38・冷や水

 ほどよく歩いてほどよく飲んだので、父ちゃんはそろそろお昼寝タイム。
 一度ホテルへ戻る。

 トラットリア・プリマヴェーラがある広場からクアットロ・カンティはすぐ近く。
 クアットロ・カンティからホテルまでは約1キロ。
 なので、ホテルまでは1キロちょい、時間にして15〜20分という道のりを、テクテク歩く。

 土曜ということもあって、マクエダ通りには車も少なく、こんなふうに遊べたりもする。

 たかだか15分の一直線の道、ゆっくりこうして遊びながら行けばそれほどしんどくもないんだけど、ここでもやはり、父ちゃんは休むことなくサクサクスタスタ進んでいく(右前にいる小さい人影)。

 どっちにしろ、歩いた時間にしろ距離にしろ、昨日に比べればまったく大したことはない。
 ところが……。

 ホテルに到着した頃には、父ちゃんはすっかりダウンしていたのだった。
 この感じ、ハワイのときのマリオネット状態に似ている!?

 だからゆっくり歩いたほうがいいって言ってたのに!!
 だから朝から飲むなって言ってたのに!!
 だから……だから……
 ありとあらゆる「だから」を思い出しつつも、今さら言っても仕方がない。

 とりあえずハワイのときとは違って、ここがホテルの部屋であることが不幸中の幸いだ。
 ともかくまずは寝てもらおう……としていたら、

 「やっぱり、部屋を掃除してもらおうよ」

 父ちゃんが言う。
 そうなのだった。
 前日はホテルに戻ってきたのが1時頃だったため、部屋の掃除がまだ済んでいなかった。でもそのまま父ちゃんは部屋で休憩するんだし、そこで一人きりのときに掃除する人が入ってきたらややこしいことになるだろうってことで、「掃除はいいです」の札を掲げたままにして済ませていたのだ。

 なので、かくかくしかじかなので2時までには掃除を終わらせておいてくれ、と今朝フロントに頼んであった。
 ところが、2時過ぎに帰ってきたのに、掃除が済んでいない。
 だから父ちゃんは、今日ばかりは掃除をしてもらおう(病的なまでにきれい好きなのだ)というのである。

 でも………
 そんなこと言ってる場合??

 「だいじょうぶだよ」

 ……って、その「だいじょうぶ」にゼンゼン説得力がないんですけど。

 しょうがないので、ただちに掃除してくれるようフロントまで言いに行った。
 頼んであったことがなされてなかった以上、いうなればクレームである。

 僕は文句を言ったわけではなく、ただお願いしに行っただけなのだが、やはりフロントの対応は通常とはやや違った。

 「それはまことに申し訳ございません。てっきりワタクシ、2時以降と勘違いしておりました。ただちに連絡して掃除に行かせます……」

 朝お願いしたときと同じ人だったので話は早かった。
 「2時までに」と「2時から」は、さすがに僕も言い間違えようがないはずなのでヘタないいわけには違いないのだが、まあいいだろう。
 じゃあ、お願いしますって伝えてその場を去ろうとすると……

 「オソクナッテタイヘンモシワケゴザイマセーン。タダチニヤリマス!!」

 へ??日本語なんでそんなに上手いの??

 「ハイ、ワタシノオクサンニッポンジンデス。ヒロシマジン!!」

 え゛―ッ!?
 っちゅうか……………だったら最初から日本語話せよッ!!

 いやあ、開けてビックリ玉手箱。
 フロントマン氏必殺の秘密兵器だったに違いない。
 きっとクレーム状態じゃなかったら、一度も日本語を話すことはなかったと思われる………。

 その後ホントに「タダチニ」ルームキーパーさんが来てくれた。
 が。
 そのときすでに父ちゃん死亡。

 ルームキーパーさんが心配げだったので、すみません、年甲斐もなく飲みすぎ食べ過ぎのようです、と伝えると、

 「ワタシの父も、飲みすぎてしょっちゅう家でこうなってるわよ」

 やや安心しつつ笑いながら、作業中も気を遣って小声で話してくれる彼女なのだった。

 なんだかこうして書くと、我々がまるで老人虐待しているかのように誤解される向きがあるかもしれない。でも、どう考えても振り回されているのは我々なのだ。
 描写していない様々な舞台裏を、どうかみなさん御想像されたし。

 最初にグッタリしていたときに比べると血色も良くなってきたので、もう大丈夫だろう。
 本人はこのとき、

 「いやあ、あの鰯の脂が効いたんだなぁ…」

 などと嘯いていたけれど、同じものをもっと食べた我々はなんともない。 
 それよりもなによりも、誰が見ても明らかな原因は……

 飲みすぎッ!!

 本人は認めたがらないけど、どう考えてもそうでしょ??
 そりゃたしかに酒量的には大したことなくても、それは部屋でジッとしているときの話であって、朝も昼も、飲んだあとに歩き回ってるんだから。
 さんざん本人は「大丈夫だよ」を繰り返していたけれど、胃腸も疲労、体も疲労となれば、異変をきたすのは当たり前だ。

 その疲労をキチンと把握していてくれればいいのに、二言目には「旅行なんだから…」とか「大丈夫だよ」と繰り返し続けた父ちゃん。
 古の昔から、人々はそれをこう呼んだ。

 年寄りの冷や水。

 ついに朝酒禁止令発令。
 ならびにこの日明るいうちの酒を禁止すべく、寝酒用のワインをうちの奥さんが隠したのは言うまでもない。
 いやあ、身近にこうした反面教師がいると、すっかり冷静になれますな。
 ……そして僕はこっそり、大田胃酸を飲んだのだった。

 さてさて。
 時刻は午後3時。
 父ちゃんもどうやら寝さえすれば大丈夫そうだったから、ここはそっとしたまま、また散歩に出よう!

 LIBERTA!!

 風の向くまま気の向くまま。散歩の自由がここにある。
 午後の散歩は、まず海を目指した。
 ヴィットリオ・エマヌエーレ通りをまっすぐ海に向かう。

 旧市街を東西に走るこのメインストリート、家で地図を見ていたときは、もう少し勾配がきついのかと覚悟していたんだけど、海から続く道は緩やかに緩やかに伸びているので、帰りもとても楽ちん。 

 この道を海まで歩くとたどり着くのが……

 フェリーチェ門。
 …と、こうしてたどり着いたらすぐに撮ってしまうと、それは裏側。
 門の外、車が高速でビュンビュン飛ばしているフォロ・イタリコを渡って眺める姿が門の表側だ。

 たしかに造作がまったく違う………。
 ちなみにこのフェリーチェ門も、ゴッドファーザー
PartVに出てく…………え?もういいですか?ああそうですか。

 この門がヴィットリオ・エマヌエーレ通りの海側の終点。
 つまりここから先に…………

 海がある。
 ティレニア海だ!!
 日差しがあれば心地良さそうな海辺のベンチ。
 台風の心配がない地域ならではの、海辺のシーンといえよう。

 せっかくだから、ティレニア海初タッチ!!

 年寄りの冷や水は懲り懲りだけど、ティレニア海の冷や水は心地いい♪

 イオニア海もティレニア海も、水納島の海に比べるとしょっぱくない、とオタマサは言った。

 防波堤のほうに行ってみると、岩場にはアオサに良く似た海藻が生えていた。

 近くには釣り人の姿が。
 なんだかこのあたり、早春の渡久地港近くにいるのとさして変わらない気がする………。
 釣れますか?と訊いてみると、

 「いやあ、釣れないねぇ…」

 といいつつ、釣れなくても釣れてもどっちでもいいような感じだ。週末をのんびり過ごしているのだろう。
 彼がこの海藻をガシガシとやっていたので、この海藻をみなさんは食べるんですか?と訊くと、そういうわけではないらしい。
 ウニやタコは食べても、ワカメや昆布は食べない文化なのだ。
 日本じゃこういう海藻食べるんですよ、というと、

 「うんうん、知ってるよ。日本人は食べるんだよね。君たちは日本人なの?」

 はい、日本人です。
 せっかくなので、記念写真。

 その後彼に釣果があったことを祈ろう。

 このすぐ近くの波打ち際で、パレルモでの自分たち用お土産を集めてみた。

 ビーチグラスと海岸の小石と貝殻。
 まさかパレルモでビーチコーミングをするとは思ってもみなかったけど、今となってはいいお土産だ。

 ちなみに。
 曇っていることもあってやや寂しげに見えたこの海岸。
 けれど我々がそのキワまで近寄っていた防波堤の反対側は、実はこんな感じだったのだ。


後日空港で買った絵葉書(もちろんこの話のために)

 こんな立派なマリーナだったなんて!!
 渡久地港近くの風情かと思いきや、この写真でいうならもっと手前側にある港もこのマリーナも、まるっきり那覇港サイズじゃないか。
 我々がいたのは、この写真の真ん中あたりにある、赤い屋根の建物の向こう側。
 そんな近くにいたのに、なんか全然雰囲気が違うんですけど……。

 ここでパレルモのプレジャーボート事情も見てみたかったなぁと思う一方で。

 長い間ゴッドファーザー的雰囲気がシチリアなのだと勝手に思い込んでいた僕にとっては、このマリーナの裏側のうらびれた感じこそが、かつて思い描いていたシチリアにピッタリのイメージだったりするのだった。
 このマリーナをみてあの音楽は思い浮かばないよなぁ……。