36・モンレアーレ
バスはやがて、山道を登り始めた。
後から乗ってきた紳士はオシャレなコート。 「どちらまで?」 「ああ、ちょっと薬局まで」 「雨ですねぇ」 「そうですねぇ……」 以後沈黙……だとしてもけっしておかしくないところ。 しばらくして普段着オジサマも降りて行った後、今度は若者が二人乗り込んできた。 全世代共通! 山道を登るバスからの素敵な眺めを楽しんでいるうちに、ついにバスは終点に到着した。 モンレアーレだ!! が。 えー!?雨なんですけど?? 仕方がないので下車。 こりゃ困った、急げや急げ!! そして広場に到着すると…… どうもぉ!! キンキンキラキラ夕陽が沈む………♪ 照明が当てられているのは正面の手を広げているキリストのところだけだし、そもそも写真じゃわかりづらい。けど、全面これすべて光り輝く黄金のモザイク。 まさに圧巻。 キンキンキラキラが過ぎると、普通は秀吉の金の茶室のように悪趣味以外のナニモノでもないように見えるものだけど、パラティーノ礼拝堂もそうだったように、キンキンキラキラでありながら、「美しい」というのがすごい。 これを作り得たノルマン王朝の力や、パレルモ大司教の権勢を削ぐためといった政治的事情もさることながら、ここまでのモザイクを人々に作らしめる原動力となっているのは、もちろんこの方。 全能の神、キリスト。 事ここまでに及ぶと、素晴らしいことなのか恐ろしいことなのか、もはやまったく思考不能だ。
父ちゃんも感じ入ったようで、広い堂内を隅々まで観ていた。 あ、そうそう、このモンレアーレの大聖堂で、我々はパレルモに来て初めて、我々以外の日本人に会った。 …すでについていっていた。 ひとしきり大聖堂内の輝くモザイクに心打たれた後、有名な回廊つき中庭とやらに行ってみた。 中庭をグルリと取り囲むこの円柱の数々、2本で一組になっているこの円柱、そのすべての装飾が一組ごとにそれぞれ違うという、恐るべき手間、労力。
キリスト教の教会の建造物なのに、どう見ても千夜一夜物語に出てきそうな雰囲気。 イスラム勢力下時代のシチリアのアラブ人たちは、もともと都会だったシチリア東部ではなく、自らが発展させたパレルモを中心とするシチリア西部に多く住み着いていたという。 そんなビザンチン的キリスト教文化とイスラム文化の融合が生み出した作品の代表格が、このモンレアーレの大聖堂と回廊なのである。 先にも書いたけど、現代社会のそこかしこで繰り広げられる宗教紛争を思うと、とても不思議な気分になる。 何度も言おう。 この回廊の外に、公衆トイレがあった。 手拭きのための紙がいちいち派手………。 モンレアーレは、ドゥーモと回廊以外にさして見るべきものとてない小さな町だけど、山の上にあるので見晴らしがいい場所がある。 そのかわり、有料ながらドォーモの屋根まで行くことができる。 それを二人に話すと、ナニゴトもとにかく未知のことについては否定から入る高齢者はともかく(そのくせやってみたり行ってみたりすると結局楽しむ)、自力で登れる「高いところ」には、尋常ならざる興味を抱くうちの奥さんが黙っているはずはなかった。 というわけで、その秘密の(?)屋根に上ってみよう。 またそのあたりのスタッフに訊ねてみると、 「ドォーモに入って突き当たりを左に行ったところですよ」 ありがとう! あ。 3人分払って、登頂開始。 その先は、さすが「秘密」の通路だけあって、こんな道が続いた。 北谷のピザインにいるアメリカンなご婦人には無理… 途中にある小さな覗き窓を眺めたりしつつ、いかにも塔を登ってますって感じの道のりになって、そしてたどり着いた先に……… おお、ベルベデーレ!! 登頂を果たし、大満足のオタマサ。 この屋根の上スペースのさらに上へ行く階段があった。 雨避けハンカチを頭にかぶせて眺める父ちゃん そこを下から見るとこんな感じ。 で、そこから見るとこんな感じ。 撮影:オタマサ フェンスがいまいち信用できなかったので、ややへっぴり腰のワタシ。 我々がいるところは分厚い雲に覆われていたものの、見晴るかす海辺のパレルモ市街地にだけ、太陽の光がさしている。 高層ビル群をはじめとする東京都心周辺の俯瞰映像をどれだけ見ても息が詰まりそうになるだけだけど、このドォーモの上から見渡す景色は素晴らしい。 登った甲斐のある、素敵な素敵な眺めである。 由緒正しきキリスト教の大聖堂、本来堪能すべき宗教美術をさしおいて、なんだか違う方面で楽しんでしまった気もするモンレアーレ行なのだった。 |