26・神殿の谷
シチリア島には、実はギリシア時代の遺跡がギリシア本国よりも数多く残っている、といわれる。 都市国家だったギリシア世界の各国々が、それぞれ神託を受けてシチリアの各所に入植。そしてその入植先も手狭になれば、その近くにまた新たなコロニーを、という具合に増え続けたようだ。 当時はアクラガスと呼ばれていたこのアグリジェントは、順番的には最初のコロニーが手狭になって新たに生まれたコロニーだったらしい。 シチリアの多くの街の起源が、もともと海辺ではなくて小高い丘もしくは山の上にあるのは、ギリシア人たちによって街づくりが行われたからなのかもしれない。 その後のシチリアでは、ギリシア系諸国家とカルタゴとの激しい勢力争いが続くとになり、ここアグリジェントは、紀元前406年にカルタゴに攻め滅ぼされる。 アクラガスという植民都市国家の栄光は、ローマによってアグリゲントゥム(農地)と名を変えられたことに象徴されるとおり、本国ギリシアの没落とともに終焉を迎え、以後歴史の表舞台に立ったことはない。 遺跡は残った。 見た感じはどう観ても丘なのになぜか日本語では「神殿の谷」と訳されるアグリジェントの考古学地区には、アグリジェントがアクラガスと呼ばれていた時代、つまり栄光の時代に築かれた神殿群が点在している。 そんな神殿のひとつ、ヘラ神殿近くで我々は下車した。 おお、晴れ渡る空、そよぐ風!! 大勢の人で賑わうこともあるというこの神殿の谷、季節はずれだからか観光客もさほど多くはなく、入場券の購入も並ぶことなくスムーズに終了。 アテネのアクロポリスのように大理石製ではなく凝灰岩なので、今観られる神殿自体は、ともすれば夏に各地の海岸で開催される砂の彫刻コンテストのように見え、あまり見栄えのする色ではない。 白に赤、青、黄……………?
<違うと思います。 この神殿に、鳥がとまっていた。 ゴッドファーザーツアーのときから野山でときおり見かけていたハトくらいの大きさの鳥で、白黒模様がシャチみたいで面白いからかなり注目していた(羽を広げるとさらに面白い模様なんだけど、それは撮れず…)。 街外れのこの神殿の谷周辺は開発が禁じられているために、彼らにとってはきっと過ごしやすい場所なのだろう。 このヘラ神殿からメインストリートに戻る道からの眺めもいい。 写真左側は急斜面になっていて、この丘と斜面を区切るように長く岩が連なる。 城壁を構築している岩の側面には、随所に人工的な穴がうがたれてあった。 それらの城壁は、どう観ても人工的に構築されたとしか見えなかったのだが、何をどう言っても父ちゃんは、 「これは自然の岩だ」 頑として聞かない。 と思っていたら。 この城壁から見晴るかす眺めがまた素晴らしい。 眼下には牧草地が広がり、その向こうには地中海。 ボーッとしているだけで心地いい場所。 そうやって、まだ最初の神殿でゆっくりしている我々だったのだが、最初にパチパチ写真に写った後はすぐさま飽きて、いつの間にかいなくなっている父ちゃん。 もっと眺めを楽しんでいたかったものの、迷子になられても困るのでメインストリートに戻ってみたら…… 父ちゃんタバコターイム……。 ちなみに。 お馴染みのアーモンドの実はこういうふうに実る。 この果肉の中にある種が、いわゆる食材としてのアーモンド。 新緑も鮮やかなアーモンドの木々が彩るこのまっすぐ伸びるメインストリートを、コンコルディア神殿まで歩く。 歩いていると、この石造りのガードレールに…… トカゲがいた!! まぁしかし、鳥といいトカゲといい、神殿の谷で何を観ているのだ我々は。 さあ、お次はコンコルディア神殿だ!! …っとその前に。 で、また何を食うかなんてことを何もわからない人と相談しても、飯を食う前に時間を食うだけだから、父ちゃんがトイレに行っている間に速攻で決めた。 「どっち?どうする?こっち?」 ってな具合。 ティーダのジュンコさんに似ている。 シチリアの結論その1 まだ到着してから神殿をひとつしか見学してないんだけど…… |