竹瓦温泉
地獄めぐりは楽しかった
地獄そのものは楽しかったのだけれど、僕にとっては「めぐり」が地獄になってしまった。
しんどい。
これから、来た道を引き返すなんてことはまず不可能である。
鉄輪から歩いてここまで来る人は珍しいようで、途中、タクシーがわざわざ止まってくれたということもあった。
そのタクシーの運ちゃんは竜巻地獄で待機していて、我々を見つけるなり
「よう歩いてきたなァ…」
と言っていた。
帰りはさすがにしんどいだろうから、タクシーを利用するかと思ったのだろうか。しきりにこのあとのことを尋ねてきた。商売熱心な運ちゃんには悪いが、ここからは亀川駅に向かうのである。ここまで歩いてきて、後は目と鼻の先の(それでも遠かったけど)駅までタクシーを使うというのもクヤシイ。
亀川は別府八湯の一つで、鉄輪に比べると、ベッタベタ度でいうともっと鄙びたところである、というふうにガイドブックに載っていた。
実は当初、その「にぎやかではない」というイメージが好もしかったので、鉄輪よりも亀川にしようかなぁ、と思っていた時期もあった。
が、鉄輪にして正解だった。
たしかに鉄輪に比べれば観光地としてのにぎやかさはないものの、「郊外」としてかなりにぎやかなところなのである。「鄙びた」というよりは、普通の街になってしまっているのだ。そんな普通の街のごく一画に、昔ながらの温泉宿街がある。なんだか場末の「社交街」のような風情なのである。
ここ亀川には浜田温泉という、レトロ感たっぷりの木造共同浴場があって、地元の人にも観光客にも人気の温泉らしい。
ところが、さすがに木造だけに老朽化が進み、このまま利用を続けるのは危険、と行政が判断し、近々取り壊して建てかえる予定なのだそうである。
ただ、建て替えたあとの計画が物議を醸しているという。
なんでも、立派なコンクリート製の、言ってみれば普通の建物になるかもしれないらしいのである。
それを聞いたとき、なんでだろう、もったいない……と思ったけど、この「郊外」として普通に発展している街を見てそれも納得してしまった。行政は、温泉地としての情緒も風情も歴史も風土もまったく顧みていないような気配だったのだもの。
なんてえらそうなことを、ただ駅までトボトボと歩いただけの我々が言えることではないんだけどね。
ちなみに亀川駅は、なかなか風情があった。
この駅舎も、立派な駅舎になってしまうだろうのだろうか。
ここから別府まで電車を使う。
健脚商売って言っているくせにズルイ!!
…などと文句を言ってはいけない。自転車を乗り回しているモルモン教徒だって、日本までは飛行機で来ているのだ。
それに、ここからさらに歩いていたら、今ごろかの地の土になっていたに違いないのである。
と、言い訳しつつ駅へ。
こういう路線である。はたして電車は1時間に何本くらい走っているのだろうか…。
ま、時間に追われているわけではないし、今なら駅のベンチで座っているのが至極のシアワセだ。気にせず座っていよう。
………と余裕をぶっこいていたら、それほど待つ間もなく電車がやってきた。1時間に3本くらいは出ているようだ。
かわいいかわいい2両編成だった。
前回の東北旅行で驚いたけど、この電車も
「ワンマン」
という表示があった。まるでバスみたいである。
バスみたいといえば、なんと運転席の背後に電光式の料金表示まであるではないか。
そして運賃箱も。
写真だけ見たらバスと思うでしょう?
亀川から別府までは2駅だった。
別府はさすがに都会だ。
居並ぶビル、走りまわる車。大きなホテルがドカンドカンと建っている。
さて、そんな別府に何用かというと、竹瓦温泉に行くためなのだ。
この界隈には数々の公衆浴場があるけれど、竹瓦温泉は、明治 12年創業というもっとも古い歴史をもつ由緒正しい湯屋である。
重要文化財指定の道後温泉が明治27年の創業だから、それをさかのぼること15年。相当な古さだ。
別府駅を出て、駅前通りを歩いた後右折する。
途中、「竹瓦温泉まで190歩」という、歩数で距離を告げる札があったので、どれどれ、とうちの奥さんは数えながら歩いた。その横で僕は、
「22、34、18、56……」
とテンデばらばらの数字を言いつづけた。途中でうちの奥さんが破綻したのは言うまでもない。
歩数はわからなくなったが、テクテク行くとすぐにたどり着いた。
そのまま映画のロケに使えそうな重層なる木造建築である。
それもそのはず、この竹瓦温泉、別府に行ったら1度はここに行け、というほどのシンボル的存在なのである。
そんな由緒正しい温泉が、なんとなんと一人 100円!!
湯に入るために出かけてきたのでタオル持参は当然。だから100円以外になにも料金がかからない。
併設されている「砂湯」は710円とちと高くつくが、砂湯は本場指宿で体験済みだから用はない。目指すは100円ノーマルコース。
シンボルとはいえようするに銭湯なので、砂湯はともかく湯の方は地元の方ばかり。平均年齢も高い。
暖簾をくぐってガラガラと戸を開けると更衣場である。ちょうどロフトというか中2階のようになっていて、そこから広い階段を下ると浴場だ。吹きぬけ状態の天井が高く、心地よいスペースだった。
最初は4、5人いたけど気がつくと僕のほかは一人だけになっていて、その人は毎日通っている地元の人だった。
あーだこーだと話していると、
「別府っていってもなんにもないでしょ?」
と、やや謙遜気味におっしゃる。地方に行くと、地元のことをこう言う方が多い。
でも、100円で入れるこんな立派な銭湯ひとつとっても、別府って素晴らしいじゃないか。ほんの少し以前は80円だったのである。今の世の中、100円では自販機のジュースすら買えないんですぜ、だんな。それを思えば夢のような値段ですな。
効能はつぶさに見てこなかったけど、砕けそうだった腰の痛みは、とろけるようにしてなくなっていった。
男湯は利用者が多いせいか、僕が入ったときは全然熱さが気にならなかったけど、女湯はそれよりも少ないためか、けっこう熱かったらしい。もともと熱い湯が苦手なうちの奥さんにとっては、別府の湯は相当な熱さなのである。
でも、地元の人はやさしい。
明らかに観光客とわかる人には、アドバイスをしてくれる。
女湯では、人によっては姑チェック的厳しい注意をくれる人がいたり、優しくアドバイスをしてくれる人がいたり、とさまざまであるらしい。うちの奥さんには優しいアドバイス・オバアが声をかけてくれたようだ。
「熱いから水をたしたほうがいいよ……」
地方はいいなぁ。
この竹瓦温泉、浴場もさることながら、出たあとのフロアがいい。
フイ〜〜〜〜ッ
と、火照った体を覚ましつつ、長いすに腰掛けて休憩できるのである。
空いていたから羽根を伸ばし放題だった。
うちの奥さんは、サイズこそとびきりのSではあるが、こういうところでくつろぐと途端にXLの人になる。
のんびりしつつ、地図代わりに持ってきていたガイドブックを開きつつ、来し方をしみじみと振りかえり、旅の行く末に思いを馳せていた。
その時。
「アッ!!柴石温泉っておもしろそうなところだったぁ!!」
と、突然雷に打たれたかのようにビックリするうちの奥さん。
海地獄から血の池地獄へと向かうまさに「地獄の道」沿いに、「柴石温泉 100m」という標識があったのだ。川沿いに100mほど歩けばたどり着いたのである。
しかし、その頃の僕は砕けそうな腰を折れそうな足が懸命に支えていたので、柴石温泉とはいかなるところか、ということをその場でチェックしなかったのであった。
そもそも、うちの奥さんははなから血の池地獄や竜巻地獄を射程圏内に入れていたくせに、どうして柴石温泉にまで意識が行っていなかったのだろうか。よほど「地獄制覇」にこだわっていたに違いない。
とにかくその柴石温泉が、実はヨロコビの温泉であったらしいことにいまさら気づいたのだ。
ちなみに柴石温泉とは、約 1100年前、醍醐天皇が治療に訪れたといわれる由緒ある温泉で、熱めと普通の2種類に分けられた内湯、竹の香り漂う蒸し湯、露天風呂、川沿いの滝湯、などなど、聞いただけで行ってみたい至極の温泉だったようなのである。しかも料金150円!!
そんな重大な事実を、竹瓦温泉の長椅子の上で知ったってもう遅いのだった。
いやはや、竹瓦温泉は期待以上の心地よさだった。
こういう場所が近くにあればシアワセだろうなァ。
でも、この界隈はアヤシゲな夜の店が多い。
竹瓦温泉出て、駅に向かいつつちょっと裏通りを歩くと、そういった店のオンパレード。各店の戸口にはまだ日も高いというのに客引きのおっさんたちが居並んでいた。
別府といえばどこに泊まろうと温泉であろうに、こんな気持ちいい湯のあとに、わざわざ「歓楽」しに来る人が多いというのも不思議な感じである。それとも、温泉同様地元の人向けなのかな?
気持ちよく竹瓦温泉を後にした我々だったが、このあとが問題なのだった。
というのも、鉄輪には徒歩で気軽に利用できるような「最寄の駅」がないのである。
この別府の地から鉄輪まで、どうやって戻ろうか……。
きっと駅前からバスが出ているに違いない、という、なんの根拠もない当て推量だけを頼りに駅方面に向かっていた。
途中、ポスター掲示板があった。
みちのくプロレス……。
東北の次にこの地を選んだのは、我々だけではなかったのだ(彼らは巡業だけど…)。
駅前通りに出ると、バス停があった。
沖縄と違って、バス停ごとにキチンと時刻表がある。
どれどれ……おっ、鉄輪行きもちゃんとある!……何分発かなぁ……
………あれ?出たばかり!!!しかも1時間に一本……
ひえ〜〜………。
いくらなんでも、この寒空の下1時間バスを待つのはつらいなぁ……タクシーを拾うしかないか…。
その時!!
対面のバス停にすべりこんできたバスの表札には、
「鉄輪」
という文字が燦然と輝いているではないか!
ダッシュダッシュダッシュッ!
大通りをまるで映画のように横切った。いたるところで急ブレーキの音が……っていうのはなかった。偶然車が少なかったので、余裕で渡り、バスに飛び乗った。
なんというめぐり合わせ、なんというタイミング。
ただバスに乗っただけなのに、上質のドラマを見終わった後のような充実感に浸ってしまった。 |