26・神殿の谷

 シチリア島には、実はギリシア時代の遺跡がギリシア本国よりも数多く残っている、といわれる。
 それもそのはず、ギリシア人がシチリアに入植し始めたのは紀元前8世紀のことだ。
 それも、瀬底島の次男坊三男坊が土地を求めて水納島に……といった規模ではなく、宇宙世紀が始まった地球連邦による、スペースコロニーへの移民計画なみにドドンッ!!と。

 都市国家だったギリシア世界の各国々が、それぞれ神託を受けてシチリアの各所に入植。そしてその入植先も手狭になれば、その近くにまた新たなコロニーを、という具合に増え続けたようだ。

 当時はアクラガスと呼ばれていたこのアグリジェントは、順番的には最初のコロニーが手狭になって新たに生まれたコロニーだったらしい。
 紀元前5世紀頃には最盛期を迎え、30万人の人口を誇ったといわれる。現在の人口が6万人というから、優に5倍の人々がこの地で暮らしていたのだ。

 シチリアの多くの街の起源が、もともと海辺ではなくて小高い丘もしくは山の上にあるのは、ギリシア人たちによって街づくりが行われたからなのかもしれない。
 だからこそ、紀元前の街の名残りが今もなお各所に残っているのだろう。

 その後のシチリアでは、ギリシア系諸国家とカルタゴとの激しい勢力争いが続くとになり、ここアグリジェントは、紀元前406年にカルタゴに攻め滅ぼされる。
 が、漁夫の利的に、紀元前3世紀になってローマのものとなる。
 そして地中海世界は、ローマの時代へとなっていく。

 アクラガスという植民都市国家の栄光は、ローマによってアグリゲントゥム(農地)と名を変えられたことに象徴されるとおり、本国ギリシアの没落とともに終焉を迎え、以後歴史の表舞台に立ったことはない。
 それでも……

 遺跡は残った。
 ギリシア人たちは、それこそとりつかれたかのように各地に神殿を造ったから地中海各地に遺跡がある。とりわけここアグリジェントは、一つの区画が完全に神殿の区画状態だ。

 見た感じはどう観ても丘なのになぜか日本語では「神殿の谷」と訳されるアグリジェントの考古学地区には、アグリジェントがアクラガスと呼ばれていた時代、つまり栄光の時代に築かれた神殿群が点在している。

 そんな神殿のひとつ、ヘラ神殿近くで我々は下車した。
 見学後の待ち合わせ時間をレナートと相談し、彼とはここでいったんお別れ。

 おお、晴れ渡る空、そよぐ風!!

 大勢の人で賑わうこともあるというこの神殿の谷、季節はずれだからか観光客もさほど多くはなく、入場券の購入も並ぶことなくスムーズに終了。
 最初に訪れたのはここ、ヘラ(ユノー)神殿。

 アテネのアクロポリスのように大理石製ではなく凝灰岩なので、今観られる神殿自体は、ともすれば夏に各地の海岸で開催される砂の彫刻コンテストのように見え、あまり見栄えのする色ではない。
 でも往時の基礎部分は、白漆喰で彩られていたという。
 たしかに基壇のあたりにその名残が見て取れる。
 しかもこの神殿たちは当時、建物の各所が赤や黄、青で彩られていたそうだ。

 白に赤、青、黄……………?
 それってつまり、その昔のこの丘に建つ神殿の色彩は……
 こんな感じだった?


(C)バンダイ

 <違うと思います。

 この神殿に、鳥がとまっていた。

 ゴッドファーザーツアーのときから野山でときおり見かけていたハトくらいの大きさの鳥で、白黒模様がシャチみたいで面白いからかなり注目していた(羽を広げるとさらに面白い模様なんだけど、それは撮れず…)。

 街外れのこの神殿の谷周辺は開発が禁じられているために、彼らにとってはきっと過ごしやすい場所なのだろう。 
 人間にとっては貴重な遺跡も、鳥にとっては単なる休憩所。
 遺跡の上部は、鳥のフンだらけに違いない………。

 このヘラ神殿からメインストリートに戻る道からの眺めもいい。

 写真左側は急斜面になっていて、この丘と斜面を区切るように長く岩が連なる。
 地形を利用したギリシア時代の城壁の跡だ。
 たしかにこの地形でここに城壁があったら、海から攻めてくる敵にとっては、連合軍のノルマンディ上陸に備えたドイツ軍防塁なみに難攻不落に見えたことだろう(って、ドイツ軍は突破されましたけど?)。

 城壁を構築している岩の側面には、随所に人工的な穴がうがたれてあった。
 後で知ったことには、これらはビザンチン時代の墓なのだそうな。
 そういえば、タオルミーナで観た「ビザンチン時代の墓」の形に似ていたかも……。

 それらの城壁は、どう観ても人工的に構築されたとしか見えなかったのだが、何をどう言っても父ちゃんは、

 「これは自然の岩だ」

 頑として聞かない。
 齢をとると思い込みが激しくなるものなのだろう……。

 と思っていたら。
 帰国後調べてみると、「自然の岩壁を利用した城壁」と記されているではないか。
 さすがグランド職人、恐れ入りました……。

 この城壁から見晴るかす眺めがまた素晴らしい。

 眼下には牧草地が広がり、その向こうには地中海。
 なんだか、かつてマサイマラのロッジの昼寝場所から眺め続けた、サバンナの眺めにも似ている……。

 ボーッとしているだけで心地いい場所。
 ここでビールを飲みながら昼寝できたら最高だろうなぁ…。

 そうやって、まだ最初の神殿でゆっくりしている我々だったのだが、最初にパチパチ写真に写った後はすぐさま飽きて、いつの間にかいなくなっている父ちゃん。
 とにかく先を急ぎたがるこの気の短さ!!

 もっと眺めを楽しんでいたかったものの、迷子になられても困るのでメインストリートに戻ってみたら……

 父ちゃんタバコターイム……。
 うまい具合に灰皿コーナーがあったらしい。
 ま、なんであれ、楽しんでもらっていればそれでいいか…。

 ちなみに。
 父ちゃんの背後にある木々は、真後ろのオリーブ以外はすべてアーモンドの木。
 2月が花の盛りというアーモンド。
 現代のアグリジェントは「アーモンドの街」で、毎年2月に満開になるアーモンドに合わせ、アーモンドの花祭りが催されるそうだ。
 祭りはともかく、一望満開のアーモンド林は見てみたい………。
 それにしてもこのアーモンド、花は桜にそっくり!!

 お馴染みのアーモンドの実はこういうふうに実る。

 この果肉の中にある種が、いわゆる食材としてのアーモンド。
 おつまみに入っているようなアーモンドが、木に生るってことすらいまいち実感がなかったのに、まさかそれが桜のような花で、こんなふうに実をつけるものだったなんて……。

 新緑も鮮やかなアーモンドの木々が彩るこのまっすぐ伸びるメインストリートを、コンコルディア神殿まで歩く。

 歩いていると、この石造りのガードレールに……

 トカゲがいた!!
 これは前日タオルミーナで見たトカゲと同じ種類なのだろうか??
 やや地味に見えるけど………メスってこと??
 千石正一、カモーン!!

 まぁしかし、鳥といいトカゲといい、神殿の谷で何を観ているのだ我々は。

 さあ、お次はコンコルディア神殿だ!!

 …っとその前に。
 途中にバールがあった。
 お昼時間だったので、すっかり腹が減っている。
 ここを過ぎたらしばらく食べ物屋がなさそうだったから、食欲に導かれるままバールへ…。

 で、また何を食うかなんてことを何もわからない人と相談しても、飯を食う前に時間を食うだけだから、父ちゃんがトイレに行っている間に速攻で決めた。
 ……って、速攻で決めさせる威勢のよさがバールの女将さんにあったのだ。どっちにしようか迷っていると、

 「どっち?どうする?こっち?」

 ってな具合。
 なんかこの感じ………

 ティーダのジュンコさんに似ている。
 そういえば、タオルミーナのバンバールのマンマもジュンコさんぽかったよなぁ。

 シチリアの結論その1
 バールのマンマはジュンコさんである。

 まだ到着してから神殿をひとつしか見学してないんだけど……
 とにかく乾杯!!