28・パレルモ
待ち合わせ場所の駐車場には、時刻どおりにレナートが待ってくれていた。 日本でのように、気軽にコンビニに寄ってトイレだけ借りる、というわけにはいかない。 そのためこういう観光地のトイレには、首からネームプレートを提げた係員がいて、スルドイ(?)マナザシで利用者をチェックしている。 というのがこの社会のルールということは知っていた。 さあて、準備はOK。レナート、出発しよう!! 「アリベデールチ、アグリジェント!!」 レナートのベンツ・ワゴンは発進した。 パレルモ!! 第2次世界大戦当時の1943年7月10日、すでに北アフリカで勝利を得ていた連合軍は、イタリア本土侵攻前にシチリアへの上陸作戦を開始。モントゴメリー大将の英第8軍はシラクサ付近に上陸してメッシーナを目指した。 パレルモだ。 このあたりで羊や牛を飼っている酪農家や小麦を作っている農家がどう思っていたのかは知らないけれど、少なくともシチリアのマフィアは完全に反ファシスト政権だったという。 それもあって、パットン第7軍は破竹の勢いでパレルモへ進撃。華を持たせるという政治的配慮で近道だったモントゴメリー英第7軍よりも早く、メッシーナに到達したのだった。 そんな道を進む我々。 そしてほかにも。 パラッツォ・アドリアーナ。 劇中では架空の街だったものの、ロケ地となった町の広場はほぼあの状態(セットだった映画館はもちろんない)のままという。 ちなみに、旅行前に観たテレビ番組では、このパラッツォ・アドリアーナを紹介していて、そこにはあの人が住んでいた。 ところでこの道中、ずっとレナートと拙いイタリア語とさらに拙い英語を交えて会話しているんだけど、なんでイタリア語を覚えたの?と訊かれた。 美味しいものを食べたかったから! と応えたんだけど、やはり、英語は堪能でも、わざわざイタリア語を覚えて観光に来る日本人客はそれほど多くはないのだろう。これまでもこの先も、イタリア語でほんの少し話すだけで、たいそう驚かれたり褒められたりして、僕としては随分心地が良かったりした。 ただ、この道中は上辺だけの褒め言葉ではすまなかった。 イタリア語にはmoltという言葉がある。 僕も会話の端々にモルト、モルトと言っていたのだけど、ドライブも終盤に差し掛かった頃、レナートがワンランク上のイタリア語教室を始めてくれた。 「 moltをモルトというと、イタリア語ではmortoになってしまうから注意しなければいけないよ。Mortoは死んじゃいましたって意味。全然違う意味になるから、大変だ!」 冗談交じりにそう教えてくれるレナート。 「モゥト!」 なるほど、アメリカ英語のように、Lは小さいゥくらいの発音になるのか!! タコはタコで、僕はずっと polpoをポルポと覚えていたのに、これまた違うらしく、「ポリポ!」 イタリア語ではそう言うのだ、とレナートは語った。 というわけで僕は、なるほど、本やCDで学ぶよりは、やっぱ現地だよなぁ、という意を強くしたのだった。 そうこうするうちに、峠を越えている間は牧歌的な風景が続いていた車窓は、いつしか建物が増え始めた。 タオルミーナも街とはいえ、古風で素朴な街並みだったのに比べると、パレルモの郊外は現代の「街」だった。 この先の旅程では、もう牧歌的な風景を観ることはない。 ところでレナート、あなたはどこに住んでいるの?と問うと、タオルミーナだという。 そういうと彼は、 「いやいや、これが僕の仕事なのだから、何のモンダイもない。」 さすがプロドライバー。 彼の仕事だけではなく、我々の仕事についても話した。 すると、10人中9人がそうするように、彼も「何人くらい住んでいるの?」と尋ねてきた。 フィフティ そう言うと、彼は島の航空写真を見つつ、信じられない世界を見るような反応をするのだった。 「世界は広い……」 ホテルには、午後5時過ぎに到着した。 最後に記念写真。 少し強引な停め方をしていたので、 通りかかる車が気がかりなレナート。 レナート、モゥト グラッツェ!! Moltoのところで、レナートが一緒にハモッてくれたのは言うまでもない。 レナート、ホントにありがとう!! Alla prossima!! パレルモでのホテルは、ポリテアマ劇場すぐ近くのグランド・ガリバルディだ。 観光的には旧市街のど真ん中にあるホテルのほうが便利なんだろうけど、なにぶん夜ともなれば治安の悪さが取り沙汰されるパレルモ旧市街のこと、右も左もわからない我々だから、一応用心して新市街に位置するホテルを選んでいた。 2008年オープンというホテルの内装は新しく、アメリカンタイプということもあって、ヴィラ・ディオドーロとは違い、日本人の我々にはタオルその他のアメニティは使い慣れたもの。 オプションの3台目の位置が、親に脚を向けて寝る状態になっていはするものの、うまい具合に組み合わされたソファが間仕切りになっていた。 湯、キーその他のチェックを済ませ、荷物を解きはじめるやいなや、テレビをつけようとする父ちゃん。 浴室はシャワーブースが浴槽とは別に設けられているほど広く、その浴槽は、なんとジャグジーつき!! パレルモでは歩き倒すつもりでいたので、なんともうれしい。 まさかこれがビデだったとは!! 正体がわからないから未使用で終わったものの、てっきり小便器だと勘違いした父ちゃんが、ここで小便をしている可能性は120パーセントと思われる………。 とりあえず落ち着いたので、ホテル近辺の地理の把握とミネラルウォーターをゲットすべく、荷物を解きほぐしている二人を残し、このあと僕は一人で街に出てみることにした。 今宵の夕食は、神殿の谷にいる間に予約をしてあったものの(前日初めての電話予約をクリアしたので、もう余裕綽々♪)、ホテル周辺の地理を実際に確認しておくためにも、添乗員としては日が沈む前の明るいうちの散歩は必要だ。 ホテルを出た。 そんなパレルモの街に………… 立っている俺!!! 子供の頃の僕にとって、そこへ至る遥かな道のりは、木星の衛星イオへ行くのとほとんど変わらぬほどに遠い街だったパレルモに……… 今ワタシは立っています………。 ……かなり感動。 日没後のホテルの部屋のテラスからの眺め。 道の先、500mほどのところにパレルモ港がある。 |