長距離バスでの移動ってのも楽しそうではあったものの、公共交通機関がいつなんどきストになるかわからないイタリア。
 高齢者を抱えた身では、ホテルからホテルの間、大きな荷物を抱えながら路頭に迷うわけにはいかない。

 そんなわけで、これまたヒロセさんのシチリアクラブに、タオルミーナからアグリジェント観光つきパレルモ行きの、専用車で行くロングトランスファーをお願いしてあった。

 ただし、前2日間のようにヒロセさんは同行しない。英語は話せるけど日本語は話せないシチリア人運転手つきの専用車だ。
 そのドライバーと、9時にホテルで待ち合わせていた。
 さあ、出発!!

 ……という段になって、朝のワインが効いてきた父ちゃん。

 だから朝飲むなって言っているのに………!!

 そうこうするうちに、時刻どおりにドライバー到着。
 ドライバーは巨漢のレナート。
 ひととおり自己紹介をし、いざ出発!!

 Arrivederci,Taormina!!

 レナートが我々と共に言ってくれた。
 さらばタオルミーナ!!

 さあ、アウトストラーダをぶっ飛ばして一路アグリジェントへ!!

 初日カターニア空港からタオルミーナへとやってきたときと同じ道。
 あの時は大雨の窓外は真っ暗で何も見えなかったのに、この日雲ひとつ無い快晴の空の下では、エトナ山の雄大な姿が。

 そして……

 あ、あれは!!

 「Fumo.」

 レナートが教えてくれた。
 すなわち……噴煙!!
 ホテルのテラスから見えていたあの靄状のもの、雲だとばかり思っていたら、エトナの噴煙だったのだ。
 ちょうど風がタオルミーナのほうに吹いているから、テラスから見たらまったく動かないように見えていたわけだ。

 生きている火山、エトナ………。

 昨日はあそこの麓にいたんだよなぁ……。
 さて、タオルミーナからアグリジェントまでは、約2時間半。
 その間はただの移動時間だから、客としては寝ていてもなんの問題もない。
 でも、その道中の景色の美しさといったら…………。

 こんなちっぽけな写真の1枚や2枚ではとうてい伝えられないものの、正直、ゴッドファーザーのロケ地をめぐっていたときよりも、よほどあのゴッドファーザーの名曲が似合う景色の連続なのだ。

 途中途中には羊の群れなども見られ、絵に描いたようなシチリアの風景が広がっていた。

 とてもじゃないけど寝ている場合ではない。

 当然ながら助手席には僕が座っていた。
 あれは何、これは??といった質問に、いちいち答えてくれるレナート。


羊を指差し、「Pecora.」と教えてくれるレナート。

 一面に広がる緑の草原には、2種類あることも教えてくれた。
 ときおり羊が歩いている部分は牧草地。
 でも、けっして羊たちが入っていないほうは、小麦。

 小麦!!

 古の昔から、地中海世界の穀倉地帯として君臨してきたシチリア。とりわけ小麦なんて、この世界の生活に欠かせない農作物だ。
 イタリア料理といえば誰もが思い浮かべるパスタも、実はシチリアが発祥だという。
 そりゃ大地が丸々小麦畑ともなれば、パスタ文化が発祥するのも当然か。

 牧草地を彩る黄色い花々がまた美しい。
 昨日一昨日と車でご一緒したヒロセさんによると、これはオオキバナカタバミという花だそうで、沿道にしろ丘陵地にしろ、けっして人が植えたものではなく、天然なのだとか。

 色こそ違え、あたり一面ビッシリと花が覆い尽くす風情は、かつて日本の春先の田園風景では当たり前だった、レンゲの花畑のようにも見えた(田んぼのレンゲは人が撒いていたものだけどね)。

 調べてみると、南アフリカ原産ながらすでに日本にも帰化しているらしく、曇りの日には閉じて、晴れている時には花開く、ということも有名なようだ。
 どこにでも帰化できるほどにたくましい植物だからこそ、このように斜面一面を真っ黄色に染め上げることもできるのだろう。
 おかげで、黄色=
giallo(ジャッロ)という言葉をレナートに教わることもできたのだった。

 いやあ………美しい。
 車窓すべてが一幅の絵のようだ。
 大地を彩る草花、淡く染まる浮雲……
 そんな風景を観て父ちゃんも、柄にも無く(?)

 「水彩画のようだなぁ…」

 なんて感嘆の声をあげていたんだけど、30分ほどすると飽きちゃったらしい………。
 そして……沈。

 ま、寝てたほうがこの後のためにはなるだろう。

 この瑞々しい風景は、真夏の3ヶ月ほどの間はまったく異なる姿になるという。
 シチリアの夏は乾燥の季節になるからだ。
 それこそそこらじゅうが、まるでマイケルが狩猟に出かけていたときのような風景になるに違いない。

 レナートのベンツワゴンはひた走る。
 やがて、シチリアの真ん中、シチリア州で最も標高が高いところにある町エンナを通過すると、道は下り坂に。
 アウトストラーダはここからは北に伸びるのみで、アグリジェント方面には繋がっていない。
 一般道へ。
 ……でも、あんまりスピード変わらないんですけど。

 面白いことに、エンナの街の前までは、アランチャ、レモーネ、オリーバだった沿道の果樹の様相が、エンナを過ぎると徐々に変わってきた。
 そこかしこに……

 アーモンド!!
 レナート、あれは
Mandorraでしょ?

 「Si,si.Mandorra.

 あれも?
 するとレナートは、あれはペスカだという。
 ペスカ?ペスカ?ペスカっていったら………

 桃か!

 そっくり。
 という話をしていたら、レナートが出題してきた。

 「ではあれはアーモンド?桃?どっちでしょう?」

 「桃だ!」

 あ………
 父ちゃん起きてた。
 さすが、このあたり話題には滅法強い。

 沿道ではこのほか、カカシも見受けられた。
 それが日本由来なのかどうなのか、レナートはカカシという言葉を知っていて、日本に普通にあるものだということを知っていた。

 そんなこんなで、まったく飽きることなく経過した2時間30分の道のりは、そろそろ終点に近づいてきた。 

 やたらとにぎやかで混雑している街(アグリジェントの街)を海側に抜けると、そこは………………

 神殿の谷!!