36・モンレアーレ

 バスはやがて、山道を登り始めた。
 そこに至るまでの、車内での一般客の様子がまた面白い。
 目と目が合うと、必ず会話が始まる。
 その会話が、型通りの挨拶だけじゃなくて、なにをそんなに盛り上がるのだ?と思わず訊きたくなるほどに話し込む。
 しかも、それが顔見知りじゃなくても成立するところがすごい……。
 このオジサマたちもそうだった。


オジサマを盗撮

 後から乗ってきた紳士はオシャレなコート。
 先に乗っていた方は普段着っぽい服。
 パッと見両者に共通点はなさそうだったのに、話が始まると止まらない。
 聴くともなく聴いていると、どうやらコートの紳士はこれから薬局に行くらしい(もしかしたら病院かも)。
 これが日本だったら、

 「どちらまで?」

 「ああ、ちょっと薬局まで」

 「雨ですねぇ」

 「そうですねぇ……」

 以後沈黙……だとしてもけっしておかしくないところ。
 でも彼らは延々と話し続けるのだ。
 話を優先して降りるのをやめるのでは??と思っていたら、さすがにそんなはずはなく、コートの紳士は軽く挨拶してサッと降りていった。

 しばらくして普段着オジサマも降りて行った後、今度は若者が二人乗り込んできた。
 先ほどのオジサマと同じような構図で、一人は座り、一人は立っている。
 で、これまた先ほどのオジサマたちと同じように、おしゃべりが延々と続く。

 全世代共通!
 彼らのトークの間の、「同じ話率」はいったいどれくらいなんだろう???毎回違う話をしているのかな……。<それはすごいことだと思う。

 山道を登るバスからの素敵な眺めを楽しんでいるうちに、ついにバスは終点に到着した。

 モンレアーレだ!!

 が。
 目的地の大聖堂までの道は、バスがその先でターンしづらいためか、バスは大聖堂に続く坂道の随分手前でストップ。

 えー!?雨なんですけど??

 仕方がないので下車。
 途端に雨足が強くなり始めた。

 こりゃ困った、急げや急げ!!
 せっかくの折り畳み傘も、今朝の晴れ間を見て持ってきていなかったので、ともかく道なりに坂道を登った(観光的には裏通りだったみたい)。

 そして広場に到着すると……

 どうもぉ!!
 ………じゃなかった、ドォーモ=大聖堂!!
 外観だけ観ると、パレルモ中に溢れるノルマン時代の建物の1つってだけな風情ながら。
 中に入ると………

 キンキンキラキラ夕陽が沈む………♪

 照明が当てられているのは正面の手を広げているキリストのところだけだし、そもそも写真じゃわかりづらい。けど、全面これすべて光り輝く黄金のモザイク。
 総面積6000平方メートル以上もの金のモザイクなのだ。
 モザイクが描き出す聖書の物語だ、マリア様だ、天使だ、十二使徒だといわれてもさっぱりわからないものの、これは………

 まさに圧巻。

 キンキンキラキラが過ぎると、普通は秀吉の金の茶室のように悪趣味以外のナニモノでもないように見えるものだけど、パラティーノ礼拝堂もそうだったように、キンキンキラキラでありながら、「美しい」というのがすごい。

 これを作り得たノルマン王朝の力や、パレルモ大司教の権勢を削ぐためといった政治的事情もさることながら、ここまでのモザイクを人々に作らしめる原動力となっているのは、もちろんこの方。

 全能の神、キリスト。
 キリスト教については何も語るところを持たない僕とはいえ、これほどまでの作業を人々に行わしめる宗教の力って……。

 事ここまでに及ぶと、素晴らしいことなのか恐ろしいことなのか、もはやまったく思考不能だ。
 思考不能なので、ただただ傍らに立ち尽くすしかない。


ボーゼン……

 父ちゃんも感じ入ったようで、広い堂内を隅々まで観ていた。
 さすがにここは、3分では飽きなかったようだ。<それでも6分くらい……。

 あ、そうそう、このモンレアーレの大聖堂で、我々はパレルモに来て初めて、我々以外の日本人に会った。
 どこぞの団体様御一行のようだった。
 その団体にこっそりついていったら説明聞けますよ、って父ちゃんに言おうと思ったら………

 …すでについていっていた。
 ちゃっかりしている……。

 ひとしきり大聖堂内の輝くモザイクに心打たれた後、有名な回廊つき中庭とやらに行ってみた。
 入り口の場所がわからなかったので、売店その他の人々に尋ねまわってついに発見。
 大聖堂は無料だったのに(ただし喜捨を求められることもある)、この中庭は有料だ。

 中庭をグルリと取り囲むこの円柱の数々、2本で一組になっているこの円柱、そのすべての装飾が一組ごとにそれぞれ違うという、恐るべき手間、労力。


椰子の木を模しているという噴水

 キリスト教の教会の建造物なのに、どう見ても千夜一夜物語に出てきそうな雰囲気。
 アラビア〜ンって感じね。
 実はそれこそが、シチリア・アラブ様式と言われる、現在の南イタリア(ノルマン王朝勢力下)のエキゾチックさを特徴づける建物の様式なのだそうな。

 イスラム勢力下時代のシチリアのアラブ人たちは、もともと都会だったシチリア東部ではなく、自らが発展させたパレルモを中心とするシチリア西部に多く住み着いていたという。
 彼らはノルマン王朝時代になって以後も、その善政もあってそのまま暮らし続けたため、パレルモにおけるノルマン王朝発注の教会建設事業にも、数多くのイスラム技術者たちが参加した。

 そんなビザンチン的キリスト教文化とイスラム文化の融合が生み出した作品の代表格が、このモンレアーレの大聖堂と回廊なのである。

 先にも書いたけど、現代社会のそこかしこで繰り広げられる宗教紛争を思うと、とても不思議な気分になる。
 だって、この人↓がこうして上から眺めている建物やその傍の回廊が、アラブチックなんですぜ………。

 何度も言おう。
 なんで1000年近くも前の人たちに可能だったことが、こんなに科学が進んだ今の世の中で無理なんだろう??
 ほら、こうして見たら、キリストもビン・ラディンに似てるし………。<こんなこと言ったら殺される??

 この回廊の外に、公衆トイレがあった。
 そのペーパータオルが……

 手拭きのための紙がいちいち派手………。
 これもまた、シチリア・アラブ様式な……………わきゃない。

 モンレアーレは、ドゥーモと回廊以外にさして見るべきものとてない小さな町だけど、山の上にあるので見晴らしがいい場所がある。
 とはいえ雨が降っているので、この先にあるというベルベデーレまで、みんなを連れて行くのもいかがなものか。
 きっとベデーレはベルじゃないだろうし。

 そのかわり、有料ながらドォーモの屋根まで行くことができる。

 それを二人に話すと、ナニゴトもとにかく未知のことについては否定から入る高齢者はともかく(そのくせやってみたり行ってみたりすると結局楽しむ)、自力で登れる「高いところ」には、尋常ならざる興味を抱くうちの奥さんが黙っているはずはなかった。

 というわけで、その秘密の(?)屋根に上ってみよう。
 はてさて、入り口は?

 またそのあたりのスタッフに訊ねてみると、

 「ドォーモに入って突き当たりを左に行ったところですよ」

 ありがとう!
 でも中に入り口なんてあったかなぁ??
 再びキンキンキラキラに入り、言われたとおりに進むと…

 あ。
 ロウソク売りのオジサンかとばかり思っていたら、そこが屋根への道の入り口番だった。

 3人分払って、登頂開始。
 途中、先ほどの回廊を上から見渡せる屋外通路を通る。

 その先は、さすが「秘密」の通路だけあって、こんな道が続いた。


北谷のピザインにいるアメリカンなご婦人には無理…

 途中にある小さな覗き窓を眺めたりしつつ、いかにも塔を登ってますって感じの道のりになって、そしてたどり着いた先に………

 おお、ベルベデーレ!!
 これ、ドピーカンで輝く青空だったら最高だったろうなぁ……。

 登頂を果たし、大満足のオタマサ。

 この屋根の上スペースのさらに上へ行く階段があった。
 そこから観るとこんな感じ。


雨避けハンカチを頭にかぶせて眺める父ちゃん

 そこを下から見るとこんな感じ。

 で、そこから見るとこんな感じ。


撮影:オタマサ

 フェンスがいまいち信用できなかったので、ややへっぴり腰のワタシ。

 我々がいるところは分厚い雲に覆われていたものの、見晴るかす海辺のパレルモ市街地にだけ、太陽の光がさしている。

 高層ビル群をはじめとする東京都心周辺の俯瞰映像をどれだけ見ても息が詰まりそうになるだけだけど、このドォーモの上から見渡す景色は素晴らしい。

 登った甲斐のある、素敵な素敵な眺めである。

 由緒正しきキリスト教の大聖堂、本来堪能すべき宗教美術をさしおいて、なんだか違う方面で楽しんでしまった気もするモンレアーレ行なのだった。