30・メルカート・ヴッチリア編

 ジジマンジャでかなり満足してホテルに戻ったあと。
 パレルモ初日の夜は、いい感じで眠りにつけた。
 緊張感からも解き放たれて、少しずつながら体が現地に順応してきたらしい。

 一方、昼間は誰よりもスヤスヤと寝ている父ちゃんは、酒の勢いでいったんは眠りにつけるものの、夜更けに一度パチッと目が開いたあとはなかなか寝つけないようだった。
 傍から見ていると日中寝てるんだから当たり前の話なんだけど、本人的には思い通りにならないことがもどかしいようだ。

 もどかしいだけならいい……。

 寝られない…という居心地の悪さを、唸り声もしくはうめき声で表すものだから、そばで普通に気分よく寝ている者にとっては耳障りなことこのうえない。

 大通りに面しているホテルなので、自動車の音は途切れることなく夜通し聴こえる。
 そういう音はまったく気にはならないけど、部屋の傍らで、寝られぬに任せて蠢く音というのは落ち着かないこと甚だしい。

 そういうこともあろうと思って!!

 僕は秘密兵器を持ってきていたのだった。
 本来は飛行機内で使うためのアイテム、耳栓だ。
 これさえしていれば、たとえ父ちゃんが心臓発作を起こしてもがいていようと気づきもしない。<それはいいことなのですか?

 安眠安眠。
 が。
 それをも突き破る轟音が未明に炸裂!

 眠れぬ夜を過ごした父ちゃんは、何を血迷ったか、夜が明ける前からなんと風呂の準備を始めたのだ。
 朝5時半ですぜ!!

 大容量の浴槽でも短時間で湯が溜まる水量だから、その轟音たるやハンパではない。
 いったいナニゴトか!?
 やっと訪れた安眠時間が突き崩される……。

 しかし僕が何も言う前に、真っ先にキレていたのはうちの奥さんなのだった。

 いやホントに、今さらながら……
 たかだか数日間のことで悲鳴をあげている我々は、実家の若女将に頭を下げつつ、

 「貴女はエライ………」

 とつぶやいたのだった。

 そんなことなどどこ吹く風で、今朝も朝から風呂上りのワインを楽しんでいる父ちゃん。
 まぁなんといっても偉大なるスポンサー。本人が心地いいならそれでいいけど、ずっとそれを続けていて、体がもつのかなぁ??

 そして朝。
 アメリカンなホテルの朝食は、それなりに食べるものが揃ってはいたものの、あのディオドーロの眺めの良いレストランに比べるとごくごく普通。

 ところが部屋その他すべてひっくるめて、父ちゃん的にはタオルミーナ、パレルモ、そしてこのあと行くローマで泊まったホテル3ヶ所の中で、ここが最も良かったらしい。

 ヨーロッパに来てアメリカンスタイルのホテルってどうなのよ……と思ってはいたものの、立地はもとより父ちゃんの居心地という基準で選んだ手前、そう評価してもらえると選んだ甲斐があったというモノだ。

 ま、ここまで傍若無人で過ごせれば、どこに泊まっても本人の居心地は良かったのは間違いない。

 さあ朝食後は、いよいよパレルモの街を散歩だ!!

 ……しかし外は雨なのだった。

 ここまでは奇跡のようにお天気に恵まれていたから、このへんで雨になるのはしょうがないか。

 春のイタリアで雨具は欠かせないというので、一応折り畳み傘は持ってきていた。
 こっちの人たちも、沖縄の人たち同様少々の雨では傘など差さないらしく、雨足によっては傘無しの人々の姿も見られた。
 でも今朝は傘無しじゃちょっとつらそうだ。

 そんな雨のパレルモの路上には、こういう人たちが20m間隔で商いをしていた。

 傘売りオジサン。
 弱みに付け込んで法外な値段で売りつけるアヤシイ人たちなのかと思いきや、地元の方も普通に買い求めていたようだったから、ごくごく普通の傘屋さんなのだろう。

 こうしてビルの陰で傘を並べている人もいれば、腕に何本も傘をぶら下げて歩きながら、路上で売り子をしている人もいた。
 みんな黒い系の人たちだけど、不思議なことがひとつ。
 彼らはいったい…………
 お天気がいい日には何をしているんだろう??

 雨がぱらつく中、ホテルを出てルッジェーロ・セッティモ通りをテケテケ南下すると、やがて出てくる巨大な構造物。

 ご存知マッシモ劇場だ。
 イタリアに留まらず、ヨーロッパでも屈指の規模というこの劇場は、19世紀の建造物。
 もちろんここでオペラだなんだを観るはずはないものの、僕にとってはここもまた来てみたかった場所のひとつ。
 なぜだかわかりますね??
 …………という話は後刻また。

 このマッシモ劇場を通り過ぎてすぐあたりに、このマクエダ通りに交差するようにして、カーポ市場の小道が続いている。
 もちろんそちらへ行く。

 残念ながら、この天気とまだ時間が早いってこともあってか、カーポ市場はほとんど店舗が出ていなかった。
 そのかわり!!

 ローマ通りを渡ったところにある、サン・ドメニコ教会前の広場から始まるヴッチリア市場は………

 まさに期待通りの……………
 牧志公設市場状態!!

 そう、我々はこれを、これを観に来たのだ!!

 ……そんなこととはツユ知らず、例によって道もわからないくせにとっとと先に行ってしまう父ちゃん。
 そんな父ちゃんを無視して、もう完全に我々の興味の向くまま遊んでいると、父ちゃんもようやく我々の楽しみを理解したのか、やがて興味を抱き始めてくれた。<それでも3分で飽きるけど…。

 そんな魅惑のヴッチリア市場の様子をここに!!


ヒロセさんが教えてくれたとおり、
タオルミーナでは紫だったカリフラワーが、ここでは黄緑色!!
(どう観てもカリフラワーなんだけど、ブロッコリーって書いてあった。)


うちの奥さんが気に入っていた、
カルチョーフィ(アーティチョーク)オジサン。
ひたすらここで、カルチョーフィの葉を落とし続けていた。


市場の魚屋といえばこれ、というくらい有名なカジキマグロ。
ドドンッと置いてある。


写真を撮っていいですか、と訊くと、まずノーと言われることはない。
そして彼のようにポーズを撮ってくれる人も多い。


何に使うのか、サメやエイもズラリと並ぶ。
店のニィニィはパスタに使うんだと言っていたけど、ホントか??


シチリアのタコもなかなかやる!!


ホント、牧志公設市場みたい……。


オリーブ売りのオジサン。ここでオリーブを2種類ほど購入。


様々なガイドブックに登場している、名物パネッレを売っている店の名物ニィニィ。
禿げていようがどうしようが、
自分がイケメンだと思っているのは全イタリア人の男に共通しているようだ。

 写真はすべて、事前に「撮ってもいいですか?」と断りを入れている。
 その場合、まず間違いなく断られることはない。
 むしろ、撮ってくれといわんばかりにポーズをしてくれるし、撮った後は「見せてくれ!」という人も多い。
 「帰ったらサイトにアップしてね!」なんて、リクエストを言うお兄ちゃんもいた(サメを持ってポーズを撮っていた人。どなたか彼にお会いになったら、約束を果たしたよ、とお伝えください)。

 また、一緒に是非!と言ったら、上の写真のようにカウンターの内側に呼び入れてくれたりもする。

 このパネッレ売りのお兄さんは、福島にエツコという名のお友達がいるらしい。
 知っているか?と言われても………。
 名物はパネッレなのに、我々はタコのサラダを買ってしまった。
 タコを食ってみたい、というのもこのパレルモでのテーマだったのだ。

 ところで、冒頭の八百屋さんではプチトマトも並んでいて、面白いことにこういう状態で売られている。

 ボケているのでわかりづらいけど、房ごとに繋がっているのがおわかりいただけるだろうか。
 同じ房についている実でも、赤くなるタイミングはそれぞれ違うはずなのに、どうやってるんだろう??

 おいしそうなので購入。
 他の店とは違い、イブシ銀の八百屋のオヤジは無愛想だったけど(それでも快く写真を撮らせてくれた)、僕の前に買っていた人はかなりの大量買い。おそらく飲食店関係者だろう。
 つまり質は地元の人の保証つきというわけだ。
 そんなイブシ銀無愛想オヤジなのに、トマトを一房だけ買いたいというと、無愛想に返事をしてくれつつ、こんなふうに包んでくれた。

 カワイイ♪……けど……似合わねぇ〜〜〜。
 でもこうやって紙で野菜を包んで売ってくれるって、なんとなく懐かしい感じがする。

 アメリカ型消費社会への道を一直線に進む日本では、大型ショッピングセンターや巨大スーパーが次々に誕生し、その影で八百屋や魚屋、肉屋や豆屋、豆腐屋といった昔は当たり前にあった個人商店が軒並み姿を消している。
 なんでも揃って合理的、おまけに安い巨大スーパーが便利なことはもちろんながら、そこにはすでに、対面販売という姿もまた消え失せてしまった。

 ここパレルモにも、実はそういったスーパーがすでにできているらしいから、こういった市場も実は安穏とはしていられないに違いない。
 でもパレルモの人たちは、たとえ一度は「合理的な便利さ」に走ることはあっても、また再び市場が活気を取り戻すような気もする。

 たとえ不便でも余計な手間がかかっても、手間ひまかけても古き良きものを残すことを選ぶ社会であれば、けっして夢物語ではないと思うのだ。

 このヴッチリア市場だけでも相当期待どおりだった。
 それなのに、このあと訪れたところは、期待どころではないくらいにとてつもないワンダーランドなのだった。