27・神殿の谷・2
晴れ渡る空の下、そよ風が吹く木漏れ日の下がとてつもなく心地いい。 まるでお花見。 初パニーノ♪ 沖縄での生活と比べると、生野菜に関しては、勝負すれば確実に秒殺で勝てるほどの圧勝であることはいうまでもない。 というわけで、ときおりヒラヒラと散る花見をしながらのパニーノ&ランチービールは、まことにもっと心地良く、父ちゃんでなくとも、神殿めぐりをするのが億劫になってしまうほどだった。 傍らで、ガットネーロがけだるそうにおこぼれを待っていた。 このバールのすぐ近くにあるのが、コンコルディア神殿。 神殿には3秒で飽きる父ちゃんながら、こういった古寂びた木々に対する興味は尽きないらしく、この神殿の谷の至るところに生えているオリーブの古木に興味津々のようだった。 しかし、それはまさに慧眼だったのだ。 ただ。 そしてこのサラセンオリーブのうしろに写っているのが…… コンコルディア神殿。 名前は周囲からの発掘物にちなんで後世に付けられたものながら、この神殿の谷の中で唯一往時の姿をほぼ完全にとどめている神殿だ。 アラブ時代にはモスクになっていたともいわれ、ノルマン王朝になって以後は再び教会になっていたものを、18世紀に元の姿に戻したのだとか。 この神殿だけ見ても、シチリアの複雑な歴史をうかがい知ることができる。 人口6万人を擁する現代のアグリジェントの街が広がっていた。 写真はヘラ神殿 神殿だけが独立していたほうがいい、できることなら街が見えないほうがいい…という旅行者も多いようだけど、これはこれで、2000年以上もの時を越えた対比で面白い。 コンコルディア神殿からさらに行くと、 ヘラクレス(エルコレ)神殿。 往時は正面に6本、両サイドに15本の柱が並ぶ巨大な神殿だったそうなのだが、地震で倒壊。 そこまでするなら、いっそのこと完全に復元すりゃいいのに…… ところでこの神殿たち、そのチクワブのような柱の一本一本をよく観てみると、すべてブロック状に輪切りになっていることがわかる。 だからこそ、かつて神殿だったパーツが崩れているところには、まるで後片付けをしない子供が遊び散らかしたLEGOのように、同サイズのブロックが転がっているのだ。 そんなブロックの材質は、砂質凝灰岩ということらしい。 前日ヒロセさんが、「石をよく観ると化石が混じっていますよ」と教えてくれていたので、神殿近くにある、神殿と同じ材質の石で作られた構造物を見てみると……… ホントだ!貝の化石!! この岩ならやわらかいから、加工もしやすかったことだろう。 という疑問に答えてくれていた場所を、我々は気づかぬまま通り過ぎていたのだった。 実は、山の上から石材を運ぶための、荷車の通り道、すなわち轍の跡だったらしい。 へぇ〜〜〜。 そういう考古学的に興味深い写真は撮っていないくせに、こういうのは撮っていたりする。 サボテンやリュウゼツランを傷つけて落書きするのは、世界中どこでも同じらしい……。 このエルコレ神殿の先は国道が横断しているので、国道を渡った後、売店が併設されているところに再び改札がある。 再度の改札後、最初の神殿はゼウス神殿。 残念ながらこの神殿は、完成の日の目を見ないうちにアグリジェントがカルタゴに滅ぼされてしまったため、その後カルタゴによる破壊、おまけに後の地震で瓦礫の山になってしまった。 その瓦礫の山でさえ、16世紀に行われた付近の港建設のための石材として、ごっそり持ち出されてしまったのだという。 まさに…… たけきものもついには滅びぬ。ひとえに風の前の塵に同じ。 そのゼウス神殿の柱になっていたという人物像のレプリカが、まるで腹筋運動を始める寸前のような態勢で寝転がっていた。 というわけで、ギリシア世界最大の神殿は、今ではショボイ瓦礫の山が残るのみなのだけど、かつて神殿を形作っていた瓦礫をマニアックに観ると面白いらしい なかでも我々は、ヒロセさんがご自身のサイトで紹介されている、ライオンの尻尾の浮き彫りを捜し求めた。 「ゼウス神殿の北東」というヒントだけを頼りに、神殿跡そのものをそっちのけに探索してみた。 あった!! だから何ってものでもないですけどね。 そしてその先、ちょっと離れたところにあるのが、ディオスクリ神殿。
観ようによっては、スターウォーズ・帝国の逆襲に出てくるAT−ATに見えなくもない……。 この神殿もまた、ゼウス神殿同様瓦礫の山だったものを、19世紀にこの部分だけ復元され、以後このアグリジェントのシンボルになったという。 こうして見てみると、ほぼ完全な姿を残してるコンコルディア神殿よりも、このように一部だけが残っている姿のほうが、時の重みを、そして「祇園精舎の鐘の声」を感じられるような気がする。 この神域内でも随所に、満開をやや過ぎたアーモンドが咲いていた。 このアーモンドがサラセンオリーブのような古木になる頃、背後に見える街はどのようになり、そしてこの地にはどんな人たちが訪れているのだろうか。 サラセンオリーブがまだ若々しかった頃、ひょっとすると当地にいた誰かが、同じようなことを考えていたかもしれない。 すみません、僕たちのような人たちが訪れています………。 |